第2-16話 聖女

 目を覚ます。


 幸いにして空は晴れ模様。ぱっと着替えて、リビングに向かうと先にシェリーが起きてソファーに座っていた。


「おはよ」

「……おはようございます」


 声が硬い。


「ガチガチだな」


 身体をこわばらせたまま黙り込んでいるシェリーを見てほほ笑んだ。だが、シェリーは笑わずに、自分の身体を抱きかかえた。


「何で……。何で、そんなに普通なんですか。ユツキさん」

「緊張したってどうしようもないだろ?」


 今日、ユウを殺す。

 そのための用意は出来ている。


 楽しみね――。


 天使ちゃんが微笑む。そのとびっきりの笑顔があまりにも可愛らしくて、思わずドキッとしてしまう。


「私は……駄目です。動けないんです。怖くて、怖くて……」

「ここでじっとしてな。終わったら、会おう」

「はい……」


 俺はベランダに出て箒を握る。手には箒の硬い感触。微風がとても気持ち良い。俺は箒にまたがって空へと飛んだ。風に乗って空を切って、魔術国家マギアロンドを出ると街の『インダストル』の端っこまで飛び、誰にも見つからないように路地裏に降り立った。


 今日の会見は約午後12時頃……。約、というのはこの世界には正確な時計が無いので大雑把な時間しか伝えられないのだ。だから、日中。その正午。ということだけ分かっている。だから、俺がするべきなのは上から降りてきたユウを追跡し、12時の会談があるまでに殺す。


 そして、バレない内にこの街を逃げ出して王都に向かう。


 完璧だ。


「ふぅ……」


 緊張する――?


 いや、緊張はしないよ。


 冷静ね――。


 怒ってるんだ。俺から奪った奴らのことをね。


 そう――。


 仲間たちは既に『インダスタル』の外れに待機してくれているはずだ。集合場所も既に決めている。時間通りに来なければ、いったん宿に帰るということも。シェリーには何も言っていないが、部屋に手紙を残しておいた。


 全てが終わった後に再会するつもりだ。その時には、シェリーは家族と出会っているはずだ。俺はそこに必要ない。


 目をつむる。息を吸って、息を吐く。


 しばらく路地裏で待っていると、頭上に影。ちらりと顔をあげると、魔術国家マギアロンドから編隊を組んで魔法使いたちが『インダスタル』に降りて来ていた。凄まじい警備だ。


 そんなことをしても、俺は止められないのに。


 行こう、天使ちゃん。


 勿論――。


 俺は路地裏の土を蹴る。降りる場所は分からずとも、やって来る場所は分かっている。先にそこを目指すのだ。俺は誰にも気が付かれないように路地裏を疾駆すると、会談の場所にたどり着いた。そこで『暗殺術LV1』を発動。ずずっ、と世界に溶け込んでいく感触。久しぶりだからか、その感覚が嫌に新しく感じられた。


 シェリーに買ってもらったナイフを取り出す。そっと構える。


 会場の外にはそれなりの数の騎士が立っていた。警備だろう。王国だけではなく、皇国の要人がやって来るのだ。下手な対応は許されない。俺はその警備の間を歩いて抜ける。バレない。誰の視線も俺には向かない。


 俺だけが透明人間になったかのような感覚。


 だが本当は違う。本当は、ただだけである。


 『灯台下暗し』という言葉がある。近くにあるものは意外と見つけづらい、という意味の言葉だがそれに近いと思ってもらっても良い。目の前にいるのに、気が付かない。近くにいるのに、見つけづらい。


 そういうスキルなのだ。『暗殺術』は。


 Lv1なのが残念ね――。


 でも、前のスキルよりは強くなってるから……。


 天使ちゃんの落胆の混じった言葉に俺はそれをさとした。そう、何もただのレベル1じゃない。スキルが進化した上でのLv1である。そう考えればLv1でも強く見えてくるというもの。


 ユノからもらった会場の地図を頭の中で何度も再生させながら、ユウの控室を目指す。会場内はこの世界の建物とは思えないほど豪華だった。元々どこかの教会だったのだろうか?


 中に入ると、綺麗なステンドグラスがとても目に入った。


 そこから朝日がさんさんと差し込んでくる。多分、朝に礼拝することを前提に作られたんだろう。だが、礼拝につかうであろう木のベンチは撤去されており、そこにはぽっかりとした空間だけが残っていた。


 綺麗な場所だ。


「あなたも神に祈りに?」

「……ッ!?」


 その声に弾かれたように、俺は振り向いた。この場所には俺以外の人間はいない。ならば、その声は俺に向けられたと考えるべきだろう。わずかな戸惑いと、明確な殺意を持って声の主を見る。


「あら。冒険者の方でしたか?」

「お前は……」


 そこにいたのは黒髪黒目の女。この世界には不釣り合いな、明らかに日本人の顔。ステラが黒竜オリオンを倒すまで狩人として大した稼ぎが無かった俺と違って、肌つやも良く髪の毛も輝きも良い。服だって素材からして違う。


 ……“稀人まれびと”。


 間違いない。向こうも俺のことを“稀人まれびと”だと思ったのか、不思議そうな顔をしている。その瞬間、俺の脳に光が弾けた。

 

 ……知っているッ!!

 俺はこの女を知っているぞ……ッ!!!


 喋ったのはたった1度だけ。『転生の間』だ。【創造魔法】で俺が食事を振舞おうとしたときに、断った女だ。そして、さらっとユウたちと共に俺の【創造魔法】を奪っていった4人の内の1人である。


 ……こんなところにッ!!!


 頭の中を焼き付く様な殺意が支配する。だが、脳の最奥。理性を焼き尽くした怒りの業火を捕まえて、叩き伏せたのは俺の本能。


 、だ。


 腹の底から聞こえてくる重たい声に、俺はぱっと何でもない振りを取った。


「お祈り……。まあ、そんなとこですね。貴女あなたは?」

「私は……。私は、どうしてここにいるんでしょうね?」


 …………?


「あの、聞かれても困るんですけど」

「あっ。そうですよね……。実は今日、旧友とここで会うのを約束していまして」

「旧友ですか。良かったですね。再会出来て」

「はい! そうなんです!!」


 自らの胸の前で手を組むと、わずかにジャンプして大喜びする目の前の女。漫画チックな喜び方するやつだなぁ。


「じゃあ、俺はこれで」


 これ以上、ここで喋るのも危険だ。向こうが俺のことに気が付く可能性が高まる。それに俺のスキルである『暗殺術』も何故かこいつにはきいていない。


 色々と危ない。逃げよう。


「あの、これもえんです。名前を教えてもらえませんか?」

「名前?」


 とっさに頭の中で考えて、


「……ステラだ。俺の名前は、ステラ」


 と、スライムの名前を借りることにした。すまん、ステラ。


「ステラさん。良い名前ですね! 私はアイって言います」


 アイ。


 びくり、と脳の中で今は亡きナノハの言葉がリフレインされる。アイ。間違いない。コイツだ。こいつが、俺の狙う標的の1人だ……!


「2つ目の名は“”。“聖女”アイです」

「…………ッ!!!」

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