第十二話 表紙は派手にはしませんよ

「そろそろ始まってますねー」


 時計を見ながらつぶやいた。私の言葉に、隣のデスクにいた河野こうのさんが顔をあげる。


「ん? ああ、今日の朝からだったか」

「はい。時間はそこまで長くならないとは聞いてるんですが」

「ひと昔前だと、一度ひらいてみないと分からんと言われていたが、今はどうなんだろうな」

「医学の進歩はすごいですからね。予想外の緊急事態ってのは、思っているほどないんですかね」

「今はどちらかと言うと、人的ミスのほうが多そうだからな」


 今日は小此木おこのぎさんの手術の日。


 きっと今ごろ病院には、小此木さん一家が勢ぞろいしていることだろう。家族が来れば奥様も心強いだろうと思ったが、全員が集まったらさすがに大変かもしれない。特にあれこれ自己主張する、小さなお孫さん達ともなれば。そんなことを思いつつ、デスクに目を戻した。


「ところで河野さん。表紙の紙、どっちがいいと思います?」


 そう言いながら、机の上にひろげた紙のサンプルをながめる。表紙の仮デザインを、何種類かの紙に印刷したものだ。


「んー? どれどれー?」


 河野さんは座ったまま、イスごとこっちにやってきた。


「私、ツルツル系の紙より、このざらっとした紙が好きなんですよ」


 そう言って、自分が一番気に入っている紙を手にとる。


「エンボス系の紙は指紋はつかないが、汚れと紙のけばだちがなあ……それと写真は、こっちのコート系の紙の方が断然、見栄えが良いぞ?」


 河野さんはそう言うと、自分が気に入ったらしい紙を手にとった。


「それだったら、写真は帯のほうに載せてしまうってのはどうでしょうね」

「当初のデザイン案をまるごと引っ繰り返すのか。デザイナーからクレームがつかないか?」

「ダメですかねえ……」


 河野さんが言うように、写真は紙がツルツルしているほうが鮮明だ。それに色も鮮やかに刷り上がっているように見える。


「表紙から写真をはずすことになったら、今までの表紙デザインの前提が崩れるだろ。最初からやり直しだ」

「そっかー……」

「ま、羽織屋はおりやがその案をおすというなら、デザイナーと掛け合ってみるのも良いと思うぞ? まだ時間はあるんだからな?」


 私が選んだ紙の印刷をながめながら言った。


「そうですよね!」

「たが、頭取がどの案を気に入るかはまた別の話だ。案外と保守的で、俺と同じヤツを採用するかもしれないからな。ま、そのあたりはお前のプレゼンしだいだろうが」

「ちょっとデザイン担当と話をしてきます」

「おう、行ってこい」


 紙をすべて筒状に巻くと席を立つ。行き先は別フロアにあるデザイン課。うちで出版する雑誌や本のデザインになっている部署だ。


武田たけださーん」


 部屋の一角、大きなパソコンのモニターと向き合っている女性に声をかけた。私の声にその人は、こちらに背中を向けたまま、手をあげる。


「お邪魔しまーす!」


 作業中の人達に声をかけながら、その人の元へと急いだ。


「ずいぶんと早いお出ましだねえ、羽織屋さん。もしかして表紙案、早々に編集長からダメ出しされた?」

「編集長のダメ出しはいっさい無視ですよ。今の編集長は、派手にすることしか頭にないんだから」

「だよねー。回顧録のタイトルが金箔なんて、どんな高貴な人の本なのよって感じだもんね。ああ、座って座って」


 武田さんは隣のイスを私にすすめる。


「お邪魔しますー」

「さてー、それで羽織屋さんの意見はどうだったのかなー?」

「私が一番気に入ったのは、この紙で印刷したものです」


 そう言いながら、自分が気に入った紙を引っぱり出した。


「エンボス系の紙のやつだね」

「印刷の色合いの鮮やかさは落ちますけど、やわらかい感じが好きなんですよ」

「なるほどね。コート系の紙は色の沈みがないからね。色に関しては明るめにしておけば、そこまで気にならなくなると思うよ。タイトルの文字色は? そんな感じで良いのかな?」


 武田さんはやっていた作業を中断して、小此木さんの回顧録の表紙データを呼び出す。


「バックを白にするなら、黒か濃紺で良いと思うんです。サブタイトルならともかく、メインのタイトルをカラフルにしても、アレですし」

「こんな色にもできるけど?」


 そう言いながら武田さんはキーをたたいた。今まで落ち着いていた表紙が、スポーツ新聞の紙面のような色になる。


「ちょっと武田さん、これはこれで面白いですけど、回顧録の表紙としてはあんまりなんじゃ?」

「そう?」

「編集長案とは違う意味で派手すぎですよ。下手したらこれ、ちょっと昔のパチンコ攻略本じゃないですか」

「そっか。じゃあやっぱり、もとのが良いねー」


 キーをたたくと最初のデザインに戻った。


「あとは入れる写真しだいだと思うんだよね。それによって手堅い色にするか、やわらかい色にするか決まると思うんだ。写真はまだ決まっていないんだっけ?」

「小此木さんが、もうちょっと待ってほしいと言ってるので。多分ですけど、自分だけの写真にするか、家族との集合写真にするかで、かなり迷ってるんじゃないかな」

「そうなんだ?」

「はい。赴任先での家族エピソードの割合が増えてますし、そんな感じになりそうです」


 これまでの原稿を読んでいくと、後になるほど家族とのエピソードが増えていた。この調子でいくと、最初の部分は大幅に、差し替えがあるのではないかと予想している。


「実はさ、私、化学賞の先生と統合幕僚長とうごうばくりょうちょうさんの表紙も任されてるんだけど、頭取さんの回顧録のデザインも、その二つと似たようなものなんだ。でも話の内容を聞いた印象としては、明らかにプライベート寄りだよね?」

「あっちの二冊については読ませてもらっていませんけど、どう考えてもそうだと思います」


 私の返事に、武田さんはうなづいた。


「だったらやっぱり、少しやわらかいデザイン案を、考えておいたほうが良いかもしれないね」

「そうですね。でも、やわらかすぎるのも考えものだと」

「うん。しばらく時間をもらえるかな? 最初のそれは候補として渡しておくけど、もう少し考えてみるよ」

「お願いします! あ、考えついでに、写真を帯のみにのせる場合のデザインも、考えてもらっても良いですか?」

「いいよー」


 パソコンの横にある大きなメモ帳を引き寄せる。そして私が話したことと、自分なりの簡単なラフ案を書きこんだ。時代はデジタルだが、こういうアナログ的な部分はいまだに健在だ。


「話のついでに、もっと他に考えている案はあるのかな?」

「そうですねえ……」


 自分で考えていたいくつかの案を説明すると、それに対しての武田さんなりの案を提示された。話していくうちに、二人で納得のいく方向性が固まったので、あとの作業を任せてデザイン課の部屋を後にする。部屋に戻ると、河野さんが出かける準備をしていた。


「おう、おかえり。どうだった?」

「武田さん、いくつか別のデザイン案を考えてくれるそうです」

「おー。今日の武田女史はノリノリだな。良かったじゃないか」


 河野さんがニヤッと笑った。このニヤッには理由がある。というのも、武田さんは仕事のできる人ではあるが、デザインに関してはこだわりも強く、「そんな簡単に言ってくれるけど、デザイン案ってのはそんなにポンポンと頭に浮かぶものじゃないんだよ!」的な人だからだ。今回の私の提案も、それと同じ理由ではねつけられる可能性が高かったのだ。


「回顧録三冊、どれも同じようなデザインになっているので、変化をもたせたかったみたいですよ」


 だからと言って、あのパチンコ攻略本のようなデザインを出されても困る。まああれは、武田さんがヒマな時間に作った、単なるお遊びデザインだと思うが。


「なるほど。大学教授と自衛隊さんのも、女史が担当だったか」

「はい。河野さんはこれからどちらへ?」

加茂かも先生に呼ばれた。どうやら新しい話のネタが浮かんだらしい。急きょ打ち合わせだ」

「え、まだ新刊出てないのに、もうですか?」


 先生が書き終えた小説は、いま製本の最終工程に入っている。週明けには発送され、全国の本屋さんの店頭に並ぶ予定だ。


「乗っている時ってのはこういうもんらしいな。今のところ単発ものらしいが、新しいシリーズ物になってくれると良いんだが」

「今から楽しみですね!」

「話を聞いてみないと、どうなるかわからんがな」

「でも加茂先生の新作案って、だいたい採用じゃないですか」


 加茂先生は新作を書く場合、河野さんと事前に相談することが多い。それだけ、河野さんのトレンドに対するアンテナを信用しているということだ。


「単発モノってことは、今まで書いたことがないジャンルですかね?」

「そういうネタバレは厳禁なんじゃないのか?」

「あ、そうでした! ネタバレ厳禁です! ボツになったら聞きますけど、執筆に入ることになったら絶対に言わないでくださいね!」


 とは言ったものの、今から楽しみだ。

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