5. 母の死
母が亡くなったのは、離宮に移されて2日後。
夜中、折れそうな肢体を引きずりながら、寝室を出る。
「あなたも来なさい」
呼び出され、枯れ木のような細い腕に引っ張られ、
一緒に舞台までの道を歩く。
歌うことが趣味だった母は枯れ木のような細い体で舞台に上がった。
昼間は殿下お抱えの芸術団がそこを使い、練習場にしているから出入りは夜になる。
役者ではないから昼に上がることは許されない。
深夜2時。一緒に連れてこられた私。
彼女はオペラハウスへとやってきた。
彼女はあまりきれいではない声で歌い始めた。
ひたすらに高いソプラノだった。しかしきれいというには程遠く、
この世の終わりと思える絶叫。
悲嘆にくれるしかない彼女は人の目など気にしなかった。
神への賛美を歌い、悲嘆にくれて、のろいの歌を口にする。
彼女は老いと王を恨みながら亡くなったのだ。
私はのろいを誓う彼女を見ることしかできなかった。
「あなたはここで見ていなさい」
私は唯一の観客だった。
神経が狂っているときの母だけは思い出せる。
母が歌い、舞い踊るのは母の家に伝わる呪いの文言。
古代から伝わるものだから現代の話し言葉ではない。
何をいっているのかわからない。舞台の上の母が私に問いかける。
「あなたは自分のときを必要とはしていないの?――答えられないなら私はあなたの時を貰うわよ」
答えられなかった。はいともいいえとも。
舞台上の母が崩れ落ちるのはわかった。
体がじわりじわりと熱くなる。
「いいわね。若い体は」
確かに母の声だった。私の体の半分は母が支配しているようだった。
どこから持ってきたものか左手には銀のスプーン。
喉元に当てられてドキリとする。
「え?」
母が憑依したようだ。体の左半分。
「私がいなくなればお父さんはとても悲しむわよ」
「あなたがいないのは私だってかなしいわ。あなたはどちらがしたいの?」
「私は……」
「あなたは自分の時を必要とはしていないの?――答えられないなら私はあなたの時を貰うわよ」
だって信念もないし、執着もしていない。
好きなものなんてない。
私は母と父との思い出に支配されることが定めなのだとわかった。
「あなたの左半身と夜寝ている時間をもらうけれどよろしくて?」
「困る」
「そう。じゃあ昼間の左半身をもらうわね」
こうして私のようで私ではない人型の何かが完成したのだ。
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