第二十話 コーヒー待遇が違いすぎる件

武田たけださーん」

「まだだよー」


 名前を呼ぶと、わかりやすい返事が返ってきた。だがガッカリはしない。この時間に来ても、絶対に作業は終わっていないと思っていたから。


「武田さんの仕事ぶりを見にいっても良いですかー」

「良いけど、今やってるのは羽織屋はおりやさんの仕事じゃないよー」

「かまいませーん」


 武田さんの指が部屋の隅をさした。


「だったらどうぞー。あ、ごめーん、ここに来るついでに、そこでコーヒーいれてきてー。羽織屋さんも飲みたいのいれておいでー」

「はーい」


 そこにはこの部署専用のコーヒーメーカーがあって、ここの人達が利用しているのだ。あまりのヘビーローテーションぶりに、一週間に一回は必ず保守点検の人がやってくるらしい。


「ブラックですかー?」

「砂糖増量でー」

「了解しましたー」


 小此木おこのぎさんの主治医さんが言っていた、脳はエネルギーを使うという言葉を思い出す。武田さんの砂糖増量も、そういう意味があるのだろうか。そしてその横にあるベランダ。室内が完全禁煙になったことで、喫煙ルームと化していた。今もタバコを吸っているデザイナーさんがいる。


―― 世の中、喫煙しない人が増えているって言うけど、この会社に限っては、あまり変わってないみたい ――


 会社のルールとしては、廊下の突き当たりにある喫煙コーナーを使うべきなのだが、行ったり来たりだけでかなり時間をロスするのもあり、煮つまりやすい作業をしているここの部署では、ベランダを利用することが黙認されていた。もちろん、灰皿の吸い殻の管理を徹底することが条件だ。


「えーと、砂糖が増量と」


 自分用には、砂糖なしのミルク増量。カップを持って、武田さんの席に向かう。


「お待たせしましたー。ブラックコーヒー、砂糖増量でーす」

「ありがとー! そこのイスにどうぞ」

「お邪魔しますー」


 コーヒーを渡すと、武田さんは鉛筆立てからスティクシュガーを2本取り出し、カップに流し込んだ。


「そんなに入れて溶けます?」

「そこは、ひたすらかき混ぜて溶かすのよ」


 プラスチックのスプーンを引き出しから取り出すと、ゆっくりとカップをかき混ぜ始めた。だがその間も、視線はモニターに釘づけだ。


「もしかして、煮つまってるんですか? だったら見学は、また日をあらためてでも」

「いてくれてかまわないよ。こういう時もあるって、見ておいてもらうのも勉強になるだろうから。グラフィックデザイナーが専門職でも、頼めばポンポンとアイデアが出てくるわけじゃないって現実もね」


 そう言いながらスプーンを回し続ける。


「すみません。小此木さんの表紙の件では、かなり無理を言いました」

「ああ、そうじゃなくて。一般論だよ一般論。羽織屋さんのアレに関しては、私のほうが勝手にアイデアを出したんだから、気にすることないよ」

「でも私はデザインに関しては門外漢もんがいかんで、武田さんに頼るしかなくて」


 今回の回顧録の表紙のデザインも、自分のイメージを具体的にどう伝えたら良いのか、まったくわからなかった。だから参考に買った本を持ってきて、それと比較をしながら、武田さんにお願いをしたのだ。いま考えてみたら、ずいぶんと無茶なお願いのしかただった。いまさらながら大反省だ。


「まあそれは仕方ないね。だから私達のような、グラフィックデザイナーが存在するんだから。でも、勉強しておいて損はないと思うよ。時間がある時に、ちょっとだけでもかじってごらん? 色の組み合わせパターンだけでも、なかなか奥が深くて面白いから」

「そうします!」


 武田さんがかき混ぜるのをやめて、カップを口につける。人の好みにあれこれ言うのもなんだが、見ているだけで頭痛がしそうだ。そんなことを思いながら自分に入れてきたコーヒーを飲む。


「あ、ここのコーヒー、おいしいですね。廊下にある自販機のとは、全然、味が違う」

「そりゃあ、ここの人間が厳選した、特別なコーヒー豆を使っているからねー」

「いいなー、編集部にもあのコーヒーメーカー、ほしいです」


 編集部にはウォーターサーバーすらない。


「上に頼んでみたら? それなりのコストがかかるけど」

「そんなことできないですよ。人員削減で編集部の人間が減らされて、そこに新採用で入社した私ですよ? ちょっとでも経費のかかることを希望したら、それこそ先輩から袋叩きですよ」


 そんなこと恐ろしくて、とても言えない。


「社員の福利厚生なんだけどねー」

「廊下の自販機の缶コーヒーでがまんしておけって、言われそうです」

「それでガマンしてるんだ?」

「自販機の缶コーヒーは買ったことないです。飲みたくなったら、隣のコンビニに走ります」

「最近のコンビニのコーヒーはおいしいもんねー。あ、ひらめいたかも」

「え?」


 カップを置くと、武田さんはキーボードを自分のほうに引き寄せた。そしてマウスを動かしながら、ディスプレイに開いたままのデザイン案に色をはめ込んでいく。


「こういう題材には、こういう色合いの組み合わせとか。お客さんに特定のイメージを持ってもらうなら、この色を使うとか。小説を書く時にルールがあるように、デザインにもそれなりのルールはあるんだ」

「へえ。ああ、今はデザインの専門学校とかありますもんね」

「そういうこと」


 話を聞いているうちに、どんどん形になっていくデザインを、感心しながら眺める。


「武田さんも、そういう学校で勉強したんですか?」

「私? 私は美術大学に通ってた。本当は画家志望だったんだけど、よほどの才能がないと食べていけないからね。ここでデザイナーの募集をしているのを見て、応募したんだ。畑違いだったから、一から勉強しなおして大変だった」


 その時のことを思い出したのか、武田さんはニヤーッと笑った。かなり大変だったようだ。


「羽織屋さんは、雑誌の編集はしたことないんだよね?」

「最初についたのが河野こうのさんの下だったので、今のところ小説ばかりですね」

「ああ、そっか。河野さんが師匠だったね。ファッション雑誌の紙面デザインも面白いよ。今はシュラバってるから無理だけど、そのうち紹介してあげるよ」


 武田さんの指が斜め前をさした。こちらに背中を向けた人が一人。激しく貧乏ゆすりをしている。しかも男性だ。


「ファッション雑誌だから、女性がデザインしているかと思ってました」

「それは思い込みってやつだよ。もちろん男性女性でデザインのくせや傾向はあるけど、基本的にこの仕事に性別は関係ないよ」

「へー、驚きです」


 貧乏ゆすりが一段と激しくなる。そして頭をかきむしったかと思ったら、いきなり立ち上がった。そしてズカズカと歩いていき、ベランダに出ていった。


「メチャクチャわかりやすい修羅場状態ですね……」

「でしょー?」

「ベランダが喫煙場として黙認された理由が、わかった気がしました」

「うん。多分それで当たってると思う」


 先に外でタバコを吸っていた人が、そそくさと部屋に戻ってきた。修羅場の迫力に負けてしまったらしい。


「たぶん三十分おきぐらいに、あそこに行ってるから」

「ひぇー……めちゃくちゃタバコの本数が増えそうですね」

「まあ、あそこまでシュラバるのはめったにないんだけどね」


 モクモクとあがっている煙は見ているだけでもきこみそうだ。


「武田さんもあんなふうになるんですか? シュラバると」

「私はタバコは吸わないなー。私の場合はこれかな」


 パソコンの横にあるカゴに入っているオーディオプレーヤー。


「聴いても?」

「どうぞー、音量に注意してねー」

「?」


 電源を入れてプレイを押す。とたんにギャンギャンとけたたましい音が鳴り始めたので、慌ててプレーヤーを両手でおさえる。


「わわわわ」

「だから音量に注意してって言ったのに。普段はイヤホンつけてるからさあ」

「もー、最初に言ってくださいよ、ヘビメタが流れるって!」


 あわてて周囲を見回したが、こんなことは慣れっこなのか、誰もこっちを見ている気配がない。あせっている私を見て大笑いしている武田さんをにらみながら、停止ボタンを押した。


「シュラバったらこれを聞くんですか? いいアイデアとか全部が飛び散りそうですけど」

「飛び散って良いんだよ。アイデアをまとめたい時に聴くわけじゃないから。シュラバってる時はね、たいていは思考が袋小路にはまっちゃってる時なんだ。だから、袋小路の壁を吹き飛ばすには、それを聴くのが一番」

「あー、わかりました。武田さんがシュラバってる時は、声をかけても無視されちゃうって河野さんが言ってましたけど、あれって間違いなくこれのせいですよね?」


 こんなのを聴いていたら、そりゃあ外からの声が聞こえるわけがない。


「河野さんには内緒だよ?」

「ちなみに、まとめたい時は何を聴いてるんですか?」

「そういう時は、甘いコーヒーかなー」

「つまり今がそれだったと」

「うん。おかげでまとまった」


 武田さんが満足げに笑った。

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