幕間 ”簒奪者”マコト
目の前に、箱がある。小さな箱がある。
それが、音もなく自分の目の前に浮かんでいる。
いつから見えているか、そんなことは言われなくても覚えている。あの日、仲間を失って冒険者を辞めた日から“落葉”のカナタの前には箱が見えている。手の平に乗るくらいの小さな箱で、ずっと自分の前に浮いている。
「カナター。今日のご飯は何食べたい?」
「んー。なんでもいいよ」
妻の声が聞こえる。自分はもう冒険者を辞めた。
夢を追うのは若いころだけで良い。ダンジョンの一つも攻略出来なかった自分にとっては、当たり前の幸せをつかむことすら難しいと思っていたのだから。
だが、自分を支えてきてくれた幼馴染は自分について来てくれた。それがたまらなく嬉しかった。
「パパー。行ってらっしゃい」
「ああ。いってくるよ」
家を出る前にカナタへとやってくる娘を抱き上げて、頬にそっとキスをする。斧を担いで外に出ると、森へと向かう。
冒険者を辞めた自分に、ギルドに入る様な仕事は出来ない。ギルドが欲しいのは若い人間だ。英気溢れる人間だ。少なくとも、30手前になって冒険者を辞めていく当ても無くなって故郷に帰る様な、そんな自分ではない。
「ふう」
だから、俺がやるのは木こりだ。森にある木を切って、バラして、村まで持って帰る。男だったら誰でも出来る仕事だが、村にとっては大事な仕事だ。どうしても子供たちは夢を追いかけて冒険者になりたがる。
そんな中で故郷を継ごうとするようなのは農家の長男くらいだろう。
「ふっ」
コーン、と木に斧が打ち付けられる音が森の中に響く。もう一度、打ちつける。昨日研いだばかりの斧の切れ味は良い。深く、深く刺さっていく。時折、視界に入ってくる箱が邪魔で手でどける。
不思議なことに、手で触る触感は無いのにも関わらず、手をそう動かすと箱を透過して腕が通り抜けた。遅れて、箱が動き始める。まるで水の上にういた葉っぱの動きのようだ。邪魔か、と言われたら自分は首を縦に振るだろう。
だが、これが見え始めたのはダンジョンで仲間を失った時から……。カナタにはこれが仲間たちの遺してくれたものに見えて仕方がなかった。だから、今もまだ残している。青春を共にした彼らが……ふとした時に、箱から顔をのぞかせてくれるかもしれない。そう、思って。
「ふッ!」
邪念を討ち払うように斧を木に叩きつける。そんなことあるはずがない。死んだ人間が生き返るはずがない。
だから、今日もこうして木を切る。今の自分に出来るのは、これくらいだから。
2本ばらしたところで、切り株にそっと腰を降ろして水を飲んだ。
「……疲れたなぁ」
若いころは思うように動いていた身体も、気が付けば鈍っていくばかりだった。まあ、こんなことを村の長老に言おうものならグーで殴られるだろうが。
「幸せだなぁ」
子供の頃は、こんな仕事は落ちぶれた人間がやるものだと思っていた。自分はしないと思っていた。冒険者になって、富と名声を追いかけるのだと。だが、自分に才能は無かった。そんなこと、カナタ自身が良く分かっていた。
『大戦』
今でもそのことを思い出して、身震いをする。あの戦争は今もまだ、記憶に深く突き刺さっている。
終戦間際、男というだけで徴兵された。行く場は最前線。人間であれば、もう誰でも良い時代だった。冒険者として死んだ自分が、そこでやっていけるとはとても思えなかった。だが、出征する前日にこの村を魔物が襲った。カナタは村人たちと村を守った。
その結果、出征するまで少しごたついた。数日遅れて最前線に向かっている途中で、徴兵はない事になった。……勇者が、『魔神』を倒したのだという。
結局、自分は戦争に向かうことが出来なかった。まあ、向かったところで大した活躍もできずに死んでいただろう。
ああ、だからこそ。今の自分は幸せなのだ。妻がいて、娘がいて、村にとっては無くてもならない仕事についていて。それで日常が過ぎ去っていく。
「うん?」
小休憩を終えて、そろそろ仕事に戻ろうと思っていた時、目の前に見えていた箱にヒビが入っているのに気が付いた。数年、何も無かったというのに急にどうしたのだろうか。
箱に手を伸ばす。いつもなら、そのまま空を切るはずの箱が、その時はカナタの手で掴むことが出来た。
「……え?」
カタン、とカナタが立ち上がった拍子に切り株に立てかけていた斧が地面に落ちた。
「つかめた?」
馬鹿な。と、思うが本当にカナタの手の平にはいつも見ている箱が手の中に鎮座していた。
「どう……して?」
ヒビからわずかに光が零れる。何が起きているのだろうか。好奇心……というよりも恐怖心の方が勝ってしまう。何だ。何が起きるのか。
『幸せ、だったろう?』
声が、聞こえた。箱の中から声が聞こえてきた。
ひどくひび割れた、低音の男の声。
『幸福、だっただろう』
「…………お前は」
『我は箱。不幸の箱』
淡々と箱から声が響く。ふと、ヒビが拡がりパラパラと箱の外壁が地面に落ちていく。その中で白い光に包まれた中にあったのは髑髏であった。瞳に光を灯した髑髏がカナタの目の奥を見抜いた。
『お前の身に余る幸福。享受しただろう? ああ。存分に、しゃぶりつくしただろう』
「…………それは」
『お前から吸い上げた
「な、何がいいたいッ!」
『
パン! と、音を立てて箱が消えた。
何度か目をつむって開いて……。そして、自分の視界の違和感に覚えて、それを探す。
箱が
嫌な予感がする。
あの髑髏が言っていることが正しいのだとすれば、自分の身には不幸が降りかかる。何だ。何の不幸だ。
カナタは慌てて走り出した。大事な斧も手に取らず、水筒も放り出して、家に向かって走り続ける。走って、走って、走り続けて……。森から抜けるとき、鼻腔をくすぐる焦げ臭さが背筋に悪寒を流し込んできた。
煙が、上がっていた。そこにあったのは、
「なん、で。何で……」
わなわなと震える。足の力が抜けて地面にへたり込んでしまう。
妻は……? ここまで支えてくれた幼馴染はどこにいったのだろうか。
娘は、まだ小さな娘はどこに行ってしまったのだろうか?
いるはずなのだ。目の前の、この、大きな窪みの中に。
「ルゥ!? ハツ!!?」
2人の名前を呼びかける。だが、返事は返ってこない。どれだけ呼びかけても、返事が返ってこない。すり鉢状になった地面に滑って落ちながら2人の名前を呼び続ける。
どこに自分の家があっただろう。どこに2人がいるのだろう。
分からない。どうして……。どうして…………。
「あーあ。こりゃあ、ひでえな」
天から声が、降ってきた。
「アンタ。生き残りか」
ふぅ、と口から紫煙を吐き出して宙に浮かぶ男がそう言った。
「お前が……お前が、やったのかッ!?」
「ちげーよ。俺ぁただの観客だ。伊武崎マコトって言う。覚えておけ」
「……“
「こいつは生き残った魔物どもが魔帝の持っていた必殺技を
「じゃあ、ルゥは!? ハツは!!?」
「死んでるよ」
「そ、そんな…………」
頭の中が真っ白になる。俺は……俺は、これからどうすれば……。
「まぁ、そう悲観すんな。
そう言ってマコトが新しい煙草に火をつけた瞬間、煙が辺りを包む。
「1……いや、1時間半か」
ぽつりと呟くと、視界が煙で真っ白に染め上がる……。
……煙が晴れると切り株の上に座っていた。そして、目の前には箱がある。まだヒビも入ってはいない。
「何だこれ……。いつの間に、ここに……?」
何が起きたか理解できず、立ち上がってマコトをつかもうと思った手が……空を切る。
「戻ったんだ」
「あ、あんたは……一体……」
「時を戻した。俺の能力だ。ああ、あとここに居るのは俺の分身だからよぉ。俺が許可しねーと触れないぜ?」
紫煙を曇らせて、マコトがにィと笑う。
「お前、変な物が付いているな」
マコトがそういってカナタに手を伸ばすと、まるで髪についていた埃でも取るかのように箱を取って、握りつぶした。
「……へ?」
「じゃあ、止めてくるかぁ」
めんどくさそうにマコトはそう言って、村へと歩いていく。慌ててその後ろを追いかけるカナタ。マコトが村へ到着するのと、上空から白い光が落ちてくるのは同時だった。
「よし」
マコトが右手を大きく天に掲げると、そこに白い光が落ちて来て……マコトは光を
それだけで、先ほど村を潰した怪異は消え去った。
「…………マコト、あんたは」
「俺か? 俺ぁ英雄だ」
それは、英雄に憧れた者。
世界に絶望し、異界を探した者。
そして、たどり着いた者。
「“簒奪者”のマコト。よぉく、覚えておけ」
そして、万物を奪うもの。
――ユツキの最後の敵である。
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