3-2.敷地内から脱出

 ユーリーはドレスを裂いた布で顔を隠すことも忘れない。

 誰か知っているひとが見ているかもしれないからだ。


『やったわね』


「安心するのはまだ早いわよ。まだ屋敷の門は三つあるんだから」


 屋敷の周りは誰もいなかったが、道のりは果てしなく長いのだ。


 一応は貴族の屋敷だから視界の錯覚や方向感覚を狂わせる仕掛けが施されている。

 こんなところで見付かるわけにはいかない。


 闇にまぎれるように慎重に、かつ速やかに駆ける。

 後一つという所でユーリーは目を見開いた。


「駄目! そこの大きな道を通らなくっちゃなんないのだけど少し遠回りするわよ」



 まだ遠くに見える右の小道を示した。

「なんで? もうすぐ敷地の外にでるのに」


 彼女はそれ以上説明に時間は裂けなかった。思った以上に馬が興奮していて、命令に従ってくれない。

「ちょっと、訊いてってば」


 手網を引いても、足を使って、右へと促しても、そのまま直線にしか進まない。

「まがって!」

「ユーリー、危ない!」

 祈りが通じたのか、何とか曲がってくれた。しかし同時に鈍い音も聞こえた。

「痛いっ」


『大丈夫なの? 肩に傷が』

「そ、それより馬の前足に刺さっているの、取って!」

 ユーリーが示した左のヒズメの近くには針が根元まで刺さっていた。

「これじゃ痛いわよね。今抜くからね」


 アマリリスは器用にも並走しながら抜くことを試みた。楽観視していたアマリリスの表情はすぐに曇っていった

 痛そうに鳴く馬を心配してユーリーは走るのを止めた。

「なんで針に油まで塗ってあるのよ! まったく趣味が悪いわよ」


 悪戦苦闘しながらも、針は抜けた。

「ごねんね、アル。走れるかしら」


「大丈夫よ。この馬はそんなに弱くないからそのまま走って」

 ユーリーはまた広く馬車が通る道に進んでいった。


「しまったな。肩の傷が思ったよりも深い。血の跡が分からなければいいけど」

 ユーリーは半分以上進んでしまってから思ったが、

 それは後の祭りとしか言いようがない。


 見つからないように祈りながら走っていくと、最後の門を通りこした。

 天が味方しているのか何なのか、ユーリーは人に会うことなかった。

 計画通り、とは行かないまでも、

 ユーリーは屋敷を抜け出ることに成功したのであった。


 そして明朝、娘の失踪に慌てふためく主と、

 叱責を恐れて顔も上げられない。

 

 多数の使用人達は一番近しい世話係達が

 何処にもいないことに気がつくことはなかった。

 ✝ ✝ ✝


 屋敷から東へ随分とはなれた街道で朝日が昇る景色を見る、人影があった。


「ここまでくれば安心かな」


「だね。随分離れたし、疲れたでしょう。

 休みにしましょう。私も疲れたし~。木にひかっかった傷は平気?」


「平気で人の傷の近くに乗って移動していた奴の言うことじゃないけどね。

 あら、まだ駄目ね。血も止まってないし、痛いし。……ありがとね。さすが私の愛馬」

 ユーリーは痛そうに身じろぎしたが馬にご褒美をあげるほうを優先した。

 馬は嬉しそうに嘶いてその場に座り込んだ。


『ん~と、いい感じに薬草があるわね。このままで大丈夫よ』

 アマリリスは道端に見憶えにある草を発見し、ユーリーはそれを愛馬に与えた。

「そういえば、なんであのときに道を変えたのよ? かなり危険な行動だったわよ」

 痛い所を突かれたらしく、苦い顔をした。


「そうなんだけどね。……何となく人がいそうな気がしたのよね」


「そんなのカンでしょ? 肩を怪我してまで避けなきゃいけなかったの?」


「もしあの人だったら追って来れるもの。仕方なかったのよ。

 怪我するなんて思わなかたし」



 アマリリスは深刻に聞いてくるが、

 傷を心配しているよりはこれからの進路を心配している口調だった。


「少しは怪我をしている人間を心配しなさいよね」

 彼女はアマリリスと接して、だいぶ、口が悪くなっているのに気がついていないようである。


「アンタ、かなり地が出てきたわね」


 そんな感想にもユーリーは無視して屋敷を思った。


「もう気が付づかれた頃ね。父にも使用人にも悪いことをしたかしら」


 妖精は朝の冷え込みの中でも気にすることなく

 道草をつまらなそうにもてあそんでいる。


「なにを気に病んでいるのよ。ちゃんと手紙を置いて来たのだから、

 後悔しないの。するだけ損だからね」


 ユーリーは迷い、躊躇った末、テーブルの上に最後の刺繍と一緒に置いたのだ。


《私は屋敷を出ます。探さないでください。

 こんな私でも好きな殿方ができました。

 その彼と一緒に慎ましく暮らしたく思います》


 ユーリーは回想を止めた。


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