裏切りと悲しみ


「あ~あ。ウチとしたことがこんなことでばれるなんてね。質問するけどどうせあんた好きな人居ないでしょ。居ないなら、消えて!」


 今までのほれぼれするほど綺麗な敬語はどこかへ消え、

 優しい眼差しは鋭く、身のこなしはユーリー以上に素早くなった。


 今まで誰もが思っていたオットリ、健気、か弱いと言った雰囲気はガラリとが変わった。

 豹変したマリがユーリーの肩を叩いたのだ。

「叩いただけでも、凄い威力でしょ? なにしろ五年も訓練したんだ。あんたに復讐するためにね」


 綺麗だと、可憐だと思っていた微笑は露と消える。

 マリは攻撃をしかけてくる。マリの勢いある平手打ちは腹に、肩に、腕に、あたる。


「マリ、やめろ!」「五月蠅い! 話しかけないで」


 仲が良かったはずのレンにさえ鋭い憎しみの視線を投げて、攻撃を続ける。

 ユーリーは平手打ちや拳を受けてしまっても反撃することは思い浮かばない。


「どうしたの? これ位避けられるでしょう? 女神にあれほど鍛えてもらったんだもの」


『ユーリー避けて。マリの技は危険よ。体の中なかへ攻撃しているの』


 切り傷ではなく、骨や臓器に対しての攻撃だ。マリは胸のあたりに拳を突き出してくる。彼女は肋骨をおるようなイメージを持っているのだろう。


「なん、でマリがこんなことを……」

 ユーリーの瞳には痛みのためか涙の膜が張る。


「私は依頼屋の見習いなの。あなたの気持ちを確かめて、期待できなかったら殺せと言った人がいるんだ。依頼主も馬鹿だと思ってたけど、それに気付かないで安穏としてるあんたの方が馬鹿よっ!」


 マリの攻撃速度と技術は次第に上がっていき、ユーリーが止められるレベルではなくなっていく。


 このままではきけんだと判断した妖精がユーリーとマリの間に入り込む。


『そこまで。あんたにユーリーは殺させない』


「妖精に何が出来んのよ。力で私に勝てると思ってるのかしら。まわりのものに触れられもしないのに」


 マリは妖精について詳しいらしい。アマリリスの出来ないことを知っている。

 マリは微笑んだ。無邪気とはほど遠い笑みだった。


「知ってた? 私にはあんたの言葉が聞こえるのよ。それなのに、能天気に騒ぐあなたを見ていて何度吹き出したくなったことかわかる? おめでたい神、妖精ごときにウチの、いや。孤児の苦しみが分かるものか!」


「どういうことなのよ――マリ」

 ユーリーに向けている彼女の表情は嘲りと表現するしかないだろう。

 人の悪口を言う時はどんな人でも醜い表情になるものだ。

 マリも例外ではないようだ。


「父親のこと位知ってたらどうなの? アイツはね、奴隷売買を推奨する貴族なのさ。もちろん自分も手を染めて、孤児を買い集めて、高位の貴族に高額で売りつけた。抵抗したら」


 マリは攻撃を中断し、右袖を肩まで捲り上げた。


「こんなことになったのさ」

 そこには、くっきりと大きな痣があった。

 ユーリーは以前見た気がして眉根を寄せた。


 じっくりと考えてようやく、ユーリーの脳裏にはある光景が閃いた。


 泣き叫ぶ子供達。それを宥めすかして馬車に乗せる父の姿。

 ある時は子供に手を上げていた父がいた。

 そして、引き渡す時の父の嬉しそうな顔を知っている。


 何故ならそれをユーリーは与えられた部屋の小窓から見ていたのだから――


「まさか、父が暴力を振っていた。あの時の」


「昔のことは良く覚えているのね。私は家族がいない。曲がりなりにも貴族の娘に生まれて、かしずかれて育ったあんたには永遠にわからないわよ」

 そう言われても仕方なかった。あの時、矛先が自分に向かないように、

 父とは関わらぬように必死だった自分がいる。

 ユーリーには体に傷が残るような暴力はなかった。


「私だって止めればなにをされるのかわからなかった」


 口に出してハッと彼女は口元を押さえた。

 今の言い分では何をされるか分からなかったから動かなかった。そして行動できなかったのは仕方ないと開き直る言葉でもあった。


「だからって逃げていい問題ではなかったはずよ。両手を鎖で繋がれて、食事も一日一回しか与えてもらえない。食べ盛りの男の子は骨だけのようになって。それでも働かなくてはならくて……亡くなったわ」


 彼女は一気にまくし立てた。マリは悔やんだことだろう。

 周りの人たちが衰弱していく様子を見ても、何もできなくて苛立ったことだろう。

 あのとき彼女達が求めていたのは救済の手。


 ユーリーが誰も信じられなかったあの時、幼いマリはどんな気持ちで居たのだろうか。頼りになる人も話を聞いてくれる人もはいない。

 その中で唯一止められる子供がただ震えているだけだったと知ったならば――


 ユーリーはマリの憎しみの宿った目を見ただけでどんなに苦しかったか、

 わかった気がした。


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