第03話 命のやり取り

「……ッ!」


 思わず気絶しそうになっていた。まるで授業中に眠たくなっていくときのようなあらがえない眠気を、頭を振るって覚ます。


 声が、聞こえたような気がした。『隠密Lv1』を入手したという声が……。


 隠密……。言葉通りに取るなら、ひそかに隠れること。つまり、バレづらくなるというものだ。もし、それが本当なのだとしたら……。


 俺は全身の力をだらりと抜いた。その瞬間、驚くべきことが起きた。何と、俺の身体がすっと周囲に溶け込んだのだ! 


 いや、違う。よく見ると、身体は別に何ともない。いつもと変わらないようにそこにある。


 ただ、見つけづらくなっている。そこにあるのに、見ることが出来ない。ただ、よく見ると見つかってしまう。それが『隠密Lv1』のスキルの効果なのだろうか?


 その時、もぞりと胸ポケットから天使ちゃんが顔を出した。


「……駄目だよ」


 危ないからそっと頭を指でなでると、胸ポケットの中に入るように言った。天使ちゃんは心配そうにこちらを見て、すっとポケットの中に入った。


 ……ここから逃げるしかない。でも、俺はほとんど歩けないし……。


 そう思いながら穴の中で身をひそめていると、ザッ、ザッ、土を踏む音が近づいてきた。ゴブリンたちがこっちに来ている……ッ!


 どうする……? このままやり過ごすか? 『隠密』スキルを使えば、ただでさえ見つけづらいこの場所から俺を見つけることは出来ないだろう。ただ、足に矢が刺さっている。もしアイツらをやり過ごした後、俺はこの山から抜け出せるのだろうか?


 ……抜け出せるわけがない。


 そうだ。足を矢が貫いているのだ。どう考えても、この山を歩いて登れるはずがない。


 死ぬ。俺はここで死ぬのか? そんなことあるのか?

 だってあの天使は夢と希望にあふれた新しい人生だって言ったじゃないか……。


 いや、そうなんだ。【創造魔法】があれば、そうだったのだ。それが奪われたから。それが、奪われたから俺はこうして死ぬんだ。森の中で。ゴブリンたちは俺を殴って動けなくして気絶させる。それからどうするんだろうか? 殺すだけなのだろうか。それとも食料としてばらされるのだろうか。


 頭の中の堂々巡りが止まらない。色んな感情がごちゃ混ぜになって、頭の中が爆発しそうだ。だが、その中で1つ。大きな黒いものが鎌首をもたげた。


 ……ふざけるなよ。


 心の底にドロリとしたものが流れ込んでくる。


 何でこの世界に来たばかりで、俺がそんな目に合わなければならないんだ。そんな役目は、ゴブリンに引きずられながら俺をゆびさしたあの男とか、俺から【創造魔法】を奪い取ったあの4人のはずだ。この苦しさは、彼らへの報いじゃないといけないはずだ。


 何を怒ってるの――。天使ちゃんが、そんなことを言いたげにほほ笑んだ。


 許せないんだよ。天使ちゃん。だって、ようやく報われると思ったんだよ。俺は。ようやく、新しい人生が歩めると思ったんだよ。どうして、俺ばっかりがこんな目に合わなくちゃいけないんだ。だって、そんなの……。不公平じゃないか。


 悔しいの――。


 悔しいよ。俺じゃ何にも出来ないのが悔しんだよ。何でアイツらに何も仕返ししてないのに、俺はこんなところでみじめに死ななきゃいけないんだ! こんな訳わかんないやつらに殺されなきゃいけないんだ!


 じゃあ、殺しちゃえばいいのに――。


 …………え?


 だって、殺しちゃえば助かるじゃない――。


 何をいまさら、とでも言うかのように天使ちゃんはぞっとするほど綺麗な瞳を細めて俺を見た。


 ……確かにそうだ。天使ちゃんの言う通りだ。逃げ回るだけじゃダメなんだ。どうせ俺はここで死ぬんだから、ゴブリンの1匹や2匹くらい道連れにしたって良いじゃないか。けど、武器が無い。武器が……。


 周囲に何か無いかを探していると、ふと足に矢が刺さっていたことに気が付いた。


 ……あった。


 俺は足に刺さっている矢をしっかり握ると、歯を食いしばった。そして――、一気に引き抜いたッ!


 ずぼ、と間抜けな音が響いてぬめぬめと血がしたたる矢を手に掴む。そして、地面に伏せた。足の傷口はとても小さく、思ったよりも血が出なかった。俺が昔読んだ本には身体の1/3の血が抜けたら人は死ぬって書いてあったが、この出血量だと全然大丈夫だろう。俺は死なない。


 ザッ、ザッ、土を踏む音が俺の目の前を通っていく。少しだけ頭を出すと、運良く目の前を歩いているゴブリンは1匹だけ。俺は地面から這い出ると、中腰になった。足が痛くて立てなかったのが原因だけど、よく考えれば立つよりもこうした方が山の中じゃ見つけにくいだろう。


 気が付けば身体が勝手に動いていた。ゴブリンの歩幅に合わせて、足を動かす。そうすれば、相手の足音と俺の足音が重なってなるのだ! だが、そこまでする必要は無かったかもしれないってことに、目の前のゴブリンに近づきながら思った。


 何しろ森の中はゴブリンだらけで、あちらこちらに足音が響いているのだ。


 俺ははやる気持ちを抑えながらまっすぐ歩いた。目と鼻の先にゴブリンの背中が見える。落ち着け。落ち着け。落ちついて――――殺せ。


 ドスッ!! 俺が一気に踏み込んで、背中からゴブリンの心臓を矢で突き刺した。心臓の位置は大体の予想だし、本当に心臓に当たったのかは知らない。ゴブリンはとっさに仲間に自分の居場所を知らせようとしていたみたいだけど、叫ぶよりも俺が先に腕で口をふさいだ方が速かった。


「~~~~ッ!!」


 く、クソッ! こいつ思ったよりも暴れるぞ!!! 


 俺は必死になってゴブリンを押さえつけながら、矢を背中から引き抜いた。ごぽっ、と背中から血液が溢れだす。その瞬間、ゴブリンが俺の足を蹴った。それが運悪く傷口に当たったから、ガツンと足が千切れたような痛みが走った。


 負けるかッ! コイツなんかに負けてたまるかッ!!


 俺は手に持っていた矢じりでゴブリンの首を突く。その時、腕の奥で「ギェッ」という声を出した。俺は何度もゴブリンの首を突いた。何度も、何度も、何度も。そのたびに声を上げた。


 まるでカエルみたいだ。


 気が付くと、ゴブリンの喉からひゅうひゅうと空気の抜ける音がしていた。反抗していた力もほとんど無い。だから、俺はゴブリンの身体をひっくり返して地面にうつ伏せにすると、頭を持って首を反対方向にへし折ろうとした。もう無我夢中だった。


 ミシィッ! ゴブリンたちの話声や足音で騒がしい山の中で、首が折れたその音はとてもよく俺の耳に届いた。


 もう、ゴブリンは動かなかった。


「……はぁっ、はぁっ」


 足の傷口がじくじくと痛む。チクショウ。まだあと1匹くらいは殺してやるぞ。そう思って、ゴブリンの死体を後にしようとしたときに天使ちゃんが胸ポケットから顔を出した。


 待って――。


 どうしたの?


 ここ――。


 天使ちゃんはふわふわと浮かんで、ゴブリンの死体に近づくと恥ずかしそうにある場所に指を指した。そこには、ナイフが落ちていた。多分、このゴブリンが持っていたものだろう。


 ありがとう。天使ちゃん。


 天使ちゃんが見つけてくれないと、俺は矢だけでゴブリンをもう一回殺す羽目になってたよ。そう言って天使ちゃんの頭をなでようとして、手が返り血だらけになっていることに気が付いた。


 ああ、これじゃ天使ちゃんの服を汚しちゃうから頭がなでられないや。


 ねえ、ここも――。


 次こそ2匹目を殺そうとしていた時、天使ちゃんはゴブリンの胸元でふわふわと浮かびながら死体を指さしていた。


 斬って――。


 斬ってって……。


 良いから――。


 天使ちゃんがここまで言うことは珍しい。何だろうと思って、ゴブリンの胸をさっき手に入れたナイフで斬った。よく手入れしてあるのか、それともゴブリンが柔らかいのかは分からないが、すっと身体が開かれてゴブリンの内臓が見えた。


 理科の教科書でみた人体図にそっくりな内臓があったけど、心臓の中に何か異物があるのが見えた。


 取って――。


 天使ちゃんがそう言うもんだから、ナイフで心臓を開く。ばしゃ、と血があふれ出すがその異物はそこにあったままだった。


「これって……。石?」


 不思議な見た目の石がゴブリンの身体からとれた。紅くて、ごつごつしている。これって胆石みたいなものなのかな? 身体の中で石が出来ることってあるらしいけど。


 違う――、と言っているのかどうかは分からないけど天使ちゃんはふわふわと浮かんで再び胸ポケットに入った。どうやら結構気に入ったみたいだ。いつもは背中とか頭に止まってるのに……。


 それは、大切な物よ――。


 天使ちゃんは、そんな感じな目で俺をみてポケットの中にすっぽり隠れてしまった。良く分からないけど、天使ちゃんがいうならそうなんだろう。それをポケットにしまう。その時、森の中が騒然となった。


「ギィッ! ギィッ!!」

「ギェー!!!」


 ゴブリンたちが急に叫び始めた。何が起きたのか分からないが、慌てて俺は道の側に生えていた草の中に身を隠した。

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