第六話 ちょっとスパイ映画っぽい

 いきなり行き先が変わってしまったので、デスクに戻ってからスマホで行き方を調べる。幸いなことに、東都とうと銀行本店は、ここから病院に行くルートの途中にあった。


―― よし、大丈夫。そんなに違わない。むしろ行くのが簡単になった ――


 行く予定のデパートにも、問題なく立ち寄ることができるルートだ。


「ところで羽織屋はおりや小此木おこのぎさんの書くペースの件はどうした? そろそろ、締め切り日を決めなくちゃならんだろ」


 新聞の向こう側から河野こうのさんの声がする。


「今日の量を見てから決めようかと。前回は投薬前で、それなりにスムーズに書けていたみたいですけど、今回は投薬した後ですから、間違いなく遅くなっているでしょうし」

「今回の量を基準にしたほうが、間違いはないか」

「はい。副作用がどのぐらい影響するか、小此木さんも今回の投薬でわかると思うって、おっしゃっていましたし」

「まあ、回顧録の担当は羽織屋なんだ。そこは、あっちとよく話し合って決めろ」

「そのつもりです」


 そしてお昼前、編集長と河野さんに声をかけてから、東都銀行の本店に向かうことにした。だがその前に、寄るところがある。デパ地下だ。


「なににしようかなー……」


 あれこれ迷いながら、スイーツの店がある場所を見てまわる。小此木さんも奥様も、甘いものが好きと言っていた。最初の打ち合わせの時は、定番の和菓子を持っていった。だから今回は、洋菓子系を持っていこうと思う。だがケーキは生モノだから日持ちしない。しかも場所をとる。


「となれば、チョコレートかな」


 チョコレートの詰め合わせを選んだ。これなら冷蔵庫に入れておけば日持ちする。そして一つずつ食べれば、食べすぎと言われることもないだろう。それと万が一、夜遅く原稿を書いているのを看護師さんに見つかったとしても、袖の下として一つ差し出すことも可能だ。


「我ながらいい考え~~」


 特に袖の下に関しては。


 支払いをして領収書を書いてもらう。小此木さんへの差し入れは、営業経費として認めてもらっていた。ちなみにあの回顧録三冊は、なぜか自腹になってしまった。そのことを河野さんに愚痴ったら、自社の本をバカ正直に買うヤツがいるかと笑われた。1冊ずつではあったが、自社の売り上げに貢献してなにが悪いのか。ちょっと納得がいかない。



+++



「さすが大手銀行の本店。立派なビル~~!」


 目の前にそびえ立っているビルを見上げる。うちの会社の何倍の大きさだろう。しかも新しい。ピカピカだ。実にうらやましい。


「そう言えば、移転して本社ビルを建て替えたってニュースになっていたっけ。銀行さんて、お金もってるんだなあ、うらやましい」


 もちろんそのお金の中には、微々たる金額ではあるが、自分の預貯金も含まれているわけだ。ビルを見上げながら、正面玄関に向かった。玄関脇には、いかつい顔をした二人の警備員さんが立っている。


―― うちの警備員さんとはずいぶんと雰囲気が違うなあ…… ――


 毎日のようにあいさつを交わしている、フレンドリーな警備員さんを思い浮かべた。


―― こういうところも、さすが大手銀行本店ってことかな…… ――


 警備員さんの視線を感じながらビルに入った。そしてその広さに驚く。


「ひょー……」


 思わずその場で立ち止まり、上から下まで見渡した。吹き抜けになっていて開放感が半端ない。いたる所に資料が積み上げられている我が社とは大違いだ。


「……本当にうらやましい」


 入口正面には受付があり、女性が二人、座っている。


光栄こうえい出版の羽織屋はおりやと申します。秘書室の安達あだちさんをお願いしたいのですが」

「本日、お約束はされていますか?」

「はい。一時にお約束をさせていただいています」


 その人は、手元にある端末を操作して確認をとっている。


「羽織屋様、ですね。たしかにお約束が入っております。安達を呼びますので、あちらでお待ちください」


 そう言って女性が手で示したのは、観葉植物で区切られている一角だった。そこは来客用のスペースらしく、座り心地の良さそうなイスがならんでいる。


「わかりました」


 そこへ行き、イスに座った。見た目通り、なかなか座り心地の良いイスだ。


―― 来社理由、聞かれなかったけど、もう通達済みなのかな…… ――


 そんなことを考えていると、さきほどの女性がお茶を持ってきてくれた。


「ありがとうございます。お気づかいなく」

「お待たせして申し訳ありません」

「いえいえ。本当にお気づかいなく」


 テーブルに置かれたのは、お茶と可愛らしい形をした干菓子ひがし。こちらは仕事柄、待たされることには慣れている。だからこんなふうに気をつかわれると、ちょっと居心地が悪かった。


 一人になると、お茶に口をつけつつ、目だけを動かしてフロアーを観察する。天井が吹き抜けになっているせいか、かなりの解放感だ。色調も銀行の窓口と違って暖かい感じ。


「営業するお店と本社って、かなり雰囲気が違うんだなー……」


 しばらく待っていると、メガネをかけた男性がやってきた。私を見た視線が一度はずれ、他の場所に誰かいないか探している。そして誰もいないことがわかると、視線がこちらに戻ってきた。


「光栄出版社さん、ですか?」

「はい」


 そう言いながら立ち上がる。


「失礼しました。秘書室の安達と申します」

「羽織屋です。よろしくお願いします」


 お互いにあいさつをする。


「さっそくですが、どうぞこちらへ」


 そう言って、自分が来た方向を手で示した。ついていくとエレベーターホールがある。


「あの、自分はこちらの指示に従うようにと、言われているのですが」

「はい。私もそのように聞いております」


 エレベーターに乗ると、上に行くかと思ったら下に向かっている。


「???」

「なにか?」

「上に行くんじゃなかったのかと。いま、下に行ってますよね、これ」

「まあ、屋上からヘリという手もありはしますが、移動手段としては派手すぎますのでね。経費もかかりますし」

「はい?」


 そう言った安達さんは、冗談なのか本気なのかわからない表情をしている。


「私達の行き先は地下駐車場です」

「あー……」


 と言ったものの、よくわからない。


「週刊誌の取材対象は、芸能人や政治家だけではありませんのでね。当行でも、こういう時のマニュアルはできているのですよ」

「そうなんですか」


 と言ったものの、やはりよくわからない。


「今回の件では、光栄出版さんが尾行される可能性があると聞きまして。こちらの決めた移動手段で、頭取の元へ向かっていただきます」

「私が本社こちらにうかがい、そこで原稿を受け取る方法のほうが、手間がかからないと思うのですが」


 そう指摘すると、安達さんはため息をつく。


「私もそう提案したのですが、原稿の受け渡しは直接、どうしても顔を合わせてしたいと申しておりまして。こちらの都合ばかりで申し訳ないのですが」

「ああ、小此木さんの」

「そういうことです」


 その気持ちはわからなくもない。顔を合わせて話した方が、細かいニュアンスもしっかりと伝わる。河野さんが担当している加茂かも先生も、そういう考えの持ち主だ。


「お世話をおかけします」

「それはこちらの言うことです。余計な手間をかけさせてしまって、本当に申し訳ありません」


 エレベーターがとまり、ドアがあくとそこは地下駐車場だった。


「ここは社員用の駐車場でして、来客用とは別の出入口を利用しているので、社外の人間は入ることができません」

「なかなかセキュリティがしっかりしていますね」

「最近はいろいろと物騒になりましたからね」

「あの、トランクの中に隠れて移動するとか、言いませんよね?」


 恐る恐る質問をすると、安達さんは首をかしげてこちらを見た。


「なるほど。羽織屋さんは小柄ですから、私の車のトランクにも入れそうですよね」

「え? 本当にトランクなんですか?」

「まさか! それに人をトランクに乗せるのは、交通違反になるのでは?」

「まあ、そうかもしれないですね」

「まさか、トランクに入りたいなんて、言いませんよね?」

「もちろん言いません」


 スパイ映画っぽい事態だと思っていたので、もしかしたら有り得るかもとは思わないでもなかったが。


「ご安心ください。普通に車に乗っていただきますので」

「それを聞いて安心しました」


 少しだけガッカリした気持ちがわかないでもない。


「ちなみに病院のほうでも、職員専用の地下駐車場を利用させてもらいます。そこから職員専用エレベーターで院内に入りますので、関係者以外の人間と接触する可能性はありません」

「そんなルートが確保されているんですね。なんだか秘密基地に行く気分です」

「それでも写真を撮られたりするので、油断はできませんけどね」


 安達さんはポケットから車のキーを出しながら笑った。

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