キュウリ男と編集さん 10
その日、俺は休みを利用して某出版社の受付に来ていた。
「
「お約束はされてますか?」
「いえ、特には。ただ伝えていただいたら、それで事情が通じますので」
「わかりました。社内にいるかどうか、確認いたしますね」
受付のお姉さんは、来客向けのすました顔をしたいたが、俺は自分が入ってきた時にギョッとした顔をしたのを見逃さなかった。「キュウリ男!」と叫んだのが聞こえたのは、
「羽織屋がすぐにまいりますので、しばらくお待ちになっていてください」
「ありがとうございます」
待っている間、受付フロアにあるショーウィンドウを見て回る。ここの出版社から出された本らしい。小難しそうなものからペット関係のエッセイまで、幅広く出版しているようだ。そして本だけではなく月間の雑誌なども発行しているらしく、コンビニや本屋で見かけたものもあった。
「お待たせしました!」
元気な声がフロアに響く。ふりかえると、羽織屋さんがこっちに走ってくるところだった。
「すみません、アポもなしに突然うかがって」
「いえいえ! 私も連絡したかったんですけど、電話番号しらなくて!」
「ですよね。それもあって、こちらからうかがいました」
「助かりました!」
「どうでしょう。今から少し外に出られますか?」
「作戦会議ですよね! 大丈夫です! 上司には言っておりてきましたから!」
羽織屋さんの気合の入ったうなづきに、思わず笑ってしまった。俺がここに来たのには理由があった。それは羽織屋さんにも関係があることだ。外にでると近くのカフェに入った。オフィス街なので、昼すぎのこの時間はすいている。俺はコーヒー、羽織屋さんはカフェラテを頼み、奥の席に落ち着いた。
「まったく。本当に申し訳ない」
「いえいえ! 悪いのは小此木さんではなく、あきらめない御両親の小此木さん達ですから!」
俺がここに来た理由。それは前の休みの日に、実家の父親に呼ばれた時のことだった。
+++++
「なんだよ、急に。銀行を辞めてまだ一週間だろ? もう家にいるのに飽きたのか?」
「そんなことはないぞ。日本一周のクルーズに申し込んだんだ。母さんが今から楽しみだと言って、ワクワクしながら準備している」
「へえ、良いじゃないか。いつから?」
「来月だよ」
快気祝いの手配が終わり、あの回顧録の評判はおおむね良好だった。中には自分も書いてみたいが、どんなふうに進めたら良いのか?という問い合わせも来たぐらいだ。そんな中、父親がちょっと顔を出してくれと連絡を入れてきた。
「それで? 俺に用ってのは?」
「お前、見合いをしろ」
「……は?」
多分その時の俺は、ものすごく間の抜けた顔をしていたに違いない。
「俺と母さんがさんざん言っても聞かないんだからな。だったら見合いしかないだろ」
「なにを勝手に話を進めてるんだよ」
俺の抗議にもどこ吹く風だ。
「世話人を通して、お前に合いそうなお嬢さんを紹介してもらった。これは断れないぞ。もう相手のほうにも話が行っている。
「ちょっと待て」
「こちらがお相手のお嬢さんの写真と
封筒を押しつけられ、放り投げることもできずに受け取った。そしてしかたなく、封筒の中をのぞく。そこには見たことのある顔があった。
「父さん、これ羽織屋さんじゃないか!」
「今頃は、先方にも話が行ってると思う。いやあ、共通の知人を探すのに苦労した。だが、意外といるものだな。世間は広いようでせまい」
いや、そこでしみじみした顔をしないでほしい。
「これは禁じ手では?!」
「お見合いの日は三週間後な。お前にも休みの都合があるだろうから、早めに伝えておく。で、次の日には母さんと私は旅行に出る。戻ってくるまでじっくり考えろ」
「考えろって」
まさかの力技に言葉を失う。まさかここまでするとは。
「……どんだけ羽織屋さんを気に入ったんだよ」
「ん? そりゃまあ、息子の嫁になってくれたら嬉しいぐらいには?」
+++++
「そんな生易しいものじゃないですよねー」
「いや、笑いごとじゃないですから、羽織屋さん」
「だって笑うしかないじゃないですか」
とは言え、羽織屋さんも本気で面白がっているわけでもなさそうだ。
「ところで、どこで羽織屋家と小此木家がつながったかは聞きました?」
「いえ、そこまでは」
もしかしたら父親が話して聞かせてくれたのかもしれないが、あの日の実家での会話はほとんど頭に残っていない。
「なんでも、そちらの上司さんが私の実家近くの出身で、母方の
「どちらの上司さん?」
「そちら様の」
羽織屋さんの指は俺に向いている。
「俺ですか」
「はい」
「つまり俺の上官が一枚かんでいると」
「そのようです」
これは困ったことになった。どの上官のことかわからないが、断りづらい存在が一枚かんでいるとは。
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