第26話 覚悟

「……何でだろうな」


 どうして自分が笑っているのかも分からず、俺はそう言って首を傾げた。何で自分が笑っていたのかはとりあえず置いておいて、今はナノハを追いかけよう。


 地面をのしのしと歩く白銀の人型と、その横を暢気に歩くナノハの前に敵は無い。彼女たちはそのまま領主の館に入ると、門が閉まった。


「……。どうする?」

「あいつ、もしかして領主の家に住んでんのかな?」

「……多分、そうだろうね」

「追いかけよう」

「…………中に、入るってこと?」

「ああ。そうしなきゃ分かることも分かんねえだろ?」

「セキュリティとか……大丈夫……かな?」

「大丈夫だろ。『隠密』スキルがあるし」

「そりゃ……。ユツキは、そうかも知れないけど……」

「んじゃ、ステラはここで待っててくれ。俺はちょっと見てくるから」

「……分かった。気を付けて、ね」

「ああ」


 俺はそう言って屋上から勢いをつけて飛び降りると、館を覆っている塀を蹴って上に飛び上がると出っ張ったレンガを掴んで、さらに上に飛び上がる。塀の高さは5mくらいだろうか。結構簡単に飛びこえれたな……。


 派手に動くわね――――。


 俺もこんなに動けるなんて思ってなかったよ……。


 天使ちゃんにそう返すと、腰を低くしてすぐさま庭園の木の影に隠れた。思っていたよりも侵入はあっさりと成功。問題はここからだ。暗闇の中であたりを探ると、ドーベルマンのような犬が庭の中をうろついていた。


 ……まぁ、いるよな。普通。


 だが、世界に溶け込んでいる俺には気が付かないようで。俺が犬の目の前を歩いても、こちらに身体が向くということが無かった。


「建物の中に入れるか……?」


 いざ事を決行するとき、街でやるのは個人的には無いと思っている。理由は、街にはナノハの味方が多いからだ。もし暗殺が失敗した場合、街そのものが敵になる可能性がある。だからと言って街の外は論外だ。そうなると一切の手加減なしのナノハの火力が俺に叩き込まれることだろう。


 となると、必然的に事を行うならばナノハの自宅。もしくは宿にしている場所が安定だ。


 どこからか入れないものかと俺が建物の周りをぐるぐるしていると、ふと風に乗って誰かの泣き声が聞こえてきた。俺は閉口して天使ちゃんを見る。


 行くの――。


 やめておいた方が良いかな?


 好きにすると良いわ――。


 天使ちゃんは呆れたようにため息をついた。まあ、誰が泣いているのかくらいは気になるから見に行って良いだろう。それでバレるってことはないだろうし。


 と、好奇心に勝てない俺は言い訳がましく心の中でそう言って泣き声の主に向かって足を進めると、人工の湖を前にして白く綺麗なテラスがあった。そこの椅子に座って、泣きながら食事を取る少女が1人。


「……メル」


 久しぶりに出会った少女の顔はひどくやつれ、疲れているように見えた。それだけではない。着ている服はボロボロで、とてもじゃないが貴族の令嬢だというようには見えなかった。


 俺は声をかけるべきかしばらく悩んだ。それでも泣き止まないメルを見て、俺は意を決して泣いているメルの肩を優しく叩いた。


「ぇ……?」


 びくん、と身体を大きく揺らして俺の方を振り向いたメルはしばらく俺の顔を見て黙りこくっていた。


「何があったんだ?」


 だから、俺からそう声をかけた。


「何でも、ないわ……」

「何でもないってことは無いだろう」


 少なくとも、ここまで泣く様なことは無いだろうに。


「……怒られたの。おばあ様に」

「うん」


 泣きながらも、ぽつりぽつりと少女は自分の心を吐露とろしていく。


「あのね。要らないんだって。私は、生まれなくても良かったんだって……」

「だから、ここに?」

「うん。私の、部屋。無くなっちゃったから」

「なくなった?」

「あの、“稀人まれびと”が来たから……私の部屋を渡すんだって、私のものは、全部捨てられちゃって……」


 そうやってぽろぽろとこぼれる涙を抑えながら喋るメルはとても年頃の少女に見えた。少なくとも、馬車の中で見た大人びた彼女の面影はどこにもなかった。肉親から捨てられ、家の制度に縛られて、どうしようもないからただ泣いている10歳ほどの少女だった。


「……ナノハか」

「……うん」

「だとしても、なんでこんなボロボロの恰好を……? そんなに嫌われてるのか……?」

「……売られるんだって。おばあ様がそう言ってたの」

「何だって?」


 身売り。それは日本にだってあった。それも遠い昔の話じゃない。戦後すぐの間には東北地方で行われていたこともあるし、何より2000年代に入っても人身売買で暴力団が起訴されたことがあるのだ。


「……私、奴隷商に売られるんだって。奴隷になるんだって」

「……何で。政略結婚とかは……」


 そう言うと、彼女は首を振った。


使って言われたの」


 使えない? そんなことあるのか……?

 

 という言葉は飲み込んだ。少なくとも、これ以上彼女のアイデンティティーを傷つけるような発言は慎んだ方が良いと思ったのだ。


 だから、


「……メル、今ならお前を連れ出せるぞ」


 そう言った。


「……ふふ、それも有りね」


 しかしメルは俺の言葉に涙をぬぐって、微かにほほ笑んだだけだった。


「けど、逃げ出して……。私は……どうやって生きていくの? 私には何も出来ない。何も持ってないの。お姉さまみたいに人を説得出来るわけじゃない。ノフェスお兄様みたいに、魔法が使えるわけじゃない」


 全てを諦めたようにそういうメルの顔を見て、俺は心がきしんでいくのが嫌というほど感じられた。


 ……同じなのだ。昔の俺と。


 これは今の状況に納得するための言い訳なんだ。

 心の悲鳴を、聞かないための言い訳なんだ。


「だから、仕方ないの。仕方ないのよ」

「……じゃあ、泣くなよ」

「……………」

「納得してないから、泣いているんだろ」

「……………だって」


 メルはまっすぐ俺の目を見て。


「だって、どうしようもないじゃない! 私には何も無いの! 何も出来ないの!! 頑張ったのよ!? 私は一生懸命頑張ったの! けど、ダメだった! おばあ様に気にいられなかったから、私は駄目だったのよ!!」

「…………」

「何にも知らないくせに! 何にも分かんないくせに好き勝手なこと言わないでよ! ユツキに何が出来るって言うの!!」

「……俺には、何も出来ない」

「じゃあっ!!」

「変えるのは、メルだ」


 心が奴隷じゃ、駄目なんだ。


「メルを助けれるのは、メルだけなんだ。俺には、メルを手助けすることしか出来ない」


 心が諦めてたら、駄目なんだ。


「だから、俺がやる。メルに出来ないことを俺がやる。何をして欲しい。ほら、言ってごらん」

「…………殺して」


 その言葉に、俺は息が詰まった。


 ……子供にそこまで言わせるのか。

 子供に、殺意を抱かせるのか。


「おばあ様を殺して」


 涙をぼろぼろとこぼしながら、メルはそう言って俺に抱き着いてきた。


「……いいのか」

「もう、良いの……。私はおばあ様に殺される。けど、私には何も出来ないから。何もないからっ! お願い。ユツキ!!」

「ああ、任せろ」


 俺はそういってメルを抱きしめた。


 かっこつけちゃって――。


 男だからね。


 男の子、だからでしょ――――。


 呆れたように、しかし天使ちゃんは満面の笑みで俺の周りをくるくると飛ぶ。


 俺の心がやれと叫んだ。

 メルを救うために。俺の心を救うために。


 時間はかけられない。


 どれだけ無茶でも、無謀でもやるしかない。


 だから、決行は明日だ。

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