第25話



「おい、大丈夫か?顔色悪いぞ。」

「あ…」



心配そうに私を見つめるテオドール殿下と目が合った。



「少し…昔のことを思い出してまして…」



前世でアルベルト様から受けた拷問の記憶が蘇り、心が悲鳴をあげていた。



「あぁ。」



テオドール殿下はそう呟くと、おもむろに立ち上がり、ソファーに腰掛けている私の元へと歩み寄った。急にどうしたのかと首傾げるとテオドール殿下は突然、私の額に自身の中指を強く弾いてきた。俗に言う“デコピン”だ。



「っ。…何を…」



驚いた私は思わずデコピンを受けた額を手で押さえてテオドール殿下を見ると、殿下はニヤリと笑った。



「どうだァ?楽になっただろ。」



言われて気づく。先程まであった胸の痛みがすっと消えていた。心無しか身体も軽いような気もする。

…もしや、治療の魔法?ユリウスと一緒にいる時も同じような感覚を受けることが多々あった。



「は…い。楽になりました。」

「そーだろ、そーだろ!まっ、天才な俺様にかかればこれぐらい朝飯前だ。」



ゲラゲラと笑いながら私の頭を撫で回す殿下を私はじっと見つめた。

…彼は本当にモニカなのだろうか。どうも彼とモニカが私の中で繋がらない。

私の視線に気づいた殿下はニンマリと笑みを深めた。



「んだよ、そんなに見つめちゃって。俺に惚れたか?」

「殿下は本当にモニカなのですか?」

「スルーかよ。…まぁ、お前の気持ちも分かるけどな。正確に言えば俺はモニカじゃない。」



―モニカじゃない?



「モニカで無いのでしたら、何故300年前のことを知っているのですか?」

「そりゃー、俺にはモニカの記憶があるからだよ。物心つく前から、モニカの一生分の記憶がな。」



―モニカの記憶が?



誰かの記憶を持って生まれてくるなんて聞いたことも無い。あまりにも非現実的なことに私は驚いた。



「何故、そんなことが起きたのでしょうか?」

「知らね。たまたまなんじゃね?」



あまりにも軽い返答に私は脱力した。

果たして偶然でこんなことが起きるのだろうか。



「もしくはモニカの執念かもな。モニカにはこれが限界だったんだろ。」



その意味深な言葉にどういう意味なのか聞こうとしたが、殿下は私の頭をくしゃくしゃに撫で「難しく考えんな。」と言ってきた。


考えるなと言われても考えてしまう。

アルベルト様の容姿で生まれてきたテオドール殿下は、何故かモニカの記憶を持っている。そして、テオドール殿下と同じ時代に私が生まれてきた。

本当にこれがただの偶然?

有り得ない。偶然がここまで重なるわけが無い。私には何か意味があるとしか思えないのだ。



「俺さ、餓鬼の頃からずっとお前に会ってみたかったんだよ。」



突然、彼はそう言ってきた。

私の頭を撫でながら話す彼は、ひどく優しげだ。



「俺のこの顔を見て顔真っ青にするし、300年前の文献を読み漁ってるし……エメラルドの瞳だし。それで、あ、こいつ…あのエリザベータ=コーエンじゃね?って思ったんだよ。」



見上げると穏やかな海のようなサファイアの瞳と目が合った。



「姿形は変わっても、中身は俺の知っているエリザだ。そのエリザがこうして話したり歩いたりしているだけでさ、モニカの記憶を持っている俺から見たら奇跡なんだよ。どうしようもなく、ただただ嬉しいんだわ。」



きっとこの言葉は彼の本心なのだろう。私は、心が温かくなるのと同時に、気恥しさも感じていた。何だか擽ったい。その擽ったさに慣れない私は、誤魔化すかのように俯いた。



「おっ、照れてんのか?かわいーな、お前。よーし、よしよしよし。」



からかうような彼の口調に内心ため息をついた。こういう所はいただけない。あと、私のことをまるでペットの犬のように扱うところも…。

少し、見直していたのに…。あ。


私はふと思い付いた。モニカの記憶を持っている彼なら…



「あの、殿下。」

「あ?」

「殿下にお聞きしたいことがありまして…」

「何だ?言ってみろ。」

「300年前…私が死んだ後、アルベルト様に何があったのですか?」



ピクリと僅かに反応した殿下の手に私は気付かない。



「どの文献を見ても300年前の情報が少ないんです。それに、あのアルベルト様が自害だなんて…あの人らしくな…」



私は最後まで言葉を紡ぐことが出来なかった。何故なら、殿下の顔から表情が抜け落ちていたからだ。その冷たさに息を呑む。彼の美貌さがら、その姿はまるで精巧に作られた人形のよう…。無機質な瞳に見つめられ、私の身体は固まった。

先程までニヤついた笑みを浮かべていたのに、一体何が…



「そんなん知ってどうするんだよ。」



殿下の低い声に身体がぶるりと震えた。その声はまるでアルベルト様のようだ。私は恐怖のあまり身体を小さく縮こませた。

その様子に気付いた殿下はハッとして、気まずそうに視線を逸らし頭を掻き毟った。



「…わりぃ。怖がらせるつもりはなかったんだ。あー、あれだ。世の中にはさ、知らなくてもいいことがあんだよ。よく言うだろ?知らない方が幸せだとか何とか…。な?」



何でも話しそうな彼が、ここまで言うのを躊躇する理由は何なのだろう。この様子だと彼から300年前の事を聞き出すのは難しそうだ。私は小さい声で「分かりました。」と、言うしか無かった。



「…お前さ、あの弟クンにはどこまで話したわけ?」



話が突然変わったことにより私は戸惑い、返答に遅れた。



「…え、…あぁ。ユーリには全て話してあります。」

「全てって…あのお前が?」



殿下はサファイアの瞳を大きく見開き、驚いた表情を見せた。…そこまで驚くことだろうか。



「よっぽど信頼してんだな。」

「そう、ですね。ユーリとは小さい頃からずっと一緒ですから、誰よりも信頼を置いています。」

「へー、美しい姉弟愛ですこと。」



皮肉げに言う彼に首を傾げていると、扉を叩くノック音が聞こえた。



「思ったよりも早いな。」



殿下はわかりやすく顔を歪ませた。そして殿下の承諾を得ないまま扉を開けて中に入って来たのは、案の定義弟のユリウスだ。


流石に皇太子殿下の部屋に了承もなく入ってしまうのはマナー違反だろう、と思ったが義弟が帰ってきたことの安心感の方が強かった。



「ユーリ、無事だったのね。」



私はソファーから立ち上がり、ユリウスに歩み寄った。近くで見ると髪が乱れている。きっと女生徒達にもみくちゃにされたせいだろう。どことなく疲れているようだ。



「大丈夫?」



私は義弟の頭に手を伸ばした。乱れている髪を整えてあげると、義弟は気恥しそうに目を伏せる。



「大丈夫ですよ。僕よりも姉上は大丈夫ですか?殿下に何か酷いことをされませんでしたか?」



そう言いながら義弟は、私の髪の乱れを優しく整えてくれた。

…そういえば、殿下に髪をくしゃくしゃにされたままだったわ、と今気付いた。

そして義弟は何故か私の額を、懐から出したハンカチで必要以上に擦ってくる。何か汚れでもついていたのだろうか。確かそこは、殿下にデコピンを喰らった所だ。

…まさかね。



「俺の前でナチュラルにイチャつき始めんなや。」



殿下の不機嫌な声が聞こえてきた。殿下の方へ視線を向ければ案の定、頬杖をつき眉間にシワを寄せる殿下が居た。



「そんなことしていません。」

「無自覚か。エリザ、後で説教な。」

「何でそうなるのですか!」

「…殿下、そろそろ姉上を連れて帰りたいのですが。」



隣からひんやりとした声が聞こえてくる。義弟をチラリと見ればいつもの様に甘く微笑みかけられた。



「あーあ。小姑みたいな弟クンのせいで萎えちまった。よーし、かえれーかえれー」



殿下は手でしっしっと私達を追い払う仕草をした。その仕草に、この方が本当に帝国の皇太子殿下で良いのだろうかと疑問がわいた。まぁ、殿下なんてどうでも良い。ユリウスは明日、デューデン国へと旅立つのだ。早めに帰った方が良いだろう。明日に響いてしまったら大変だ。



「エリザ。」



帰ろうとする私の背中に、殿下が私の名を呼びかける。振り向けば案の定、彼のニヤついた顔があった。



「また俺に会いに来いよ。」



下品で野蛮でガラの悪い男。

その認識は変わっていない。今後もその認識は変わらないだろう。だが、不思議と最初に感じていた嫌悪感は無くなっていた。

彼がモニカの記憶を持っているから?いや、きっとそれだけじゃないだろう。



謎は多く残っている。私は全てを知りたいのだ。知って、ちゃんと前に進みたい。

何だか温かい気持ちを抱えながら、私はユリウスと馬車へと向かった。




******



「姉上、少し寄り道をしてもいいですか?」



邸に帰るため馬車に乗ると義弟はやや上目遣いで、そう言ってきた。

寄り道なんて珍しい…と思ったが、明日デューデン国へと旅立つ義弟のことだ。何か足りない物を買い足すのだろうと私は納得し、頷いた。



「ありがとうございます。レナードに行先を伝えてきますね。」



義弟はにっこり笑い、外にいる従者のレナードに会うため馬車から出ていった。



―一体何を買い忘れていたのかしら?必要なものは全て用意したと思っていたのに…。



1人残された馬車の中で、私は腕を組み首を捻っていた。



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