第十六話 病室で仕事するのは頭取さんだけじゃなかった件

 表紙の写真に自分達が写っているということは、表紙デザインに関しても発言権があるはず。次女さんのその意見が採用され、小此木おこのぎさん一家は、表紙デザインを決める家族会議を始めた。その間、私と安達さんはまったくの放置状態だ。


「私達はいったいどうしたら」

「ま、決まるまでは忘れられているでしょうね」


 安達さんは慣れた様子でお茶を飲んでいる。


「ですが、ここで時間をムダに使うのも、いかがなものかと思います。私はいったん会社に戻り、いくつか打ち合わせをしてきます」


 そう言って席を立った。


「あ、では私も失礼します」

「デザイン案に関してのアドバイスも必要でしょう。私は二時間ほどで戻ってきますので、羽織屋はおりやさんはこちらに残ってください」

「二時間ですか」


 表紙を決めるだけに、そこまで時間がかかるとは思えない。余った時間はどうしたら良いだろうと考えた。勝手に帰ったら、きっと安達さんのお説教だ。


「この後、なにか別の用事がありますか?」

「いえ、今日は特に入れていませんが」

「では、よろしくお願いします。ああ、軽率な行動はなさいませんように」

「……はい、承知しています」


 早々にクギをさされてしまった。安達さんは小此木さんに一言二言ひとことふたこと話しかけてから、部屋を出ていく。こちらも時間をムダにしないように、渡された原稿に目を通すことにした。


 私が自分の仕事をしている横で、家族の皆さんで熱心に話し合っていたが、その中で次男さんが真っ先に脱落した。その表情からして、飽きてしまったらしい。ため息をつきながら向かい側のイスに座る。


「良いんですか? そこに落ち着いてしまったら、発言権がなくなりますよ?」

「正直どれでも良いかなって感じで。羽織屋さんが最初に出したので良いじゃないかって思うんですが、妹がそれでは意味がないと言い出してしまって。なにがどう意味がないのかさっぱりです」


 そう言いながら、テーブルに置いてあったお菓子に手をのばした。


「今日はお仕事じゃないんですか?」

「?」

「制服じゃないので」

「ああ。今日は休みです。さすがに何度も仕事を抜けるのは無理なので」

「なるほど」


 しばらく沈黙が流れた後、今度は次男さんが話しかけてきた。


「そう言えば、れいのキュウリはどうでした?」

「ありがたく食べましたよ」

「ちなみにどのようにして?」

「キュウリサンドです」


 私の答えに、次男さんは目を丸くする。


「キュウリだけをはさむんですか? ハムはなし?」

「昔、イギリスではやったサンドイッチらしくて。記事で読んで気にはなっていたんですけど、なかなか作る機会がなかったんですよ。せっかくキュウリをもらったので、作ってみようと思い立ちまして。なかなおいしかったですよ」

「へえ。後学のために、作り方を教えてもらえますか?」


 その顔はどう見ても信じていない顔だ。たしかに私も、作ってみるまではそんなに期待していなかった。


「作り方は超簡単です。キュウリを薄切りにして、それをワインビネガーに漬けるんです。しばらく漬けた後、キッチンペーパーで水気みずけを切って軽く塩コショウ。で、薄切りのパンにバターを塗って、キュウリをはさんで完成と」


 作り方を聞き、ますます微妙な顔つきになる。


「腹にたまりそうにないですね」

「あー……体力勝負な自衛官さんには物足りないかも」


 次男さんはお菓子を食べながら、冷蔵庫に飲み物を探しにいった。だがあいにくとお茶しかないようだ。


「下にコンビニあったよな? 下のコンビニに飲み物を買いに行くけど、なにか欲しいものある?」


 家族会議中の皆さんに声をかけると、ジュースやお菓子などのリクエストが返ってくる。


「羽織屋さんはなにか欲しいモノありますか?」

「そうですねえ……」


 パッと浮かぶものがない。


「お店に行ってみないと、品ぞろえも分からないですからねー」

「じゃあ一緒に行きますか。ああ、もちろん俺のおごりですから」

「良いんですかね、下に降りても」


 ここに来た時は、いつも地下駐車場からエレベーターで直行だ。だから一階の外来や院内のコンビニすら、足を踏み入れたことがない状態なのだ。


「うっかり行ったら、安達さんにしかられますし」

「あー、やめておいたほうがよさげですね」

「ですよねー」


 残念ながら今回は、我慢しておいたほうが良さそうだ。


「じゃあ、妹と同じものにしておきます。乳酸菌系の飲み物は大丈夫ですか?」

「大丈夫です。むしろ好きなほうかも」

「じゃあ決まり。行ってきます」

「お願いします」


 次男さんが病室を出ていく。そこで部屋の一角にある、奥様が使っている和室スペースに目がいった。障子しょうじもあり、プライバシーも保たれるようになっている。さすが特別室だ。


「あの、奥様」

「なにかしら?」

「あちらの部屋、しばらくお借りしても良いですか?」


 そう言って和室を指でさす。


「かまわないけど。ああ、ごめんなさい。私達、うるさかったかしら」

「いえ、逆です。私がここにいたら話しにくいかなと。私はあちらで仕事をさせていただきますので、こちらで遠慮なく論議していただければ」

「気をつかわせてしまってすまないね」


 小此木さんが申し訳なさそうな顔をした。


「いえ。私こそすみません。お邪魔しつづけてしまって。では失礼して、あちらを使わせていただきます」


 自分のバッグと原稿を持って部屋に移動する。そして障子しょうじをしめた。どうせなら入力作業をやろうと、バッグの中からモバイルパソコンを引っぱり出す。


「持ってきて良かったー」


 普段はスマホだけで事足りるので持ち歩かないのだが、今日はなんとなく持っていこうとバッグにつめこんだのだ。フル充電状態ではないが、安達さんが戻ってくるまでなら余裕で使えそうだ。


「こんなにところにおこもりですか?」


 しばらくして飲み物を手に、次男さんが戻ってきた気配がした。そして「羽織屋さんは?」という声がして障子しょうじがあく。


「時間があるので、仕事をさせていただこうと」

「なるほど」


 次男さんは部屋にあがってきて、失礼といいながら画面をのぞき込んだ。


「父の字、読みやすいですか?」

「読みやすいです。他の手書きの原稿をお見せしたいぐらいですよ。たまにミミズみたいなのもありますし、実はデータでのやり取りで一番助かっているのは、そういうところなんです」


 変な誤変換は増えたが、クセのある文字の原稿は圧倒的に減ったので、データ化様様だ。


「あ、これ、どうぞ」


 次男さんが飲み物をテーブルに置く。


「ありがとうございます。お金、払いますよ?」

「遠慮なさらず」

「だって、キュウリもいただきましたし」


 コンビニで買ったと言っていた。スーパーとは違って、あのキュウリはきっと、割高だったに違いない。


「父のワガママの礼だと思ってください」

「ワガママだなんて。きちんと代金を支払っていただきますから、これはちゃんとした仕事です」

「でも羽織屋さん、担当を押しつけられたんでしょ?」

「まあ、手があいているのが私しかいなかったというのが現状ですし」


 最初は押しつけられた気分だったが、今は楽しく仕事をさせてもらっている。実にありがたい。


「本当に申し訳ない」

「いえいえ」

「回顧録のほうもですが、制服発言の件も」

「あー」


 私の反応に、次男さんは困ったように笑った。


「父の悪いクセなんですよ」

「真っ先に、主治医の先生を紹介されましたよ」

「あの先生も独身だったっけ。まったく父さんときたら」


 困ったように笑っている。


「で、次がそちら様でした」

「元気になってくれるのは良いけど、あのクセだけは何とかしないとなあ」

「安達さんからは言われていたので、私のことはご心配なく。失礼にならない程度にかわしますから」


 ただ、まさかあんなに早く、話が出るとは思わなかったが。


「お願いします。しかし、息子まで紹介するなんてね」

「まだ片づいていないっておっしゃってましたよ? 心配するのは父親として当然だと思いますけど」

「羽織屋さんも、お親御さんには心配されてるんですか?」


 そう質問されて考える。両親どころか、親せきにも言われた記憶がないような。


「まあ、行かず後家ごけにならない程度には、気にしなさいとは言われましたかね。今のところ、お見合いの話とかは持ってきませんけど」

「まだお若いからか」

「どうなんでしょう。あ、そちらは心配されるお年ということでOKですか?」


 小此木さんのお年を考えると、次男さんは何歳ぐらいなんだろうか。こうやって四人のきょうだいを見ていると、長男さん長女さんと、次男さん次女さんではそれなりに年が離れているように見える。


―― そう言えば、今までの原稿には次男さん次女さんは出てきていなかったような……? ――


「どうなんですかねー。四捨五入して三十ということで」

「ずいぶんと幅をもたせましたね、二十五歳から三十四歳とは」

「僕もお年頃なので」


 私の言葉に、次男さんが笑った。

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