第二話 担当から逃げられそうにない

「絶対に無理ですよ、河野こうのさ~ん」

「一年目の新人の担当としては、大抜擢だいばってきだな」


 私の泣き言に、河野さんはニコニコと笑顔を浮かべる。


大抜擢だいばってきすぎてパワハラに思えてきました」

「編集長に感謝しろよ」

「人の話を聞いてください、河野さん」

「この一年で成長したな―」

「おーい、人の話を聞け―、ください」


 河野さんとしゃべりながら、どうにか穏便に逃げる方法はないかと、頭の中でグルグルと考えをめぐらせた。


「心配するな、なせばなる」

「なりませんよ」


 こっちの気持ちなんておかまいなしに、呑気に笑っている。


「せめてもう少し、私より経験がある人にしませんか? あ、ほら、茂木もてぎさんなんてどうですか? 入社十年目で、うちの中堅どころじゃないですか」

「あいつはダメ。今度、自衛隊の統合幕僚長とうごうばくりょうちょうの、回顧録の担当になったから」

「じゃあ、きしさんは?」

「あいつもダメ。今度、ノーベル化学賞をとった教授の、回顧録の担当になったから」

「なんでそんなに回顧録が多いんですか。回顧録を書くのが流行はやりなんですか?」


 偶然にしてはできすぎているのでは?と、疑いの目を向けた。


「そんなの知るか。なんなら、茂木か岸と担当を交換するか? あっちは銀行頭取ではなく、自衛隊の偉いさんと大学の教授だが」

「いえ。それこそ私には、無理っぽいっす」

「だろ」

「っていうか、どっちも無理っすー!」


 私が担当することになったのは、我が社の親会社である東都とうと新聞社のメインバンク、大手都市銀行の東都銀行の頭取さんだった。ちなみに名前が「東都」同士だが、系列でもなんでもないらしい。


「っていうかですね、親会社のメインバンクの頭取さんですよ? もうちょっと丁重ていちょうにあつかいませんか? なんでそこで、ペーペーの私に?」

「今回の話は、いきなりねじ込まれたプライベート案件だ。それを出版社として引き受けただけでも、十分に丁重ていちょうだろうが。本来なら門前払い案件だ」


 河野さんは腹立たしげに、タバコの煙を鼻から吐き出した。あまりのけむたさに、わざとらしい咳をしながら、両手で煙を払う。


「なんでそこまで、あつかいが粗雑なんですか」

「うちの編集部、人員削減で半分近くのベテランが、早期退職で肩叩きをされた。それは知ってるな?」

「ええ、まあ」


 そんな状況なのに、新規採用枠があったのは奇跡的だと、入社時に人事の人に言われた。そこは編集長の方針で、一人前の編集者を育てるのには時間がかかる。だから少なくとも毎年一人か二人は、新しい人間を採用したいと押し切ったんだとか。ただ、人員削減直後のギスギスした時期は、新人の私達にとって、かなり肩身がせまかったけれど。あ、私以外の新人、もう一人いた!


「話の途中ですが河野さん、いいこと思いつきました!」

「却下。もう一人のペーペー君は今、岸の隣で化学記号に埋もれている。化学、好きか?」

「嫌いです」

「なら、あきらめろ」


 私と同じ時期に入社した、もう一人の新人編集者、羽曳野はびきの君。彼に押しつけようかと思っていたのだが、どうやらダメらしい。


「話の続きだが、退職はまぬがれても、まったく畑違いの部署に飛ばされたヤツもいる。その原因は、あの銀行の経営再建案のせいだ」

「でもそれって、融資している会社を潰さないためですよね?」

「そこはわかっている。だが、そのせいで編集部の人員は半減し、残った俺達は、去っていった連中の担当も受け持つことになった。そのせいで今は、新たな仕事を担当する時間的余裕がない。だから比較的時間がとれるお前に、白羽しらはの矢が立ったわけだ」


 たしかにこの一年、河野さんに着いて編集の仕事を学んできた。だがまだ一人では無理! しかも担当する相手は、親会社のメインバンクの頭取。どう考えても無理スジだ。


「私、まだ一年目で、とても一人では無理です」

「だから俺が、片手間かたてまでサポートすると言ってるだろうが」

「なんで片手間かたてまなんですかー。もっと手厚くサポートしたくださいよー」

「無理。だいたいだな、まだ一年じゃなく、もう一年だろ。編集作業がどんな流れかぐらい、頭に入っているだろうが」

「それとこれとは別ですよー」


 泣きたくなってきた。


「ちなみにだ」

「なんですか」


 河野さんの声に視線をあげる。


「あそこの銀行の頭取、うちの親会社の社主と大学が一緒で、ゼミも同じだったらしい。その関係で、うちに依頼してきたらしいぞ」


 なんですと?!


「それって、私に教える必要のない情報では?!」

「大学の同期って重要だろー、しかも同じゼミだぞー」

「絶対にそれ、いやがらせですよね?!」

「そんなことあるか。重要なことだから伝えたまでだ」


 本気で泣きたくなってきた。



+++++



 そして私は、河野さんと一緒に、頭取さんに会いに行くことになった。銀行の頭取さんが使う部屋なんて、こんなことがなければ、見ることができない部屋だ。しっかり観察しておこう。


「……あの、河野さん?」

「なんだ」

「回顧録を書くのは、東都銀行の頭取さんですよね?」

「そうだ」

「ここ、銀行じゃありませんよね。どうみても、病院……」


 河野さんが運転する車が入ったのは、とある大学の附属病院の敷地だった。車が来客用の駐車スペースに止まる。


「どういうことですか?」

「ここに入院しているんだよ、今回の仕事を依頼してきた本人が」

「車を降りる前に、ちゃんと話を聞いておいた方がよさそうです」

「俺もここで話すつもりだった。社内だと、誰が聞いているかわからんからな」


 そう言いながら、河野さんは車のエンジンをとめた。


「だいたい、回顧録を書く気になった時点でお察しだろ」

「でも、自衛隊の人もノーベル賞の教授も、お元気じゃないですか」

「そっちの二人も人生の節目ふしめってやつだろ? で、こっちの節目ふしめは病気というこった」

「入院するほどなのに、書けるんですか?」


 頭の中で、さまざまな病名が浮かんでは消えていく。人生を振り返り文章に残そうと思うぐらいの病気とは、一体どんな病気なのだろう。しかもどうやら、極秘入院中らしい。


「極秘入院なんて、政治家がすることだと思ってましたよ」

「それは仮病けびょうで入院だろ。こっちは本当に病気だ。しかも、余命宣告を受けるかどうかの病気らしい」

「……河野さん、やはりここはバトンタッチということで」


 タッチをしようと手を出したが、河野さんは両手を頭の上に乗せた。


「俺には加茂かも先生の担当という、とてつもなく厄介な仕事があってだな」

「ただでさえハードルが高いのに、余命がどうのこうのなんて、無茶すぎますよ。どうやって仕事を進めたら良いんですか」


 いっそのこと社主が見舞いがてら、原稿を受け取りに来て、うちの編集長に渡せば良いのでは?


「心配するな。瀬戸際ってだけで、今のところはまだ宣告は受けていない」

「でも、頭取さんはそのことで、回顧録を書こうって思い立ったんですよね?」

「ま、色々と思うところがあるんだろ。あちらさんの希望としては、あくまでも普通に接してほしいんだと」

「無茶ぶりすぎる……」


 海千山千うみせんやませんの河野さんや編集長なら、そんな腹芸も可能かもしれない。だが私には無理だ。余命宣告を受けるかもしれない相手に、何も聞いていないかのように接するなんて、とてもできそうにない。


「一人立ちする時の仕事は、もっと簡単なハードルだと思ってましたよ」

「簡単な仕事なんてあるものか」

「だとしても、これはハードル高すぎです。しかもですよ!」


 河野さんの鼻先に指をつきつける。


「頭取さんがそんな状態なのに、片手間かたてまでサポートって、ひどくないですか?」


 どう考えてもひどい。


「だから言ったろ。編集部の人員を半分に削減されて、それどころじゃないって。まあ病気になったのは気の毒だが、それはそれ、これはこれ。これでもうちの社長の顔を立てて、大幅に譲歩してるんだぞ?」

「譲歩した結果が私に押しつけとは、いかがなものかと!」

「だからサポートはすると言ってるだろ。片手間かたてまで、だけどな」


 あくまでも片手間かたてまにこだわるらしい。


「はー……本当に根性悪すぎですよ」

「やかましい。引き受けたからにはちゃんとやるが、リストラされた連中の恨みを思い知れだ。さて、そろそろ約束の時間だ、行くぞ」

「了解しました」


 ここまできたらやるしかない。片手間かたてまサポートをフル活用して、なんとかやり遂げよう。


「ああ、それとだ。今のところ対外的には、風邪で自宅療養中ということだから、このことは極秘案件な」

「それも了解しました」


 そう返事をすると、私と河野さんは車をおりて、指定された病棟へと向かった。

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