第十七話 小此木家の次男次女の事情

 飲み物をありがたくいただき、次の文章を入力しようと原稿に目を落とした。そして目に飛び込んできた文書に、あやうく飲み物を噴き出しそうになった。


「え?!」


 私の声に、部屋から出ようとしていた次男さんが振り返った。


「どうしました?」

「あ、いや、ちょっと小此木おこのぎさんに確認したいことができまして」

「内容のことですか? 僕でわかることなら聞きましょうか?」

「え、いや、ちょっとそれは……」


 次男さんがのぞき込もうとしたので、あわてて原稿を伏せる。


「父の秘密でも書かれてました? どうせ本になるんです、隠すことないでしょ」

「だから載せて良いのか確認を、あ、ちょっと」


 次男さんがさっと原稿を取り上げた。そして読み始める。


「あのちょっと、一応はネタバレ厳禁なんで!」

「ああ、これか。問題なしですよ」


 該当部分を読んだらしく、私を見てうなづいた。


「へ?」


 長男さん長女さんと、次男さん次女さんで、なんとなく年が離れているなと感じたのは、気のせいではなかったことが判明した。次男さんと次女さんは小此木さんの実子ではなく、奥様の妹さん夫婦の子供だったのだ。養子になった理由は妹さん夫婦の事故死で、そのことが今回の原稿で触れられていた。


「両親が事故死したのは、僕と妹が小学生になってすぐの時ですから。小此木の両親に引き取られた時のことも、普通に覚えてますよ」

「そうなんですか」

「まさか僕達が知らなかったと思ってたんですか? さすがに僕達が知らないなら、父も回顧録には書かないでしょう」


 言われてみればそうだ。もし次男さんと次女さんが知らなかったとしても、原稿を書く時に話していたはず。


「そりゃそうですよね。ちょっと衝撃すぎて慌てました。どこから見ても、普通に四人兄弟さんだったので」

「もともと交流のあったイトコ同士ですから」


 次男さんは原稿をテーブルに置いた。


「言われてみればそうですね」

「そういう事情もあって、心配性の父は僕のことを片づけたいのかもしれないな。妹は結婚して家族ができたけど、僕はまだだから」


 困った父親ですよねと笑っている。


「自衛官さんになった理由も、そのあたりにあるんですか?」

「両親の事故死がですか? 間接的には関係してくるかな」


 次男さんは少しだけ遠い目をした。


「これ以上は世話になりたくないからと、高校を卒業したら働こうと考えていたんですよ。そしたら父が、そんなことは気にせず大学に行けと言いましてね。で、自分なりに調べて、学費がかからない防大を選んだんです。ま、そのお陰で、かなり勉強するハメにはなりましたけど」

「はー……」


 私が考えていた理由とはまったく違う。呑気に笑っているが、意外と次男さんは計算高い。


「学費を返納せずにすむ期間を勤め上げたら、退官しようと思っていたんですが、意外とここが自分に合っていることに気がついて、現在に至ります。そういう点では妹のほうが、進路を決める時に両親の事故のことを考えたんじゃないかな」

「と言いますと?」

「看護師なんですよ」

「なるほど。あ、まさか」


 なにかピンとくるものがあった。


「ご推察通り、妹も父に大学は行けと言われたので、僕の入れ知恵で防衛医科大に進みました。今も技官ぎかんとして、自衛隊病院で働いています。とまあ、僕達のストーリーはこんな感じです。聞かれもしないことまで長々と語ってしまって、すみません」

「いえいえ。辛いことを思い出させてしまったみたいで、こちらこそ申し訳ありません」

「もう昔のことです。今は僕も妹も、幸せな人生を送らせてもらっているので」


 そう言って次男さんはニッコリとほほ笑む。


「じゃあ、表紙が決まるか安達あだちさんが来たら声をかけますから、それまではここでゆっくり仕事をしていてください」

「そうさせていただきます」


 次男さんは部屋を出ると、そっと障子しょうじを閉めた。再び一人になって、入力作業を再開する。だが途中で手が止まってしまった。


―― 小此木さん自身は迷いはなかったみたいだけど、長男さん長女さんはどうだったのかなあ…… ――


 いくら交流があっても、それまでは別々に暮らしていた二人が、いきなりやってきて一緒に暮らし始めたのだ。きっと子供なりに、思うことがあったに違いない。


―― ま、見た感じ仲良し家族だし、私がとやかく心配することもないか ――


 そう思いなおし、作業を再開した。


「羽織屋さーん、よろしいですかー?」


 それから三十分ほどして、障子を軽くたたく音とともに声がした。


「はい、どうぞー」

「お待たせしました。表紙が決まりましたー」


 顔をのぞかせたのは次女さんだ。


「思ったより早かったですね」

「男衆は黙ってましたから。というか、余計なことしか言わないので、途中で発言権をはく奪しましたからね」

「おやまあ、そうなんですか」


 つまり決めたのは、奥様と長女、次女さんということらしい。


「小此木さんはそれで納得されたんですか?」

「父は母が納得すれば異論はない人なので、問題なしです」


 部屋から出ると、持ってきたデザイン案は一枚をのぞいてすべて、きちんと筒状に戻されていた。


「表紙が決まったそうで」

「うん。妻と娘達が決めてくれたよ」


 最終的に残ったのは、やはり一番最初の定番のデザイン案だった。頭取さんの回顧録ともなれば、やはり表紙はこれだろうと納得の結果だ。本文の文体にも合っていると思う。


「ここに家族写真が入るんですよね?」


 赤いラインで作られた四角。そこに今回の写真が入ることになっている。


「はい。ゲラ刷りを見てもらう時は違う写真を入れてきますけど、本番では、今日いただいた写真をはめ込みます」

「写真を入れた時、輪郭をちょっとぼかし気味にしてもらえますか? それだけで表紙の雰囲気が柔らかくなりますし」

「だったらやっぱり、最後まで悩んだ柔らかいデザイン案にすれば良いじゃないか」


 小此木さんが口をはさんだ。


「だから、それだと柔らかすぎるのよ。私はレベル5の柔らかさを求めているけど、あのデザインはレベル8ぐらいなの。だからこっちの柔らかさレベル2のデザイン案にして、写真の輪郭を加工してもらうことで、柔らかさのレベルを上げるのよ。羽織屋さん、わかってもらえます?」

「今の説明でちゃんと理解できました」

「良かった!」


 次女さんは安心したようにほほ笑む。その顔は次男さんそっくりだ。


「……とまあ、こんな感じで僕達にはさっぱりなので、あとは羽織屋さんと妹に任せます」


 父親が次女さんに言い込められているのを見て、長男さんが笑う。だがそんな長男さんの言葉に、次女さんが反応した。


「お兄ちゃんとこ、おチビちゃん達の学校でPTAで広報誌つくってないの? 最近じゃ、デザインソフトを使えるお母さんも増えたから、自分達でデザインまでやっちゃうことが多いのよ? 仕事以外のことも、熱心にアップデートしましょう」

「……とまあ、そういうことらしくて、子供がいない僕には発言権がないらしいです」


 唯一の独身である次男さんが笑う。とたんに次女さんの矛先が次男さんに向いた。


「そんなこと言ってないでしょ。発言する自信がないなら、独学でも勉強すれば良いじゃない。そしたらもう少し、洗練された印刷物が作れるようになると思うわよ?」


 次男さんが少しだけムッとしたのがわかった。


「それって陸自の印刷物がダサいと言いたいのか?」

「全部とは言わないけどダサいの多すぎ。広報担当はデザインについて、もっと勉強すべきだと思う」

「俺達は忙しいんだよ。っていうか、俺はその手のことにたずさわってないから」

「訓練や職種にかこつけて放置していたら、ますます時代に取り残されてダサさが増す」


 そう言われ、次男さんが言葉につまっている。なんのことかイマイチわからないが、次女さんからすると、陸自さんの広報用の印刷物は、デザイン的にレトロなものが多いらしい。


「おいおい。自分達にしかわからないことで盛り上がるのはよしなさい。羽織屋さんが困っているじゃないか」

「私のことはお気になさらず。表紙は本の顔になるわけですから、全員が納得するまで議論は尽くしてください」

「かんじんのお父さんの意見がはっきりしないから困るんでしょー?」


 そう反撃された小此木さんは困った顔をした。


「そんなこと言われても。どれも良いから迷うんだよ」

「あー、それは申し訳ないことをしました。たくさん持ってきすぎましたね、私」


 なにぶん初めてのこともあり、あれもこれもと張り切って用意したので、通常に比べると枚数が多くなったのは事実だ。そこは申し訳なく思う。


「いやいや、羽織屋さんは悪くないんだよ。わざわざ紙質まで提案してくれたんだ、ありがたいぐらいだよ」


 小此木一家が表紙として採用したのは、最初のデザイン案をエンボス系の紙で印刷したものだった。この紙に関しては、自分が好みで加えたものだったので、選んでもらえてうれしかった。

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