第29話 開戦

 思っていたよりもリタ相手に時間を食ってしまった。『隠密Lv2』では足音が出ないので走って食堂を目指すべきだった。若干後悔を覚えながら食堂を目指す。少しだけ後ろを振り向いてリタを見ると、未だにナイフを持ったまま廊下に立っていた。


 申し訳ないと本気で思う。だが、リタへの申し訳なさよりもナノハへの恨み。メルへの救いの方が上回る。


 こっちよ――。


 天使ちゃんが先導してくれる。食堂の場所を知っているのだろうか? 何で知っているのかを聞きたいところだが、天使ちゃんだから何があってもおかしくないだろう。俺は天使ちゃんを追いかけるようにして走っていると、ちょうど大きな扉を開けて執事がワゴンを押していた。


 見ると僅かに食器が汚れている。もしかしてもう食べ終わったか? と、わずかな手遅れを覚えながら閉まる扉に身体を割り込ませる。中に入ると、2階分の高さを持った大きな部屋に出た。


 床は大理石で出来ているのだろうか。先ほどのタイルと違って、深みのある綺麗な色をしている。天井には巨大なシャンデリアが鎮座。そして、その部屋の中心には白いテーブルクロスをかけられた長机が置いてあった。


「ね、これ美味しい!」

「分かった。分かったから静かにしてくれ……」


 聞き覚えのある声。弾かれたようにそちらを見ると、ナノハがフルーツを食べていた。隣では困ったように顔をしかめるノフェス。


 良かった。間に合った。


 俺はポーチから買ったばかりの毒を取り出すと手に持つ。近くで臭っただけで人を殺せる劇毒だ。それを落とさないようにしっかり握るとナノハに近づいた。


「“稀人まれびと”ナノハ。王都に行ってくれる気にはなったかの?」


 ひどくしわがれた声。見ると、長机の最奥に深く椅子に腰かけた老婆がいた。彼女は不釣り合いなほどに豪華な服に身を包み、装飾品をこれでもかと身にまとっていた。


 ……あれが、ファウテルのおさ


 見ただけでそれが分かった。


「うん! おばあちゃんの頼みだしね」


 ナノハがそう答えると、老婆は明らかにほっとした顔になった。


「うちの孫をぜひ頼むよ」

「任せてよ! 大将は私がちゃーんと守るから」

「おばあ様。これでは男女があべこべですよ……」

「くははッ。ノフェス、そう言うならナノハよりも強くなることだな」

「ぐぬぬ……」


 食卓についている者は8人。死んだような顔で食事を取っている初老の男性が1人。あれが彼らの父親だろうか。その隣では綺麗な姿勢を崩さずもくもくと食事を取り続ける美しい女性がいた。


 ……なるほど、あれが噂の“姉”か。


 その他にも子供たちがいる。彼らはメルより上の継承権を持った貴族の子息たちか。見ればほとんどが女の子だ。男はノフェスと彼らの父親を除いて存在しない。


 これだけがいれば、メルも必要ないというわけか。


 とにかく俺はナノハに近づいて、そっと瓶の蓋を取った。それと同時に呼吸を止める。『忍びの呼吸』で肺の最奥まで取り込んだ空気は3分間の無呼吸運動を可能にする。ナノハは老婆と喋り続けている。


 俺はそこに近づいて、そっと瓶の毒をナノハが食べていたフルーツにかけた。


 だが数滴たらすはずだったが、瓶を傾けすぎてびちゃびちゃとかかってしまう。


 ……やべッ。かけすぎたッ!!


 しかし天は俺に味方をしてくれた。ノフェスの妹の1人が手に持っていたフォークを床に落としてしまったのだ。カチャーン! と高い音が鳴る。それが、みんなの注意を引いてくれた。俺は瓶に蓋をしてそっと離れる。と、その途中でナノハの裏拳が俺の立っている場所に向かって飛んできた。


「……ッ!!」


 ビシィッ!! 空気が破裂する音と共に、ナノハの拳が空中で止まる。


「どうかしたのか?」

「うーん? 何かいたような気がしたんだけど……。虫だったのかな?」


 何なんだよこいつら!

『隠密』スキルをどいつもこいつも見破りすぎだろッ!!


 だが確実にバレていないところは流石『隠密Lv2』と言うべきか。ナノハは毒のかかったフルーツを手に取って、そのまま口に入れた。


 その時、隣にいたノフェスがふらりと倒れた。一番近かったから毒を嗅いでしまったのだろう。無関係の人間を巻き込むはずではなかったが、致し方ない。ここでナノハと一緒に死んでくれ……。


「わわっ!? 大将! 大丈夫!!?」


 ナノハは慌ててノフェスに近づく。


「ノフェス!?」


 老婆も血相を抱えてノフェスの名を呼ぶ。


 ……大丈夫なわけないだろ。オークですら簡単に殺せる劇毒だぞ。


「ちょっと! くーちゃん!! お願い!!!」


 ナノハがそう言うと、すぐさま地面に魔法陣が描かれた。魔法陣の中心から巨大な狼の顔が出てくると、ノフェスに鼻を近づけてスンスンと嗅いだ。


『毒だね……。それも、劇毒だよ』

「治せる!?」

『当たり前だよ』


 ……嘘だろ!?


 ナノハの狼はノフェスにふっと息を吐きかけた。すると、先ほどまで昏倒していたノフェスが目を覚ました。


「む? 何が起きた……?」

「良かったぁ! 大将が死んだらどうしようかと思ったよ!!」

『ナノハの中にも同じ毒があったよ。解毒しておいたけど』

「ありがとね! くーちゃん!!」


 クソッ! どんな治癒能力だよっ!!!


 歯噛みするが、せっかくここまで来たのだ。チャンスを見逃すわけにはいかない。俺は食器ワゴンに乗っていた肉斬り包丁をそっと握ると、天井のシャンデリアめがけて投擲。自分でも驚く様なコントロールで包丁がシャンデリアを吊るしている鎖のわっかの中に入って、それを斬った。


 ガッシャァァァアアンンン!!!


 大きな音をたててシャンデリアが飛び散った。


「うわああああっ!!!」

「おい! 灯りをもってこい!!」

「おばあ様! 大丈夫ですか! おばあ様!!!」


 灯りが消えたことで部屋が暗闇に包まれる。その瞬間に、俺は動いた。ナノハはまだ殺せない。だが、メルの依頼は達成しなければ。


 俺は素早く走ると早くも慣れてきた瞳で長机の最奥に座っていた老婆を見た。だが、そこには……。


 無残ね――。


 シャンデリアの下敷きになった老婆の姿があった。みると僅かに胸が動いている。生きているのだ。


「誰か……。誰か、おらぬか……」


 このままだとナノハの狼に癒されるッ!


 俺は走って、老婆に狙いを澄まして。


 そして、首を斬った。


 彼女の首から血があふれ出す。老婆に触れたことで、彼女だけが俺の姿を見れるようになってしまう。彼女が生きたわずかな時間、俺の方を見てそして何かを言いたげに手を伸ばすと息絶えた。


「おーくん! 灯り!!」


 ナノハが叫ぶ。次の瞬間、天に魔法陣が描かれてそこから大きさが2mほどのドラゴンが飛び出してきた。


 色は黒。口に何かを寄せ集めると、ぼうっと光が灯る。


ひどい主人もいたものだ……』


 ドラゴンが喋る。その色は、黒。


 ……黒竜ッ!!


 ステラに知らせる――?


 天使ちゃんが俺の周りをふわふわと飛ぶ。

 まだだ。まだここでは呼べない――――っ!!


「み、みんな! おばあ様がッ!!! おばあ様がっつ!!!!」


 悲惨な叫び声。一瞬、全員の注目がそこに集まる。


 集まるのであれば、俺は動ける。手にナイフを持ち、ナノハの後ろに回る。


「……死ね」


 少女の延髄をめがけ、ナイフを振り降ろす。文字通りの。どういう仕組みか知らないが、この状態では攻撃力に+プラスの補正がかかる。


 それがナノハの首に吸い込まれて、ガキン! と、音を立てて砕けた。


「……ッ!!」


 終わったッ!

 そう思った瞬間、ナノハの拳が飛んできた。


 俺は自分の胸が拳1つ分もへこむ瞬間をゆっくりとスローの世界で見ていた。ナノハの拳が俺の胸に入り込む。身体の内側から異音がなる。これは肋骨が砕けている音だろうか。そして、ナノハの拳が振り切られると同時に俺の身体が地面と平行に弾かれた。


 ガッシャァァァアアアアンン!!!!


 窓を砕いて俺の身体が宙に舞う。抵抗できないまま、俺の身体が塀に叩き込まれた。そして、背骨がバキバキと砕ける音を聞いて、塀を貫いて俺の身体が大通りに落ちた。


「……かはっ」


 息が吸えない。身体が痺れて言うことを聞かないっ!

 『忍びの呼吸』を使わないと!! 身体を落ち着けないと!!!


 わずかに遅れて、肺の奥に空気が入り込み始めた。だが、ズキズキと刺すような痛みが胸の内側に走る。俺はポーチに入っていたスライムの“魔核”とゴブリンの“魔核”を震える手で口に放り込んだ。


 口の中に果実独特の味が拡がると、凄まじい速度で身体が修復されていく。“稀人まれびと”で良かった……。


貴方あなたがおばあちゃんを殺したんでしょ」


 俺が突き破った窓から出てきたナノハが俺の姿をしっかりとらえてそう言った。


「そうだ」


 俺は起き上がってそう答える。毒でも無理。武器でも無理。


 どうやって殺す? どうすれば死ぬ?


 考えろ! 考えろ、俺!!!


「私、普通は人を殺さないんだけどさ。あなたは別。おばあちゃんを殺したから、あなたも死んで償って」


 ナノハがそう言って右腕を横に突き出すと、たかのようにして小さな黒竜がナノハの右腕に止まった。


 ナノハは人間だ! 人間ならどうにかすれば死ぬはずなんだ!!

 

 だが、そのためには方法を考えるための時間がいる。この状況を打破するために、考えるための時間がいる。ならこの場をかき乱してしまわなければならない。


 だから俺は大きく息を吸った。


「ステラッ! 黒竜だッ!!!」


 次の瞬間、砲弾のように飛んできたステラが黒竜の身体を弾き飛ばした。


 ……戦場ここをかき乱す!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る