第2-25話 恩人
食べるって、“魔核”を?
そうよ。それだけが、この状況を打破できる――。
柄にもなく、天使ちゃんが焦った顔でそう言った。だから、俺は頷いた。天使ちゃんが俺を騙すようなことはしない。天使ちゃんが俺のマイナスになるようなことはしない。
天使ちゃんは、俺の味方だ。だから、信じる。それに、値する。
既に『暗殺術』が発動している状態で、俺はユウの心臓を拾い上げた。血が固まって、赤黒くなったところに砂やら石やらがこびりついている。俺はその中にある”魔核”をナイフで取り出すと、手に取った。
結晶。
ゴブリンやスライムのような血の塊のような石ではない。純粋な、結晶。透明度が酷く高く、光を吸い込んで煌めいていた。俺は“魔核”についている砂を払って、口に放り込んだ。
「……っ!!」
放り込んだ瞬間、口の中を襲ったのは猛烈な
こらえて、ユツキ――。
天使ちゃんが焦った顔で言う。
飲み込むのよ――――。
今まで、倒したモンスターたちの“魔核”は美味かった。だが、どういうことだ。これは。どうしてこんなに不味いんだ!! 水が欲しい。水が飲みたい。この口の中にある生臭さの塊を吐き出してしまいたいッ!!!
飲んで――!!!
「……ううぅ」
唸るような声を上げて、俺は“魔核”の飲み込んだ。どろり、とヘドロのような感覚が喉の奥を通り抜ける。生臭さが鼻の奥をくすぐる。
そして、それが胃の奥に落ちた瞬間に、激しい
「おい? ユツキ!?」
「ユツキさん!?」
ステラさんと、タルタロスちゃんが心配してくれる声が聞こえる。
「だい、丈夫、です」
「ユツキ……? ユツキって、ソフィアの生徒!?」
だが、最悪なことにシェリーの教師に俺の正体がバレてしまった。しかし、そんなことに気をかけている余裕などは無い。心臓が、熱いのだ。燃える様に心臓が熱いのだ。
「お、おいおい。身体から煙上がってんぞ。お前!」
「大丈夫、ですからっ!」
慌ててこっちにやって来ようとするステラさんを制する。
「いや……。煙……」
周囲の人たちが引く。ユウたちも下手に手を出せないのか、遠巻きにこっちを見ているだけだ。
だが、熱い。熱い。熱い。死んでしまうくらい熱い。
水の中に飛び込んでしまいたいくらい熱い。頭の中で誰かが叫んでいる。
ユツキ。
誰だ。誰が叫んでる。
ユツキ――!
うるさい。黙ってくれ。熱いんだ。身体が、死ぬほど熱いんだ。
私を見なさい。
誰だ。天使ちゃんはどこに行った。熱い。助けてくれ。焼ける。焼けてしまう。余りの熱に意識が飛びそうになって、自分の手の平をナイフで刺した。ドパ、と血が溢れて床に溢れる。
ジュ、と音を立てて床が焼けると煙が上がっていく。
私を見なさいッ!
熱で震える視界の中で、小さな少女の姿が目に入った。ダボッとした白い服を着て、背中にふわふわの翼が生えている少女。10歳くらいに見える、そんな少女が目に入った。
誰だ。
問いかける。
少女が答える。
《
嘘だ。天使ちゃんはこんなにおっきくない。
《成長したの》
そう言って、大きく成った天使ちゃんが俺の頬に手を触れた。その瞬間、触れられたところからどんどん身体の体温が下がっていくのが分かった。すっと、頭の中が冷静になっていく。
天使ちゃん?
《そうよ》
本当に天使ちゃんなの?
《そうよ》
天使ちゃんが微笑む。それは、まるで天使のような微笑みで。
「ヤバいッ! ユツキを殺せ!! 魔法を使われるぞ!!!」
「殺させねえよ」
ユウが俺に向かって銃を撃つ。それを、ステラさんが手で止めた。相変わらず、化け物みたいな人である。
「タルタロス! 周りの奴らを
「「「「あいあいさー!」」」」
そして、俺が瞬きした瞬間。ズドドドドドドッ!!! と凄まじい勢いでタルタロスちゃんが
「……は?」
「え?」
「へ?」
誰も彼も状況が分からず、増え切ったタルタロスちゃんを成す術もなく見つめ……そして、
……分かった。タルタロスちゃんは、多分【倍化】とか、そういう感じのスキルを持っているんだ。だから、命を複数持てる。命を【倍化】によって増やしてしまえばいい。今、姿が増えたのもそれなら説明がつく。自分の数を増やしたのだ。
周りの物を増やさないのは、【倍化】が通用するのは自分の身体だけだから。
そう考えると全てに説明がつく。
《ユツキ。私の手を取って》
(分かった)
天使ちゃんが差し出してくれた小さな、白い手を取る。ぽう、と白い光が俺の右手に
《行こう》
立ち上がる。頭の中が嫌にすっきりしている。
「止めろ! そいつを止めてくれ!!」
ステラさんにボコボコにされながら、それでもユウが叫んだ。それを聞いて、空に浮いていた“魔女”が動く。杖を構えて、俺に狙いを澄ます。
「『炎よ。穿て』」
そして、放った。
ドン! と、音の速さに至る速度で撃ちだされた炎の矢が俺の肩口から入ると、貫通して爆発する。左腕が千切れて、宙を舞う。俺の身体が壁に叩きつけられる。だが、治り始める。立ち上がる。
アイの【無効化】は無敵のように見えて、その実そうではない。アイはいま、ユウの傷を【無効化】するのに忙しい。だから、俺の方まで手が回らない。だから、アイに向かって右手を伸ばす。
次の瞬間、俺の右腕が斬り飛ばされた。機剣エクスだ。まだ、動いていたのだ。それがアイに近づく敵を殺すべく動いた。それが何だというのだ。残る左手を使えばいい。だが、そこに雷の鎖が飛んできた。
魔女だ。
面倒くさいことしやがって。
ドン! と、音を立てて何度目になるか分からないほどにユウの身体が宙を舞った。
「お前が
そして、ユウの傷を治すよりも先にステラさんが身体の向きを変える。そして、アイに向かって地面を蹴った。瞬きをした瞬間、俺の隣をステラさんの身体が駆け抜けて凄まじいアッパーをアイに向かって叩き込む。ドッ!!! と、一瞬で
そして、そのまま箒に乗っている魔女に直撃。放物線を描いて、街の端まで飛んでいく。
「……タルタロス……………。時間は……。どうだ」
「あ、ちょうどです。始まりますよ!」
いつの間にか1人に戻ったタルタロスちゃんが、俺の後ろでそう言った。
次の瞬間、漆黒の鎖がタルタロスちゃんがとステラさんの身体を縛り上げた。
「つーわけでよ、ユツキ。これで、お別れだ」
「お別れって……」
「言っただろ? 俺たちは元の世界に帰るために、魔法を作った。それが、発動したんだ。もう誰にも止められない。俺たちは元の世界に帰る」
「そう……ですか」
まだ、感謝を伝えきれていないのに。
「ステラさん。俺は……」
何を伝えれば良いのだろうか。助けてくれてありがとう、だろうか。いや、それでは足りない。言葉が足りないのだ。
「“星”、“砕きィ”……」
だが、何かを告げるよりも先に後ろからユウの声がした。驚いて振り向くと、そこには左脚を引きずって、両腕が折れたのかぶらりと垂れ下がったままで、こちらを睨むユウの姿があった。
執念。
それ以外にどう形容しようというのか。本来動ける姿じゃない。本来立ち上がれるはずじゃない。だが、動ている。それを、執念と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
「悪い。仕留めきれなかった」
「そんな。ステラさんのせいじゃ……」
鎖がステラさんとタルタロスちゃんの身体を縛り上げていく。
「だから、ユツキ。ここからは、お前がやるんだ。出来るか? 一人で」
「……勿論!」
笑う。笑わないと、いけないと思った。実の父と別れた時よりも心苦しいのを忘れる様に、無理して笑顔を作った。
「そうだ。まだ本当の名前、言ってなかったな」
「名前?」
「ああ、名前って大事だろ。俺の名前はさ」
ステラさんとタルタロスちゃんの背後にどす黒い闇が現れて、鎖が2人をその中に引きずり込んでいく。
「天原ハヤトって言うんだ」
「ハヤト、さん」
俺はその名前を聞いて、今度はちゃんと笑ってしまった。何が、
「頑張れよ」
「あ、私はタルタロスでもアビスでも紫の奴でも好きに呼んでもらって構いま」
2人は闇に消えた。
《しまらないわね》
(……そうだな)
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