第十五話 表紙の写真は家族写真になりました

 全員がしょぼんとなっている状態の今、原稿の話を始めるのは実に心苦しい。だがそこは、仕事なのだからと割り切ることにした。


「……まずは校正返しをお渡します。気になったところにチェックを入れてありますので、次の時までに確認をお願いします。それから、表紙のデザインができましたので、色校正を兼ねてお持ちしました」


 気まずい空気の中、封筒をベッドの足元にあるテーブルに置く。そして色校正の紙を手にした。それまでしぼんでいた人達が、表紙と聞いていっせいに立ち上がり、ベッドの足元に集まってきた。安達あだちさんにしかられてしょんぼりしていても、表紙のことは気になるらしい。


「一つじゃないんだね」


 小此木おこのぎさんは何枚もある校正刷りを見ながら言った。


「時間があったので、デザイナーがいくつか考えてくれたんです。個人的にはあまり突飛とっぴなものにするより、定番のこういう感じのものが、一番落ち着いていて良いとは思うんですが」


 武田たけださんから渡されたデザインの校正刷りを置く。最初に見せたのは、一番最初にできあがっていたデザイン案と、その色違いと用紙違いのものだ。その後に新しくデザインされたものを見せた。


「お預かりしている写真を組み込んだゲラ刷りは、今回いただく原稿の校正が終わってからになります。その時には表紙も決めておきたいので、それまでに選んでいただければ助かります。ああところで、写真に関してはどうされますか? もう決まりました?」


 前に話が出た時は待ってくれと言われていたが、そろそろ決めてもらわないといけない段階だ。


「表紙の写真はね、やっぱり家族写真にしようと思うんだ」

「なるほど。退院されてから撮るってことでよろしいですか?」

「そこまで待つと、そっちの作業が遅くなるだろ? 実は手術前、ここに全員が集まった時に撮ったんだよ。正弘まさひろ、さっき選んだ写真を羽織屋はおりやさんに渡してくれないか」

「わかった」


 小此木さんがそう言うと、長男さんがイスに立てかけてあったカバンから封筒を出した。


「これです」

「拝見しても良いですか?」

「もちろん。データのほうが良いかもしれないから、一応、USBも入れてあるよ。写真の裏に書いてある番号が、その写真のデータだから」


 写真を取り出す。ベッドに座った小此木さんを家族全員が囲んでの写真だ。小さいお孫さん達は、ベッドにあがってお爺ちゃんの膝近くに陣取っていた。


「いい写真ですね。ですが良いんですか? これ、入院中だって丸わかりですが」

「本はどんなに早くても、僕が退院してからになるだろ?」

「それはそうですが」


 入院中なので小此木さんはパジャマ姿だ。だが髪もきちんとしているし、パジャマも乱れていない。せてはいるが、やつれている感じはしない。使う写真としては問題ないように思う。


「安達さん、これ、銀行さんとしては問題なしですか?」


 安達さんの考えが聞きたくて振り返った。これは小此木さんの本なのだから、決定権は小此木さん本人にあるわけで、秘書である安達さんにはない。だが、さきほどのお説教タイムを見た後では、やはり安達さんの反応は気になる。


「お決めになったのですか?」

「うん、決めたよ」

「そうですか。でしたら、私があれこれ言うこともないですね。ただし、原稿を届けたことに関しては、やはり早計そうけいだったと思いますが」


 安達さんは秘書らしいすました顔で言った。


「それはすまないと謝ったじゃないか」

「はい。たしかに謝罪はいただきました」


 その会話を聞きながら「決めた」という言葉が、写真のことだけではない気がした。もしかして私が知らない何かが、二人の間で取り決められているのだろうか。


「羽織屋さん、その写真を使用することになんら問題ありません」

「わかりました」

「まあ、良い機会だから話しておこうか。玲子れいこには話していたんだがね。ああ、羽織屋さんもいてくれてかまわないよ。今回の回顧録のことでは、本当によくしてもらっているから」


 ここにいても良いものかと迷っていた私の顔に気がついたのか、小此木さんはニコニコしながら言った。


「実はね、辞職しようと思うんだ」

「え?」


 お子さん達が一様に驚いた顔をした。もちろん私もだ。


「いつまでも病院からリモートワークを続けるわけにもいかないし、その手の集まりを欠席し続けるのも限界だろ? 代理で会合に出席してくれている平沢ひらさわ君も、そろそろ言い訳のネタが切れる頃合いだろうからね」


 そう言って、少しだけ愉快そうな顔をする。


「もちろん今すぐというわけじゃない。いきなり辞めたら、それこそ死にそうなのかって騒がれるからね。きちんと役員会で後任を決めて退任してからの、辞職だ」

「役員の皆様方にはすでに根回しずみです。そのお陰で社内では、水面下での駆け引きがとんでもないことになっておりますが」


 安達さんはやれやれといった感じでため息をつく。


「退任するだけじゃなくて、会社も辞めてしまうの?」


 長女さんが口をはさんだ。


「そのつもりだよ。そうでないと、いつまでも会社に縛られるだろ? 今回の回顧録で昔の赴任先の話を書いていたら、急にあっちこっちに行きたくなっちゃってね。病気がいつ再発するかわからないし、元気なうちに母さんと回ってみたくなったのさ」

「再発だなんて。先生は大丈夫って言ってたじゃない」


 そう言ったのは次女さんだ。


「だが絶対というわけじゃない。それはこの病気の常だ。なんだ、お前達も一緒に回りたいのか?」

「お母さん?」


 次女さんは、奥様に助けを求めるように声をかけた。


「どうしてもと言うなら、連れていってあげても良いわよ? もちろん、自分達の旅費は自分達で負担しなさいね?」

「そういうことじゃなくて!」

「おいおい。あまりワガママ言うな。羽織屋さんがあきれてるんじゃないか」


 長男さんが私の顔を見ながら笑う。あわてて営業用の顔をとりつくろったが、遅かったかもしれない。


「これはワガママじゃなくて! 私はお父さんの心配をしているの! どう思います?」

「え、どうと言われましても……」


 話を振られて困惑してしまう。回顧録に携わってはいるが、あくまでも私は他人だ。秘書の安達さんはともかく、私に、この手の件に関して口出しする権利はないように思う。


「おい、それこそ羽織屋さんが困ってるだろ。やめろよ、他人を巻き込むのは」

「他人って! お父さんの回顧録の編集担当さんじゃない。他人だとしても、それなりに関係あると思うけど!」


 長男さんと次女さんが言い合いを始めてしまった。


「こういうことになりますが、羽織屋さんがここに来る方法は、当面の間は今まで通りでお願いします」

「わかりました」

「それとね。今度の薬の副作用は、前の薬のとは違うんだ」


 二人の言い合いをよそに、小此木さんが話を始める。


「そうなんですか?」

「うん。体に中に残っているかもしれないガン細胞のもとを、根こそぎ退治していくものらしくてね。その影響が、毛根の細胞にも影響が出るんだそうだ」

「つまり今度の治療では、味覚ではなく、髪に影響が出るということですね」


 手術前に写真を撮ったのは、それなりの理由があったのだ。


「そのとおり。もちろん、投薬治療が完了すれば、またはえてくるんだけどね。まあそう言うわけだから、ちょっと見苦しいことになるかもしれないけど、そこは我慢してください」

「見苦しいだなんて。薬の副作用なんですから、気にしないでください」

「いやあ、僕も男だからね。年頃のお嬢さんにハゲた頭を見られるのは恥ずかしいのさ。しかも、眉毛やまつ毛まで抜けちゃうらしいから」


 そう言いながらアハハと笑う。


「まあまあ、お気になさらず。ああ、それでしたら」


 ふと思いついたことがあったので提案することにした。


「表紙の写真ですが、ゲラ刷りの時はまだ決まっていないということで、仮の写真をはめ込んでおきます。本番の写真は、印刷にかかる直前に差し替えることにしますね。そのほうが人目につくのも減りますし、あれこれ漏れる可能性も減るでしょうから」

「いろいろ考えてくれてありがとう」

「いいえ」


 言い出しっぺの自分がうっかり忘れてしまわないように、どこかにメモしておかなければ。


「羽織屋さんがここまで気をつかってくださっているのです。小此木家の皆様も、以後は早計そうけいなことはなさいませんように」

「だから謝っただろう?」


 小此木さんが顔をしかめた。


「最後の最後まで、気を抜かないようにと申し上げているのです」

「わかっているよ。ところで羽織屋さん、あきらの制服姿どうだった?」

「はい?」


 まったく違う話題に頭が混乱する。


「なかなか素敵だと思わなかったかね?」


 その表情を見てピンとした。さっそく蒸し返される油断大敵ゆだんたいてき案件だ。


「申し訳ないことに、警察のかたかと思いました」

「そうなのか」


 小此木さんは私の返答に、しょぼんとした顔になった。

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