第十四話 安達さんのお説教タイムですよ

 小此木おこのぎさんの手術の日から一週間。主治医の先生から面会のお許しが出た。安達あだちさんからの連絡を受け、いつものように本社にうかがう。そこで真っ先に話題に上がったのは、当然のことながら、小此木さんの息子さんのことだった。


「驚きましたよ。突然キュウリもって、訪問されたんですから」

「申し訳ありませんでした。私も手術当日の前後は、連絡をするのもうかがうのも、控えていたものですから。まさか直接、羽織屋はおりやさんにお届けするとは思いもしなくて」


 安達さんもあの日、いきなり知らされて慌ててメールをしたらしい。


「息子さんの写真、よくありましたね」

「あれも奥様から急きょ、転送していただいたのですよ」

「そうだったんですか。とにかく危機一髪ききいっぱつです。あの写真を受け取っていなかったら、私、きっと息子さんを追い出してましたから」


 少なくとも、警備員のおじさんに突き出していただろう。


「本当に申し訳ございませんでした」

「安達さんがあやまることないですよ。知らなかったわけですし」

「それもですが、迂闊うかつすぎます。いくら御両親のたのみとは言え、何のために私達がこうやって隠密行動をしているのか、あきらさんもわかっておられるでしょうに」


 そう言いながら、安達さんは少しだけ腹立たしげにため息をついた。


「きっと手術がうまくいったせいで浮かれちゃったんですよ」

「ま、その気持ちは理解できます。我々、秘書室の人間も、連絡を受けて安堵しましたから」

「ですよね」


 自分達のトップの手術が無事に終わったのだ。当然の反応だ。それが家族ならなおさらのことだろう。


「にしても迂闊うかつすぎます。あらためて小此木家の皆様には、きちんと申しておきませんと」

「え、それってお説教ですか?」

「それ以外のなにが?」


 安達さんは不穏な空気を垂れ流し始めた。


「でも、相手は頭取さんのご家族ですよ? それでもお説教をするんですか?」

「いたしますよ。秘書の私がしなくて、いったい誰がするのですか?」

「え、まあ、そうなんですけど……」


 もしかして原稿の受け渡しの前に、安達さんのお説教タイムがあるのだろうか。できることなら、こっちの用事が終わってからにしてもらいたい。


―― あ、でも安達さんと本社に戻るんだから、結局は聞かなきゃいけないことに……? ――


 そこで一人で帰っても良いですか?と質問なんてしたら、きっと私もお説教される側の人間に追加だ。ここはおとなしく待っているしかない。


「ご心配なく。今日は羽織屋さんの用事がそれなりに多いですからね。そこまで長引かないと思います」

「やっぱりお説教が先なんだ……」

「はい?」

「いえ。油断大敵ゆだんたいてきですから当然です」

「ご理解いただき恐縮です」


 今日の私の手荷物はかさばるものが多い。表紙の印刷見本を持ってきているからだ。持ってきたのは三案。一般的なデザインと、家族史的な本に似合う淡い色合いのデザイン、そしてちょっと変わった系のデザイン。


 武田たけださんは忙しいと言いつつ、あれから二案もデザインを考えてくれた。このうちの二つがボツになるわけで、しかたがないとは言え、なんだか申し訳なく思う。もちろんボツになったものは破棄されるわけではなく、そのまま武田さんのパソコンのハードディスクの中に保存される。そして忘れ去られない限り、別の機会を待ち続けるのだ。


「でも、原稿は届けていただいて良かったです。内容からすると、今日いただく原稿が最後だと思うんです。ですから、今日中に表紙を決めてもらったら、ゲラ刷りの準備に入れるので」

「ゲラ刷りというのは、校正刷りということですね?」

「はい。本文のページ組みがあるので、原稿を書き切ってからでないと、その作業にはいけないので」

「なるほど」


 病院手前の交差点で信号が赤になり、そこで車が止まった。


「思ったんですが」


 前を横切っていく車を見つめながら口を開く。


「なんでしょう」

「これは単なる私の感想なんですが。銀行頭取さんのお子さんとしては、自衛官ってちょっと特殊な就職先ですよね。まあ公務員ではあるんですけど」

「ああ、たしかにそうですね。まあそのへんは、私達のあずかり知らぬ事情があるようです」


 安達さんがほほ笑む。


「あずかり知らぬと言いながら、安達さんはご存じなんですよね?」

「まあ頭取のご家族とお会いしてから、それなりに長いですからね」

「なるほど」


 きっと若輩者じゃくはいものの私には理解できない領域なのだろう。


「羽織屋さん?」

「はい?」

油断大敵ゆだんたいてきですよ? 気をつけてください」

「なにがでしょう?」


 後ろからあやしい車でも来たのか?と後ろを振り返る。


「彰さん、独身ですよ?」

「はぇ?」

「頭取のお子さんで独身なのは、彰さんだけなんです」


 そう言えば以前、一人だけ片づいていないと小此木さんが言っていたような。


「え?! まさかそれもあれですか?! 頭取さんの悪いクセ?!」

「ご子息まで出してくるとは思いませんでしたが」

「えええええ……」

「羽織屋さん、本当に頭取に気に入られたんですね。うらやましいことです」

「うらやましいんですか?」


 信号がかわり、車が動き出す。


「ええ、うらやましいと思いますね。羽織屋さんが当行の人間だったら、ちょっとした有名人ですよ」

「恐ろしい」

「よくおわかりで」

「ですよねー」


 きっと未婚の女性行員さん達からものすごい目で見られ、うらやましいどころの話ではないだろう。自分が出版社の人間で良かったと、つくづく思った。



+++++



「さて、今日は小此木家の大人の皆様がおそろいのようですので、あらためてお話がございます。無関係ではありませんので、出ていかなくても結構ですよ」


 部屋から出ていこうとした息子さん二人に声をかける安達さん。表情も口調も穏やかなのに非常に怖い。


「安達さん、父はやっと部屋に戻ってきたばかりだし、いきなり難しい話はやめないか?」


 困ったように笑ったのは、小此木さんの長男さん。回顧録では奥様の次に登場した、小此木家の家族の一人だ。


「おや。野上のがみ先生のお話ですと、ここでドンチャン騒ぎをしない限りは問題ないと、お聞きしてきたのですが?」

「……拝聴させていただきます」

「恐縮です。ではこちらに、お座りになってください」


 長男さんと、今日は私服姿の次男さんは、一緒におとなしくイスに座った。その横に娘さん達が座る。奥様は、小此木さんのベッドの横にイスを置き、そこに座っていた。この様子だと、ここにいる小此木家の人々は、安達さんがなにを言いたいのか察しているらしい。


「まったく。こちらが外部に漏れないように動いているのは、いったい誰のためだと思っているのですか?」

「なんのことかな? 僕達は」


 小此木さんがなにか言いだげに口を開いたが、安達さんの顔を見て黙りこんだ。


「関わる人間が増えれば、それだけ外に漏れる危険性が増えます。しかもなんですか? 彰さん、制服のままで行ったとか?」


 真っ先に矛先ほこさきが向かったのは、やはり行動をした次男さんだった。


「制服を着ていたのは、ここに来たのが勤務時間のあいまだったからで」

「どう考えても目立ちますね?」

「いやでも、誰にも尾行されていた気配はなかったから」

「なんですって?」


 そのへんは抜かりはなかったと言いたいらしいが、安達さんには通用しなかった。ぴしゃりと言い返されて、ショボンとなる。


「はい、すみません。目立つかっこうで行ったのは間違いでした」

「目立たないかっこうで行っても間違いです」

「はい、すみません」

「あの、安達さん?」


 小さくなった次男さんの様子に、奥様が口をはさんだ。


「なんでしょうか、奥様」

「それは頼んだ私が悪いのよ。彰が戻る先と羽織屋さんの会社が同じ方向だったから、ついでに届ければ良いわと軽く考えちゃって」

「はい。奥様の判断も間違いです」

「ごめんなさい。反省してます」


 しゅんとなってしまった奥様に、小此木さんは困ったように笑うと、奥様の手を慰めように優しくたたきながら、安達さんを見た。


「私が言い出したんだよ。手術前に頑張って書いたから、早く羽織屋さんに渡しておきたいって。すべて私のためにしてくれたことだ。だから、あまり叱らないでやってくれ」

「締め切りが迫っているわけでもないのにですか」

「もうしわけない。反省してます」

「皆さん事情はお分かりだったでしょうに、どなたも止めなかったのは驚きです」


 ため息まじりの安達さんの言葉に、その場にいた全員が口々に「すみません」と言って小さくなった。


「そういうことですので、これからも慎重に行動していただくよう、お願いいたします。私からのお話は以上です。では羽織屋さん、今日の打ち合わせをどうぞ」

「え、あ、はい……」


―― どうぞと言われても非常にやりづらいのですが、それは!! ――

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