3-3


 食堂は昼の時刻をとうに過ぎているので、がらんとしている。

 女にとっては都合のいい場所だ。

 煙草は吸えないが、吸える場所には人がいて一人になれない。

 紙コップを持って食堂の端に腰を落ち着ける。

 中身は珈琲で満たされているのに、なぜか女は口を付けようともしない。

 

 ――それはそうだろう。

 

 基地のお世辞でも旨いといえない珈琲を、好んで飲んでいたのはヴィヴィアンだからだ。

 いつもなら香りさえ忌避するというのに、今日に限っては紙コップに入れてしまった。

 大佐の言葉が強烈に効いているのだろう。

 心のどこかが自分を慰めようとしているのか、感傷に浸ろうとする無意識の行動に嫌悪感を抱かずにはいられない。


 ――馬鹿にしやがって。


 女は勢いに任せて、珈琲を喉に流し込んだ。

 その強引さに食道が燃え上がり、胃袋が熱さを訴える。

 珈琲の香りが鼻腔を抜け、酸味と苦さが舌に留まり続けた。

 一気に吐き気を覚え、咄嗟に口を抑える。

 たかが珈琲でこうなるとは、情けなさに涙が出そうだった。


「ひょえ~。おたく、ええ飲みっぷりやね。アルコールでも入ってたんそのコーヒー?」


 いつ食堂に入って来たのか、目の前には金色のポニーテールを揺らす少女がいた。

 童顔で幼さが残る青い瞳はきらきらと光っていて、無邪気な顔を浮かべている。

 

 ――よりにもよって、こんな時に


 少女の天真爛漫な雰囲気が、アンジーと被っていて、更なる吐き気を催した。


「うちアリスゆうねんけど、おたくクラッシュやろ? いま優秀なパイロット探しとってな、噂を聞きつけてここまで来たんや。どや? おたく、うちと組まへん?」


 女の心情に頓着せず、自分の要求だけを述べる少女に良い印象など持つはずがない。

 しかし、今は口を抑えたまま、黙って睨み付けるしか出来なかった。


「アリス。いきなりそれは失礼じゃないかな?」


 温和な声で少女の肩を突付いたのは、グレーのスーツに身を包んだ、おおよそ軍人ではないのが明らかに判る優男だ。


「せやけど、噂通りの腕前やったら今のうちに声かけとかな取られるで、ショウさん。うちの率いる部隊にテストパイロットが必要なのはわかるやろ?」

「そりゃわかるけど、彼女を見てみなよ。いかにも一人になりたい空気出してるよ」


 だったら話しかけるなと思った女だが、吐き気が収まる様子がない。

 口を抑えていないと胃袋から珈琲が逆流しそうで手が離せないのだ。


「だから好都合やん! おかげでうちら以外に声かけようとするやつおらんかったやろ? これ逃したら絶対あかんやんか」


 声を掛けられた当事者を無視して会話を弾ませる二人組みだ。

 この珍妙な組み合わせが、まさか激戦区に出るBGだとは思えない。

 金髪ポニーテールの少女が着用しているパイロットスーツはP.O.C.U軍のものではない。

 男のほうも最前線基地では場違いなスーツ姿で、軍属なのかも理解に苦しむ格好だった。


「……失礼だが、お二人とも、わたしは……、誰とも組む気はない」


 女は何とか吐き気を飲み込んで言った。

 その弱々しい様子に二人は瞬時に会話を引っ込める。

 だが、少女はお構いなしだった。


「うちはU.E欧州連合企業と契約しとるテストパイロットやねんけど、今は戦術研究の名目でP.O.C.U軍に協力しとんねん。でもU.EとしてはP.O.C.U側に荷担していると思われとうない。企業かて絶好の実戦データが得られるチャンスがもったいない。っちゅう感じで仕方なしに、戦術顧問という形でここにおるんや。んで、そない中途半端なもんやから、なっかなかうちの部隊に入りたいパイロットがおらんねん。ほら、ぶっちゃけおたく、煙たがれとるやん? 部隊を全滅させた隊長なんて、不吉すぎて嫌やん? よくある死神設定やん? おたくを部隊に入れたいなんて、余程の物好きしかおやへんやん? うちらにとってはまさに好都合やん? そんでこうやってスカウトしに来たっちゅううこや」


 と、間髪入れずに早口で捲くし立ててくる。

 ウィノア島が兵器の見本市となっている現状を言うところも、女が鼻摘み者として厄介な立場にいるところも、包み隠さずあっさり指摘するとこは、いっそ清々しい。

 口元から白い歯を覗かせて、快活に笑う様が眩しい。

 表裏が微塵も感じられない。

 

 だからこそ、

 

 珈琲の残り香共々、

 

 煩わしい。


「……きみの、素性は理解した。が、そこの不気味な格好の男の素性が皆目検討が付かない」


 女は不快感を隠そうともせずに眉根を寄せた。


「不気味って……」


 スーツの男はいかにも傷ついた顔を浮かべる。

 軽快な仕草を引っ込め、襟を正し咳払いをした。


「僕は部隊の専属整備士だよ。これでも腕は確かなんだぞ?」


 嘘八百、白々しいのにも限界がある。

 どこの国の整備士がスーツの格好でACWを整備するというのだ。


「身元の怪しい者が整備するACWに乗りたくないのでお断りしよう」


 女は紙コップを握り潰して立ち上がった。


「ちょっ、待ってや」

「なにか……?」


 断る理由が真っ当なだけに、少女は二の句が継げないようだった。

 話が続かないのなら、当然、この場に用はない。

 女は二人に一瞥もせず食堂出口に向かう。


「もうっ、ショウさんのバカ!」


 スーツの男は少女の罵声を浴びているようだが、どうでもいい。

 おかしな輩には関わらないほうが身の為だ。


「大尉は確か、ミリディアナの出身だろう?」


 その言葉に、女は足を止めた。

 が、すぐに何事もなく歩を進める。


「グレアム地区の工場に何があったか知りたくないかい?」


 足取りが重くなる。


「そこはね、マテリアル・スタニスワラ・プロジェクトの関連施設なんだよ」


 スーツの男はとっておきと言わんばかりに放ったようだが、生憎と女の琴線に触れる言葉ではなかった。


「ウィノア島はマテリアル・スタニスワラ・プロジェクトの実験場にされている。島は大尉にとっては故郷そのものだろう? 祖国が玩具にされててもいいのかい?」


 実験場とは今更の表現だ。

 そんなもの少女からはっきり言われている。

 兵器の実験場になっているくらい、ACW乗りなら誰だって気付くものだ。

話に構わず、苛立ちながら女は食堂の扉から出て行った。

 残された少女のほうは、スーツ姿の男を驚きの表情で見ていた。


「ショウさん、めっちゃ思い切っとんな。結構、深いとこまで言うてもうて」

「大尉を入れる為なんだから仕方ない。ただこれだけじゃ駄目みたいだね。彼女の信頼をどうにか勝ち取らないと進まない」


 そう言って、スーツの男は改めて襟を正した。

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