忘れ去られた記憶

「さあ朕を思い出すのだ。逢っているんだ」

「逢ってて? いつ?」

「六年前の夏、君は父親そこの男と一緒に王宮にきた」

「確かに、刺繍職人の登録をしに王宮のなかにはいったことはあるけれど」

 

なかなか思い出さないユーリーに付き合いきれなくなったのか、その日のことを口に出すように言ってきた。


「あの日は、記録しなくてはいけなかったから正殿、オウオウ殿、あっ、謁見の間にもいったわ」

「そうだ。その時に話したではないか。君のこと。好きなもの、理想の恋人などたくさん」

 

ユーリーは眼を閉じてその場の状況を思い出そうとする。

 その時、椅子に座らされて、ワインを飲まなくてはいけなくてそれを干したあと……


「私はその中で一番身分が低くて乾杯の合図でワインを口にしないといけなくて、たぶん話した時には私」

 ユーリーは冷や汗をかいた。

「酔っていて覚えていないと」

「え、ええ。顔はわかったんだけど、何を話したとかそこまでは」

「あ、あんなに楽しそうに笑っていたのに? 好きな人は至高の存在だって。つまり王だと思って。宴が終わった後から必死に探して」


 ユーリーはしどろもどろに返した。


「いや。その。好きな人は私の中で最高に尊敬できる人って意味で。現実的に位がどうとか関係ない……です」

 い やに長い沈黙に耐えかねて王のほうを見ると顔を真赤にして震えていた。

「あの」

「じゃあ朕もそうなればいいのだな。そなたに恋人はいないだろうな?」

 ユーリーは気迫にまけて質問に答えていた。

「それはいませんが」

「じゃあ朕が価値観を変えてやろう。ユーリー・フラン。今より朕の妃になれ」

「は?」

「いいだろう。そうすれば金も名誉もあるぞ」

 個人としては瞬時に断る言葉が浮かんだものの、そこに女の計算が働いた。

「陛下にはお願いがありますわ」

「なんだ? 宝石が欲しいのか?」


「陛下には民の声をお聞きいただきたい。私は家を出て政府の在り方を見てきました。その風景は地獄のようでした。畑があるのに作物が育たない村を見たことがありましょうか」


「それはないが、仕方ないだろう。国の威厳はこうしなければ立ち行かないのだ。」

「わかっております。でしたら、せめて民のための臣下の育成を為さっていただきたい」


「何を言う彼等は有能だぞ。そんな心配はいらぬ」


「ではこれをご覧ください」

 ユーリーが差し出したのは彼女が集めた何十枚と書きためた嘆願書だった。


「何たることだ。誰がこれを書いた? こんな帝国を貶めるものは処罰する。死以外ではあがなえん」


「私が主導いたしました。全て私の筆跡です。政府の在り方に疑問をもつ商人から現状を肌で感じている農民までおります。いずれ政府の者に見せるため、すべて匿名にしてありますが私は皆の顔を覚えております」

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