第28話 ”静謐”のリタ
決行は夜。それまで、じいっと宿の中で待っていた。外に出たくなかったわけじゃない。ただ頭の中で何度も何度もナノハを殺すための方法をリフレインさせていただけだ。
相手は英雄。『ファウテルの街』からも、そして『ファウテル家』からも厚い信頼を寄せられている。だが、それが何だというのだ。それがどうしたというのだ。
「……。ユツキ、太陽が沈むよ……」
「……往こう」
俺はこの日のためだけに、この世界で生きて来たのだから。宿の窓を開けると、身を乗り出し路地裏に落ちる。その後ろをステラが丁寧に窓を閉めて、落下。ぽにょん、と柔らかそうな音を立てて地面に着地した。
「…………」
黄昏時の路地裏には、人が居ない。警察の機能が遥かに劣るこの世界で、わざわざ危ない橋を渡るような人間はいないからだ。だから、誰にも見られずに路地裏を走るとこの日のために買っておいたフードを被り、仮面をつける。
それだけで、俺が誰かが分からなくなる。
分からなくなったら、やりやすくなる。走りながら俺は『隠密』スキルを使った。ずずっと世界に溶け込む心地よさ。心の底にある世界との一体感を感じながら、俺はそっとステラに触れた。
「俺が先に中に入る。ステラは状況を見て中に来てくれ」
「…………了解」
中心街に出るころにはすっかり日が沈んでしまっていた。街の中にはいつものように飲んだくれる男たちと、それを誘う夜の女たちだけの光が灯っていく。俺は館の塀を蹴って飛び越えると、庭に着地。
庭に入った瞬間、外の喧噪と隔絶された。どこか音が遠く、人の騒ぎ声が遥か後方から聞こえる。まるでここだけ結界に包まれたかのようだ。俺は番犬たちの間を縫って、テラスに向かった。
彼女には伝えておくべきだろう。
俺は少しだけ道をそれた。
「……よお」
「……今日も、来てくれたのね」
死んだような目でずうっと池を眺めていた少女の肩を触ると、メルは視線をブラさずにそう言った。
「……今日、やるよ」
「ありがとう……」
「メルは、どうするんだ」
「おばあ様がいなくなって、ナノハがいなくなって……。それでも、私には何も残らないの。そんなこと、分かってるはずなのにね……。でも……。居なくなって欲しいの」
「しばらく、待っていろ」
「……うん」
メルは全てを諦めた瞳でそう言った。メルのあれは学習性無力感という奴だ。何かを達成するとき、どれだけ努力しても叶わないことが続くと人は
何をやっても上手くいかないと、何をやっても駄目だと思うようになるのだ。
そんなこと、あり得るはずがないのに。
俺は歯を噛みしめると、建物の周囲を散策。そして、たまたま開いてた窓から館の中に侵入した。地面にあったのは先ほどの地面とは違う硬い感触。触ってみると、久しぶりのタイルの感触だった。
部屋の中には2人の女性。着ている服が統一されていることから、メイドだと分かった。
「聞いた? メルお嬢様の話」
「何?」
「明日、奴隷商に売られるんですって」
「奴隷商? 貴族なのに?」
「だからよ」
「政略結婚とかは駄目だったのかしら?」
「こんな辺境の貴族と結婚したがる貴族なんていないわよ。結婚するにしても、ここら一体の領主様たちの息子は王都に集まってるから政略結婚とかあり得ないわ。みーんな王女様狙ってるんだから」
「それもそうよねぇ……」
2人とも俺の姿に気づいている様子はない。だが、この2人がいるのに無理やり扉を開けていくわけにもいかない。しばらく部屋の隅の方でじいっとしておこう。
「そういえばノフェス様が王都に呼ばれたらしいわよ」
「王都に? 凄いじゃない」
「5人目の竜殺しだから、王様も放っておけないんじゃないかしら」
「昔からノフェス様凄かったもんねえ。私もあと3年早くここに来てればノフェス様の“
「あんたが? 無理でしょ」
「何でよ」
そう言って互いに笑い合う2人。
「でも不思議なタイミングね。オリオンを討ったのは1、2週間前でしょ? 速すぎるんじゃない?」
「“聖騎士”様が王都から動いたらしいわ」
……誰だよ。
2人目の竜殺しよ――――。
……詳しいね。天使ちゃんからの思わぬアドバイスに俺は驚いて天使ちゃんを見た。
コレットが言ってたじゃない。話、ちゃんと聞いてたの?――。
天使ちゃんが呆れたジト目で俺の顔を眺める。その顔で見られると心が痛むゥ……。
「王都から? 何で? だって聖騎士さまって勇者一行の中で唯一王都にいたんでしょ? 誰が王都を守るの?」
「“
今まで流していた2人の話を急に耳が拾った。
「“
「うん。名前は……なんだっけ? 忘れちゃったけど、凄い強いんですって」
「へー」
「それで、その“
「ふうん……。珍しいわね。“
「ねー。なんだか7年前を思い出すよね」
「やめてよ。縁起でもない」
7年前……? 何かあったのか??
しかし2人はそれだけ言うと、休憩が終わったのか立ち上がって部屋から出ていってしまった。いくつか疑問が残るが、ナノハに会ってみたい“
これが終わったら次は王都だな……。
そう思った俺は
いつまでもここに居られない。俺は部屋から出ると、昨日メルから教えてもらった通りに食堂に向かった。この時間なら、まだ食事を取っているはずだ。『隠密Lv2』スキルを使って廊下を歩けば足音はならない。それに『忍びの呼吸』を使えば緊張で呼吸が浅くなるということも防げる。
そう思って歩いていると、前方からカツンと音が鳴った。見ると、そこには長身の女性が廊下を見据えて立っていた。
「……侵入者さん。こんにちは」
その女性の目はこちらを見ていない。だが、明らかに俺の存在が分かっている。思わず俺は身体を固めて、廊下にあった大きな甲冑の影に隠れた。
「隠れても無駄ですよ。すぐに分かりますからね」
“静謐”のリタ。レイの姉にして、最強の“
これは流石に予想外だった!
『隠密』スキルを過信しすぎた……っ!!
今は甲冑の影に隠れているが、このまま隠れていればすぐにでもバレてしまうだろう。どうする……? 考えろ俺。この状況をどうやって打破する……。手が腰につけたポーチにのびる。
何か無いか……。この状況をどうにか出来るような……。
そんなアイテムが……。
俺はそこまで思って歯を強く噛みしめた。あるわけがない。『隠密』スキルなら、誰にもバレないと調子に乗ったのは間違いなく俺なのだ。ならば――――リスクをとるしかない。
俺はポーチから治癒薬代わりに持ち歩いているゴブリンの“魔核”を取り出した。そして、それをリタの近くの壁に向かって思いっきり投げた。
カン、と音を立てて“魔核”が地面に転がる。リタはそれを不思議に思って拾い上げた瞬間、後ろからナイフをそっと突きつけた。
「動くな」
「シッ……!!」
その瞬間、リタはすさまじい速度で回し蹴り。気が付けば、俺の身体が勝手後ろに飛んでいた。ブゥン!! と音を立ててリタの長い脚が空気を切り裂く。俺は反射的に『隠密』スキルを使った。
ぞっとするような殺気を受けながら俺は世界に溶け込む。しかし掛かりが甘い! リタの注意が全部俺に向いているからだッ!
当然、最強は許さない。
「『炎よ』」
リタの言葉で魔力が踊る。
「『拡がれ』」
シャァァァア……ッ!! と、蛇のように炎がリタから地面を這って外に広がると俺とリタを封じ込める様にして、大きな壁を作り出した。逃げ場を封じられた。
クソッ、失敗したっ!!
リタは俺の姿を見つけられていないが、炎の壁で覆われたこの空間では見つかるのも時間の問題だろう。
まさかこんな簡単に終わるのか?
こんなに簡単に俺は負けるのか?
諦めたら、ダメよ――――。
天使ちゃんが励ますように、俺の耳を引っ張った。
……そうだッ! 俺がやるしかないんだ。
メルを救うために。俺を救うために。俺がここで諦めるわけにはいかねえんだッ!!
だから俺は『忍びの呼吸』を使って大きく深呼吸を繰り返し、そして『隠密』スキルを解除した。
「やっと観念しましたか」
「観念ね」
俺は肩をすくめる。
強くふるまえ。底がみえないように振舞え。
相手を、騙すの――。
天使ちゃんの声が腹の底に響く。
「何が目的なんです? お金でも欲しいのですか?」
「なァ、“静謐”のリタよ」
「……何ですか」
リタは俺の正体に気が付いていないようで。
「アンタ、妹がいるよな」
ピクリ、とリタの顔がわずかに動いた。
「さァ、取引をしよう。俺とお前。互いにWin-Winのな」
「……何が、言いたいのですか」
強者を
「おっと、俺をがっかりさせないでくれ。アンタは強いし、賢いはずだ」
俺は手を開く。余裕を演じる。
弱いのであれば、強く見せろ。
戦えない理由をでっちあげろ。
「全部、言わなくても分かるよな」
「何を言うかと思えば……。私はファウテル家に忠誠を誓った者ですよ? そんな脅しに屈するとでも」
「“彼方の刃”のレイ」
リタは手に持っていた短剣をぎゅっと握った。
主導権を常に握るの――。
天使ちゃんは鋭い瞳でリタを見ている。
「南門の宿屋で狩人の少年の面倒を見ているよなァ」
「……あの、2人を知っているのね…………」
リタは人が良い。口数は多くないが、姉らしく面倒見が良く非常に優等生タイプなのだと推測できる。なら、そこから相手の弱点が見える。仕事に非常に忠実で、他者からの信頼も厚い。それ故、自分が期待に応えなければという強い思いを抱えている。
だが、それは仕事という側面を削りだした時だ。レイはファウテル家にやって来る途中に語っていた。リタはたった1人の姉だと。自分たちに肉親はいないのだと。ならば、リタにとってはたった1人の妹ということになる。
「俺には仲間がいる」
リタは無表情を変えることなく、しかし明らかに手に力が強く加わっている。だが手は出さない。出した時、何が起きるかを理解しているからだ。
仕事へ責任感が強いということは、家族に対する責任感も強い。特に彼女は妹と仲が良い。家にも仕送りをしていると言ってた。ならば、家族に対する思いは仕事と同等かそれ以上はあると見ても良い。
だから、そこを突く。
「ちょっとこいつを解いてくれるだけで良い。俺の目的はアンタの“主人”じゃないからな」
「……それを、信じられない」
「アンタの妹、16歳だっけか」
俺の言葉に、リタは明らかに動揺した。
「……私を……甘く見ないで……」
「見てないとも。見ていないからこそ、しっかり用意している。アンタ、自分の妹がどこの宿屋のどこの部屋に泊っているか。知りたいか?」
彼女の言い訳は既に与えてある。
あとは、それを彼女がそれを選択するだけだ。
「……くっ」
リタは指を振って炎の壁を解いた。
「レイは良い姉を持ったな」
俺はそう言って、再び世界に溶け込んだ。
そこに、ナイフを握りしめたリタを残したまま。
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