第27話
「姉上、そろそろ起きて下さい。」
身体を優しく揺さぶられ、私は微睡みから覚めた。寝ぼけ
がばりと起き上がれば、真っ白だったカモミール畑は茜色に染められていた。ここに来てからだいぶ時間が経過していることがわかる。
「…うそ、私…寝ていたの?」
「えぇ、ぐっすりと。殿下とお会いしたから、要らぬ神経を使って疲れてしまったのでしょう。」
そう…なのだろうか。寝てしまった自分が信じられないが、義弟がそう言うなら、そういう事なのだろう。
自分では気付けない程に疲れていたのか…。
「ごめんなさい、ユーリ。明日デューデン国へ行くっていうのに…私のせいで帰るのが遅くなってしまうわ…。」
「謝らないで下さい。僕は姉上とゆっくりと過ごせて満足ですから。」
一方的に寝ていたのに、これは一緒に過ごしたと言えるのだろうか。少々疑問に感じたが、今の義弟の雰囲気はとても穏やかで、いつものユリウスに戻っている。ここに来た時の不安げな様子が無くなっていることから、義弟なりに満足してくれたのだろう。
それなら良かったと安堵していると「あぁ、忘れるところでした。」と、義弟はなにやら自身の制服の内ポケットを漁り始めた。私はそれを不思議そうに見つめていると、義弟は私の前に小さな箱を差し出してきた。
「なぁに?」
「姉上へのプレゼントです。受け取ってください。」
私はその箱を両手で受け取る。丁度手の平に収まるほどの大きさだ。中には一体何が入っているのだろうか。あまり重さを感じられない。まさか空っぽでは無いとは思うのだが…
「開けてもいい?」
「勿論です。」
ユリウスの了承を得てから箱を開けと、箱の中には硝子細工のネックレスが入っていた。まるで、義弟のシトリンの瞳のような蜂蜜色の硝子細工だ。
私は箱からネックレスを取り出し、蜂蜜色の硝子細工を眺める。本物の宝石のように複雑にカットされた硝子細工は、夕日に照らされてキラキラと輝いていた。
「綺麗…」
「この前、街へ買い物に行った時に見つけたものです。宝石のシトリンを模しているようで、幸運や元気などを与えてくれるお守りだそうです。」
「お守り?」
「はい。僕の代わりに姉上を守ってくれるよう、願いを込めて。」
「…っ。」
心の底から嬉しさが次から次へと溢れ出す。こんなにも私の事を想ってくれている義弟が、ひどく愛おしい。
本来ならば私がデューデン国へと行く義弟にお守りを渡す立場なのに…。後で何かユリウス宛に贈ろうと、密かに思った。
「…ありがとう。とっても嬉しいわ。大切にするね。」
「姉上に喜んで頂いて僕も嬉しいです。…つけてあげますから、後ろを向いて下さい。」
私は義弟の言う通りに、義弟に背を向ける。義弟は私の長い栗色の髪を一つに束ね、左肩に流してきた。うなじが露わになる。その流れるようなその動作に、慣れているのだな、と思った。学校でも義弟は女生徒達に囲まれている姿をよく見かける。もしかしたら、こうしてよくネックレスをつけてあげているのかもしれない。
そんなことを考えていると、後ろから義弟のしなやかな手が首元に伸びてきた。首筋を撫でるようにして、その手は私のうなじに回る。すると、後ろから小さく金具の繋がる音が聞こえてきた。
「…姉上。」
「つけ終わった?ありが…」
「テオドール殿下にあまり気を許さないでください。」
その言葉に後ろを振り向くと、真剣な瞳と目が合う。そういえば、ユリウスはテオドール殿下がアルベルト様だとまだ思っているのだった。
私は義弟を安心させるため、テオドール殿下はアルベルト様ではなくモニカの記憶を持っているのだと説明をしたのだが、義弟は不服そうに眉を顰めるばかり。
「ユーリ、そんなに心配しなくても大丈夫よ。確かに殿下は下品で野蛮でガラの悪い方かもしれないけれど、悪い人じゃないと思うの。」
「…姉上がそう言うなら…わかりました。」
全然「わかりました。」という顔ではなかったが、とりあえず納得してくれたことにホッとした。これでまた留学に行かないなんて言い出したら笑えないもの。
「さ、早く帰りましょ。明日に響くわ。」
「…そうですね。風も出てきましたし、帰りましょうか。」
最後まで腑に落ちない様子の義弟の背中を押し、カモミール畑を後にする。
私の胸元で揺れる硝子細工はキラキラと煌めいていた。
*****
テオドールside
クソ爺どもに押し付けられた政務の書類を書き終え、一気に脱力した。
後で、クソ爺どもの茶に下剤でも入れてやると思いながら前を見ると、来客用のテーブルにティーカップが置いてあるのに気づく。
―そういや、片付けせずにそのまんまだったわ。
俺は椅子から立ち上がり、テーブルに置いてあるティーカップまで足を進める。ティーカップを覗き込めば液体は無いものの、カップの底には茎が溜まっていた。それを見て俺は目を細めた。
―あいつ、こんな不味い茶をよく飲み干せたなァ。俺だったら一口で吹き出す自信があるってのに。
このティーカップは先程まで、シューンベルグ公爵の娘のエリザベータが使っていたものだ。
俺はティーカップを持ち上げ、この酷い紅茶を入れていた女のことを思い浮かべた。
モニカは実にせっかちな女だった。
掃除や洗濯、じゃがいもの皮むき等は得意だったのだが、お茶の入れ方は壊滅的に苦手だった。まず、モニカは待つことが出来ない。お湯が沸騰するまで待てない、蒸らすのも待てない。そのせいで茶の色が出ないのに、茶葉が足りないのかと勘違いし、大量の茶葉を投入する。そして出来上がるのは、最低最悪のお茶だ。
そして、その最低最悪のお茶をいつも飲んでいたのはエリザベータ=コーエンだ。毎回出されるお茶をしかめっ面で飲んでいるのだが、1度も残したことはない。(さすがに底に溜まっている茎は飲まないが)
それがモニカには嬉しくて嬉しくて…その後も懲りずに最低最悪のお茶を出し続けていったのだ。
だが、さすがに我慢出来なくなってきたのだろう。エリザベータ=コーエンは「…今度、入れ方を教えるわ。」とモニカに言ってきた。彼女が侍女に対して、好意的?に関わるのは初めてだ。モニカは嬉しさで舞い上がっていた。あのお嬢様が私に心を少しだけ開いて下さった!と。
だが、その約束は果たされることはなかった。何故ならエリザベータ=コーエンはその何週か後に処刑されたのだから。
俺はアルベルトを思い出してしまい、カップを持つ手に力を入れた。
俺はアルベルトが嫌いだ。いや、嫌いだなんてそんなに生易しいものではない。この手で殺したいほど、憎い。
自分の顔がアルベルトの顔だと気づいた時には気が狂うかと思った。この顔を剥ぎ取ろうとしたのは、1度や2度だけではない。
だが、皮肉にも、この顔だったからこそ、エリザベータを見つける事が出来たのだ。正直、この世界に居るわけないと思っていたが心のどこかでは常にエリザベータを探していた。餓鬼の頃、ひたすらにエリザベータを探す俺はさぞ気味が悪かっただろう。何度も周りから怪訝そうに、そんな女性は居ませんよ?と言われたものだ。
エメラルドの瞳を持ったエリザベータを思い出し、くつりと笑う。
姿形が変わっていても、中身は全然変わっていない。残念なほどに、不器用な女。
300年前のエリザベータは決して人に弱さを見せなかった。本当は、臆病で傷つきやすいその心も、人から隠れて努力していることも、その努力のせいでボロボロになっていた手のことも、全部隠していた。上手く隠していた。隠しすぎていた。そのせいで、エリザベータは周りからまるで感情のない人形のようだと言われ、敬遠されるようになってしまった。
だが、モニカは知っている。エリザベータがベッドの中ですすり泣いていたことや、ボロボロの手に一生懸命軟膏を塗り、手袋で隠していたことを。モニカはエリザベータをいつも影で見守っていたのだ。
だからこそ、驚いたのだ。あのエリザベータが義弟のユリウスにあんなにも心を許していることに…。まぁ、アイツのことはどうでもいいや。
エリザベータは不器用ながらも、アルベルトを想っていた。いつかはその想いがアルベルトにも届くだろうと思っていたのだが…
―アイツは、それら全てをへし折りやがった。
まるで虫を潰すかのように、いとも容易く。モニカの花を摘み取ったのだ。
手元にあったカップが音を立てて割れた。破片が足元へと散らばる。手に破片が刺さり、真っ赤な血液が床に滴り落ちた。
目を瞑れば、いつでもモニカの悲痛な最期の叫び声が聞こえてくる。
『許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せないっ!!!何で、そんな許されたような顔をして死んでんの!?ふざけるな!例え神がお前を許したとしても、私は絶対に許さないっ!!あぁ、お前よりも強ければ、お前よりも権力があれば…!そもそも私がオトコだったら…!お嬢様を守れたかもしれないのに…!こんな世界、消えちゃえ…』
―安心しろ。お前の意思はちゃーんと俺が継いでやるからよォ。
モニカの執念には魔力が宿り、次の世界の俺に託された。本当は、自分でやりたかっただろうに。モニカにはこれが限界だったのだろう。
物心つく前から、俺はアルベルトに対する憎悪を育てていった。その憎悪がそろそろ開花する頃だ。
―クソベルト、俺はお前を絶対に許さねーよ。
もし、この世界にお前が居るのなら必ず探し出して…殺してやる。
サファイアの瞳が不穏げに煌めいた。
第2章「芽吹く」完
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