第十四話 安達さんのお説教タイムですよ
「驚きましたよ。突然キュウリもって、訪問されたんですから」
「申し訳ありませんでした。私も手術当日の前後は、連絡をするのもうかがうのも、控えていたものですから。まさか直接、
安達さんもあの日、いきなり知らされて慌ててメールをしたらしい。
「息子さんの写真、よくありましたね」
「あれも奥様から急きょ、転送していただいたのですよ」
「そうだったんですか。とにかく
少なくとも、警備員のおじさんに突き出していただろう。
「本当に申し訳ございませんでした」
「安達さんがあやまることないですよ。知らなかったわけですし」
「それもですが、
そう言いながら、安達さんは少しだけ腹立たしげにため息をついた。
「きっと手術がうまくいったせいで浮かれちゃったんですよ」
「ま、その気持ちは理解できます。我々、秘書室の人間も、連絡を受けて安堵しましたから」
「ですよね」
自分達のトップの手術が無事に終わったのだ。当然の反応だ。それが家族ならなおさらのことだろう。
「にしても
「え、それってお説教ですか?」
「それ以外のなにが?」
安達さんは不穏な空気を垂れ流し始めた。
「でも、相手は頭取さんのご家族ですよ? それでもお説教をするんですか?」
「いたしますよ。秘書の私がしなくて、いったい誰がするのですか?」
「え、まあ、そうなんですけど……」
もしかして原稿の受け渡しの前に、安達さんのお説教タイムがあるのだろうか。できることなら、こっちの用事が終わってからにしてもらいたい。
―― あ、でも安達さんと本社に戻るんだから、結局は聞かなきゃいけないことに……? ――
そこで一人で帰っても良いですか?と質問なんてしたら、きっと私もお説教される側の人間に追加だ。ここはおとなしく待っているしかない。
「ご心配なく。今日は羽織屋さんの用事がそれなりに多いですからね。そこまで長引かないと思います」
「やっぱりお説教が先なんだ……」
「はい?」
「いえ。
「ご理解いただき恐縮です」
今日の私の手荷物はかさばるものが多い。表紙の印刷見本を持ってきているからだ。持ってきたのは三案。一般的なデザインと、家族史的な本に似合う淡い色合いのデザイン、そしてちょっと変わった系のデザイン。
「でも、原稿は届けていただいて良かったです。内容からすると、今日いただく原稿が最後だと思うんです。ですから、今日中に表紙を決めてもらったら、ゲラ刷りの準備に入れるので」
「ゲラ刷りというのは、校正刷りということですね?」
「はい。本文のページ組みがあるので、原稿を書き切ってからでないと、その作業にはいけないので」
「なるほど」
病院手前の交差点で信号が赤になり、そこで車が止まった。
「思ったんですが」
前を横切っていく車を見つめながら口を開く。
「なんでしょう」
「これは単なる私の感想なんですが。銀行頭取さんのお子さんとしては、自衛官ってちょっと特殊な就職先ですよね。まあ公務員ではあるんですけど」
「ああ、たしかにそうですね。まあそのへんは、私達のあずかり知らぬ事情があるようです」
安達さんがほほ笑む。
「あずかり知らぬと言いながら、安達さんはご存じなんですよね?」
「まあ頭取のご家族とお会いしてから、それなりに長いですからね」
「なるほど」
きっと
「羽織屋さん?」
「はい?」
「
「なにがでしょう?」
後ろからあやしい車でも来たのか?と後ろを振り返る。
「彰さん、独身ですよ?」
「はぇ?」
「頭取のお子さんで独身なのは、彰さんだけなんです」
そう言えば以前、一人だけ片づいていないと小此木さんが言っていたような。
「え?! まさかそれもあれですか?! 頭取さんの悪いクセ?!」
「ご子息まで出してくるとは思いませんでしたが」
「えええええ……」
「羽織屋さん、本当に頭取に気に入られたんですね。うらやましいことです」
「うらやましいんですか?」
信号がかわり、車が動き出す。
「ええ、うらやましいと思いますね。羽織屋さんが当行の人間だったら、ちょっとした有名人ですよ」
「恐ろしい」
「よくおわかりで」
「ですよねー」
きっと未婚の女性行員さん達からものすごい目で見られ、うらやましいどころの話ではないだろう。自分が出版社の人間で良かったと、つくづく思った。
+++++
「さて、今日は小此木家の大人の皆様がおそろいのようですので、あらためてお話がございます。無関係ではありませんので、出ていかなくても結構ですよ」
部屋から出ていこうとした息子さん二人に声をかける安達さん。表情も口調も穏やかなのに非常に怖い。
「安達さん、父はやっと部屋に戻ってきたばかりだし、いきなり難しい話はやめないか?」
困ったように笑ったのは、小此木さんの長男さん。回顧録では奥様の次に登場した、小此木家の家族の一人だ。
「おや。
「……拝聴させていただきます」
「恐縮です。ではこちらに、お座りになってください」
長男さんと、今日は私服姿の次男さんは、一緒におとなしくイスに座った。その横に娘さん達が座る。奥様は、小此木さんのベッドの横にイスを置き、そこに座っていた。この様子だと、ここにいる小此木家の人々は、安達さんがなにを言いたいのか察しているらしい。
「まったく。こちらが外部に漏れないように動いているのは、いったい誰のためだと思っているのですか?」
「なんのことかな? 僕達は」
小此木さんがなにか言いだげに口を開いたが、安達さんの顔を見て黙りこんだ。
「関わる人間が増えれば、それだけ外に漏れる危険性が増えます。しかもなんですか? 彰さん、制服のままで行ったとか?」
真っ先に
「制服を着ていたのは、ここに来たのが勤務時間のあいまだったからで」
「どう考えても目立ちますね?」
「いやでも、誰にも尾行されていた気配はなかったから」
「なんですって?」
そのへんは抜かりはなかったと言いたいらしいが、安達さんには通用しなかった。ぴしゃりと言い返されて、ショボンとなる。
「はい、すみません。目立つかっこうで行ったのは間違いでした」
「目立たないかっこうで行っても間違いです」
「はい、すみません」
「あの、安達さん?」
小さくなった次男さんの様子に、奥様が口をはさんだ。
「なんでしょうか、奥様」
「それは頼んだ私が悪いのよ。彰が戻る先と羽織屋さんの会社が同じ方向だったから、ついでに届ければ良いわと軽く考えちゃって」
「はい。奥様の判断も間違いです」
「ごめんなさい。反省してます」
しゅんとなってしまった奥様に、小此木さんは困ったように笑うと、奥様の手を慰めように優しくたたきながら、安達さんを見た。
「私が言い出したんだよ。手術前に頑張って書いたから、早く羽織屋さんに渡しておきたいって。すべて私のためにしてくれたことだ。だから、あまり叱らないでやってくれ」
「締め切りが迫っているわけでもないのにですか」
「もうしわけない。反省してます」
「皆さん事情はお分かりだったでしょうに、どなたも止めなかったのは驚きです」
ため息まじりの安達さんの言葉に、その場にいた全員が口々に「すみません」と言って小さくなった。
「そういうことですので、これからも慎重に行動していただくよう、お願いいたします。私からのお話は以上です。では羽織屋さん、今日の打ち合わせをどうぞ」
「え、あ、はい……」
―― どうぞと言われても非常にやりづらいのですが、それは!! ――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます