第2-22話 正当化

 ソフィア先生がこちらに杖を向けたまま、静かに構えている。箒にのったまま、俺を見降ろす。戦いとは、高所を取った方の勝ち……と言ったのは果たして誰だっただろうか。弓が、銃が、航空機か、そしてミサイルが。人間の戦いとはいかに高所を取るということに帰結する。


 ならば、箒にのった魔法使いというのは俺にとって重爆撃機を相手にするくらいだと考えて良いだろう。


 何しろこちらから向こうに手を出す方法はほとんどなく、箒の上からはこちらを狙い放題なのだから。


「ユツキ君、おとなしく諦める……です。私は、本気、ですから」

「本気? 本気で俺を殺すんですか。ソフィア先生」


 俺は挑発するようにそう言って笑う。


「……っ」


 ソフィア先生の顔が苦しそうに歪む。ソフィア先生は虐められていた時に助けられた教師に憧れ、教職についた。俺が虐められていたときの話はソフィア先生に話している。先生は、俺のことを……自分でいうのもアレだが、気に入っているのだ。


 しかも、初めて担当した生徒。


 殺せるだろうか? 俺のことが。



 殺せるはずがない。


「無駄な茶番ですよ。先生」

「……ユツキ君」


 加えて言うなら……言い方は悪いがソフィア先生は戦いから人間だ。そう、昔の俺とまったく一緒なのだ。だから、考えていることが手に取るように分かる。


 先生はなるべく穏便にこの状況を済ませたいと考えている。生徒に手をあげたくないと考えている。俺がどこかで折れることを期待している。


「なら、ユツキ君が諦めるまでこの結界を解きません」


 ソフィア先生は杖を構えたままそう言う。いや、そう言うしか無いのだ。ソフィア先生に俺は殺せない。だからと言って、暴力という手を取りたくない。


 だから、この何もない空間に俺を入れるしかない。


「無駄ですよ、先生。先生がどれだけ待とうとも、俺が諦めることは無いんです」

「……お腹が空いても、喉が渇いても、ユツキ君が諦めるまでここから出してあげませんからっ!」

「良いですよ。俺、死なないですから」


 そう言って、俺はナイフを首に突き立てた。


 これは、パフォーマンスだ。11歳の少女を脅し、恐怖の底に叩き落とし、この結界を解かせるためのパフォーマンスだ。だから、首を斬る。頸動脈をかき切って、あふれ出した血がパステルカラーの水色を染めていく。


「ゆ、ユツキ君!?」


 ソフィア先生が慌ててこっちに飛んでくる。だが、ソフィア先生が来る前にすさまじい勢いで傷が治っていく。そして、完全に傷口が治ると俺は血に染まったナイフをしっかりと右手に握った。


「まあ、この通りです。俺は、死なないんですよ。先生」

「い、まのは……魔法……ですか?」

「スキルですよ」

「……あぅ」


 ソフィア先生の顔がわずかに恐怖に染まる。


、こんなものはなんです」

「……うぅ」

「先生。先生が、本当に俺のことを思うのならここから出してください」

「だ、駄目です! ユツキ君を人殺しにするわけには……」

「……俺はもう1人殺していますよ。先生」


 それは、言うべきかどうかをひどく迷った。今の今まで他人に漏らしたことなど1度もない事だったから。けれど、ソフィア先生には言っておきたいと思った。何故こんなところで口をついてそれが出て来たのかは分からない。


「そんな……」


 ソフィア先生の顔が驚きに染まった。まあ、自分の教え子が人殺してるなんて言ったら、誰だって驚くだろう。さて、これから彼女はどうリアクションを取るだろうか。


「だから、行かせてください。俺は先生みたいに、別の何かに打ち込めない。逃げられないんです。俺にはもう、これしかないんです」

「……聞かせてください」

「はい?」

「どうしてあなたがユウ先生を襲うのかを教えてください」


 だが、ソフィア先生は俺の顔をしっかり見たままそう言った。


「どうして、あなたが人を殺したのか。それを、教えてください」

「……それを聞いて、どうするんですか」

「考えます。自分で、考えます」

「…………」


 ソフィア先生の顔に浮かんでいる決意の意思はひどく硬そうで。


「……分かりました。全部お話しますよ」


 だから俺は、全てを喋り始めることにした。それが、最善だと思ったから。


「俺は、“稀人まれびと”なんです」


 ――――――――――――



「……それで、どうしたん、です?」

「それで、俺は魔術国家マギアロンドに“稀人まれびと”がいることを知りました。“神の眼”のユウ。間違いなく、俺からギフトを奪った奴です」

「だから、魔術国家マギアロンドに来たの、です?」

「はい」


 ソフィア先生は箒に乗ったまま、黙り込む。宙に浮かんだまま、そこで静止している。


「………………」

「あの、先生?」

「………………」


 静かに、浮いたまま。それでも何かを深く考えて。


「ユツキ君」

「はい?」

「先生は、先生失格だと思います……です」


 自信がないのか、歯切れが悪い。

 いや、元々こういう喋り方だっけ。


「どうしてですか?」

「先生には、ユツキ君の助け方が……分からない、です」

「助け方なんて……」


 そんなものは、求めていない。求めては、行けないと思っている。俺にそんなものは必要ないのだ。助けてもらうに値する人間じゃないのだ。


「だから、先生には、こんなことしか出来ないです」


 そう言ってソフィア先生が杖を振るうと、ばっと空に大きな穴が開いてそこから空が覗いた。そこから、連鎖的に……ドミノが倒れたら止まらないかのように、パステルカラーの水色で出来た結界が壊れていく。


「こうすることしか、出来ないんです」

「……先生?」

「……行ってください。私は、もう、何も……出来ない、です」


 ひどく泣きそうな顔をして、ソフィア先生がそう言う。俺にはそれに何かを言おうとして、


「そんなことは……」


 ユツキ――――。


 天使ちゃんが差し出した手を止めた。


 歯を食いしばる。


 そうだ。俺には何もいう権利がない。自分からソフィア先生の手を振り払ったのだ。だから、俺は俺を貫かないといけない。


 どれだけ間違ったことをしていたとしても、この行為を貫かないといけないのだ。

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