【完結済短編】俺たちはもう交わらない

なずな

第1話

「今日も疲れたな」


 木の生い茂る森の少し開けた広場で、適当な倒木に腰を掛けそう言いながらタバコに火を付ける先輩。俺はその横に並んで座り、自分のタバコを咥えて、彼の火にその先端を差し出した。「火くらい自分で付けろ」と言いながらも火を分けてくれる先輩は、優しい。

 先端同士を合わせてから息を吸えば、紙を燃やしながらこちらのタバコにも火が移る。細い煙が二つ、混ざり合って登り飛散していくのを見届けて、ようやく彼の口元から口を離す。吐き出した煙は、先輩と俺が、混ざり合った味をしていた。

 俺は、毎晩のルーティンとなっているこの時間が好きだった。先輩と息を分け合っているような、そんな気分になれるところが好きだった。「気持ち悪い」と一蹴されるだろうからそれは伝えてはいないけれど。


 俺たちは所謂冒険者で、国の経営する軍学校を俺が卒業した二年前からこうして共に世界を巡っている。そこに目的なんてものはない。憧れの先輩に、ただ着いて行きたい──それだけの理由で俺たちは定職にもつかず、ふらふらと根無草のようにあちこち歩いていた。


「今日はもうここら辺で寝るか」

「そうっすね」


 先輩の提案に快諾して、背負っていた荷物からテントを取り出す。俺がテントを用意している横で先輩は、二本目のタバコを燻らせていた。

 先輩は、俺よりも一年早く軍学校を卒業していた。しかし俺が卒業するまでの一年間は定職に就かず、毎日その日暮らしをしていたらしい。

 筆記も実技もいつも一番で、頭の回転も早い彼ならば何処にでも行くことができたはずなのに何故。俺はそれがずっと疑問だった。

 普通、軍学校の卒業後は就職をする。成績の良い者は兵器の製造開発や軍の幹部、もしくは医療団を目指し、そうでない者は平の兵隊になるか、軍内の職員になるかもしくは、全く関係ない職につく。軍に入ったほうが国に雇われている分保障も収入も良く、卒業生のほとんど全員が軍に入るのが恒例だった。

 ちなみに今の社会情勢は何百年前まで遡っても今が一番といえるくらい安定しており、他国との戦争はしばらく起きていない。だから今の軍の仕事はパトロールや訓練が主で、実戦はあまりない。最近は凶暴化した野生生物の被害が相次いでいて、徐々に本来の需要を取り戻しているらしいけど。


「テント、建てましたよ」

「おぉ、いつもありがとな」

「たまには手伝ってくださいよ」

「気が向いたらな」


 俺は、先輩がそう言うなら仕方ないとため息を吐いた。

 そんな俺の様子を見て笑った先輩は、立ち上がって手に持っていたタバコを足元に捨てると、それを足の先で揉み消した。そして、荷物をテントの中に投げ入れ、腰に取り付けていたピストルの点検を済ませ俺に言った。


「先休んでていいよ」

「え、いいんすか」

「でも、起こしたら起きろよ」

「先輩はいつも起きないじゃないですか……」


 悪態を吐きながらも、先に休んでいていいという言葉に甘えてテントに入り、横になる。

 片手で地図を手繰り寄せて、ついでにパンも取りだす。ラスト一個だったパンを齧りつつ、地図を眺めながらこれからのことを考える。

 そろそろ食べ物……というよりも、お金も尽きるからどこか街に寄って資金を調達しなければ。手持ちの資材が高く売れればそれでいいし、そうでなければ日雇いの仕事でもしよう。そして、普段贅沢をしないあの人のためにどこかレストランでも予約して……。先輩は何故か自分のことに無頓着で、放っておけばご飯もロクに食べないし道中で負った怪我もそのままにしようとする。最初は、俺の知っている先輩像とは違い驚いたけれど、今ではそういうものだと受け入れている。単に、慣れただけかもしれない。

 俺は、明日からのことを考えながら襲ってきた睡魔に抗うことなく目を閉じた。

 適当な時間になったら、あの人と見張りを交換しなければ──この時の俺はまだ、当たり前に続いていた日常がそのまま続くものだと思っていた。


 *


 俺たちがまだ学生だった時、あの人はみんなの憧れだった。

 一年に二度ある筆記テストではいつも学年一位、年一度の実技試験では先輩の先輩たちを差し置いて校内一位だった。

 完璧超人だったけど、それを理由に理不尽なことを言うことはしない人だった。だから彼は、みんなに好かれていた。もちろん俺も、その中の一人だった。

 そんな彼は、将来は国軍の幹部だとか、医療団のエースだとか、様々な噂があちこちで立てられていた。しかし彼が選んだのはどの道でもなかった。

 俺が就活をしていた頃、夜の街で再会した先輩は、持ち前の顔の良さを使い、お酒を振る舞う仕事をしていた。


 *


「先輩なんで……」


 起こしてくれなかったんですか、と言葉を続けながら、テントの入口に手を掛ける。

 俺が目を覚ました時──テントの中からもはっきりとわかった。今は、朝だと。しかし、外の惨状までは入口を開けるまで分かっていなかった。


「……っ、先輩……?」


 周囲に生い茂る草木は赤黒く染め上げられ、見渡しても先輩の姿はない。むわりと立ち込める、重苦しいような生臭さがとにかく不快だった。

 最近、野生生物が凶暴化している──。俺はそんな話を思い出していた。頬から落ちる冷や汗に、警鐘のように煩く音を立てる心臓。俺は震える足を叱咤し、胸のあたりを押さえ、血の跡を頼りに進んでいく。


「あ……嘘、なんで……」


 歩いてすぐのところに、俺は先輩を見つけた。しかしそれは、望んだ姿ではなかった。

 彼の程よく鍛えられた身体は投げ出され、全身──特に腹部に、酷い損傷を負っていた。鋭いものによって掻き出されたような見た目に、反射的に吐き気が込み上げる。俺は側に膝を付いて、むごい身体とは対照的に綺麗なままの顔に指を這わせる。頬は酷く冷たく、少し青白く見えた。


「せ、先輩、先輩……」


 分かっている。分かっているけれど、認められるかはまた別の話。彼はもう、死んでいる。彼は、俺に悟らせることなく、静かにこの世を去ったのだ。抵抗はしなかったのか、出来なかったのか──腰に付けたピストルは出された形跡もなくそこにそのまま鎮座していた。

 揺さぶっても呼び掛けても彼はもう目を覚さない。それなのに俺は、馬鹿みたいに先輩を呼び続けていた。さぞかし酷い顔をしていることだろう。汗なのか涙なのか──ぐしゃぐしゃになった顔から地面へと、体液がパタパタと落ちていく。

 何でも出来るのに、凄い人なのに。こんなところで、彼の人生は終わってしまうのか。


「せ、んぱいっ、先輩!」


 俺の声に反応したのか、どこか遠くで不気味な大声をあげながらカラスの群れが飛び立った。

 俺は、先輩が生き返ることを願っていた。もしくは、彼が死ぬ前に戻って──未来を変えられたならばと。

 時間感覚も無く、心ここにあらずの俺の目の前の景色が、急にぐにゃりと歪んだ。何か、有害物質でも吸いこまされたのかと思い索敵をしながら腰に取り付けられたピストルを取り出す。その本能的でいて考えるよりも早い行動は、先輩から散々仕込まれた危機管理からくるものだった。


「……っ」


 次第に姿勢を保っているのが難しいほどの目眩が身体を襲う。

 見えない重荷に負けるように、投げ出された先輩の腕の中に倒れ込む。

 ──ここで共に生を終えるのなら、それはそれでいいかもしれない。

 そんなことを思いながら、目を閉じる。無重力空間にいるような感覚と、脳裏に流れ込む、誰かの記憶。それは、巨大な野生生物が誰か──いや、俺を襲う映像。やけに鮮明なそれに、思わず叫びそうになる。心臓が大きく鼓動を打ったその瞬間、先輩の指先が僅かに動いて、俺の素肌を撫でた──ような、そんな気がした。


 *


 先輩と旅を始めたきっかけは、彼と二度目に会った時のことだった。

 周りのほとんどが就職先を決める中、どこにも受かっていなかった俺は、なんとなく引き寄せられるようにして彼の元を訪れた。身の丈に合わない高望みの就活に疲れ果て、現場仕事なら受かるかなと自虐的になっていたその時は、彼に何か救いのようなものを求めていた気がする。もしかしたら、初めてちゃんと話した時のことが忘れられなかったのかもしれない。彼なら、俺が欲しい言葉をくれるかも。そう思って、酒場の扉を開いた。

 客の立場とはいえ、ただ話を聞いてもらうのは忍びなく、なけなしの金を叩いて彼に酒を振る舞い、二人で話していた時──先輩は俺に提案をした。


「ここで求められてないなら、俺とどっか旅でも行く?」

「え、旅?」

「そう。俺さ、もうここ辞めるんだよね」

「えっ、なんでですか。こんなに仕事出来るのに」

「出来ることばっかりしてても仕方ないだろ」


 先輩の口から出たその言葉に、俺は心底驚いて、思わず言葉を失った。出来ることばかりしていても仕方がない、だなんて口にする人、他にいるのだろうか。

 俺は、希望を捨てて堅実な就活をしようとしていた自分が恥ずかしくなって、視線を下に落とす。そして、先輩の言葉をリフレインさせながら考えていた。

 彼と──旅をしたら、どれほど楽しいだろう。もしかして、彼と一緒ならこんな俺でも何かになれるのかもしれない。


「俺、行きたいです。先輩と」

「そっか、じゃあ、卒業したらな」

「はい。もうあと少しで卒業なんで。待っててください」

「約束な」


 俺と先輩は、どちらからともなく飲みかけのグラスを交わした。そして、残っていた中身を一気に飲み干し、笑い合った。

 これをきっかけに俺は就活を辞め、そのまま卒業し、先輩とあてのない旅を始めた。

 物語の中の冒険のように立派な目的なんてもの持ち合わせていなかったけれど、彼と過ごす時間は新鮮で刺激的で、とても好きだった。


 *


「今日も疲れたな」


 木の生い茂る森の少し開けた広場で、適当な倒木に腰を掛けそう言いながらタバコに火を付ける先輩。

 俺は、得体の知れない浮遊感を覚えながらも何とか姿勢を留める。


 ──まさか、そんなこと。俺は、目の前の光景が信じられなくて何度も目を擦り、頬をつねり、最終的にはセルフビンタをした。あんなに重傷を負っていた先輩が生き返った、とでもいうのだろうか。


「先輩」

「どうした? コレ、いらないのか?」


 いつもならすぐに火を強請る俺が立ち尽くしているのを、先輩は不思議そうに見つめる。


「い、いや、いります」


 自らの胸ポケットからタバコを取り出し、それを咥え先輩の口元に寄せる。

 いつもよりも長い時間をかけて丁寧に息を吸うと、先輩と俺が混ざった味が、口の中いっぱいに広がった。それを肺まで吸い込んで、空に向かって息を吐き出す。新鮮な森の空気に散っていく煙を、もったいない、と思った。


「どうした?」

「え?」

「いやなんか、様子おかしくないか?」

「そう……ですか?」


 俺は先輩の顔をまじまじと見つめ、これが夢でないことを再度確認する。


「今日はもうこの辺で休むか」

「はい……あっ、いえ。もう少し進みません?」

「お前が夜道進みたがるの珍しいな」

「最近……物騒ですから」

「まあそう言うなら、夜も更けないうちに行くか」


 先輩はタバコを捨て、足の先で揉み消すとひとつ伸びをしてリュックを背負いなおした。

 俺も再度歩き出す準備を済ませ、彼の少し後ろを歩く。


「あ、そうだ。腹減ってない?」

「え? あぁ、少しは」

「荷物の中に最後のパンがあったろ? アレ、食べていいよ」


 最後のパン──俺はあの時確かにそれを食べたはず。そうか、先輩はそれを知らないんだ──と思い、もうないということを証明するためにリュックを開く。


「え、いや、嘘でしょ……」


 その瞬間、思わず困惑の声が漏れた。そこには、食べたはずのパンがあったからだ。

 つまり、先輩が生き返ったのではなく──時間が、戻っている。

 理屈は分からないが恐らく、気を失った瞬間に、タイムリープが始まっていたのだろう。


「……どうした?」

「あっ、いえ……っ。あの、コレ、半分こしません?」

「いや俺は……」


 いらない、と言いかけた先輩の手に、半分にしたパンを無理やり持たせる。

 何となく、これを一人で食べるのは嫌だった。

 そのまま二人、パンを食べながら歩き、月が真上に出た頃──街の近くでテントを張ることにした。


「街の近くなら安全ですよね」


 本当は街の近くでなく、街の中に泊まりたかった。しかし、二人分──いや、一人分の宿泊費すら持っていなかったのだ。

 そう言いながら荷物を下ろし、テントの用意をする。先輩はいつものようにタバコを燻らせながらこちらを見ているだけだった。月明かりに照らされながら煙を吐き出す先輩の横顔はまるで彫刻のように美しく、男の俺でも思わず見惚れてしまうほどだった。


「いつもみたいに手伝えって言わないの?」

「……っ、言ったって、手伝ってくれないじゃないですか」

「ははっ、確かに……」


 そう言いながら先輩は、タバコを咥えたままテントを張るために使う部品を拾い上げ、それを取り付けた。


「えっ……」

「たまには、たまにはな」


 先輩のその珍しい行動に目を丸くしていると、先輩は俺の手から部品を取り上げ、それも取り付ける。あっという間に完成したテントを見ながら、やっぱりこの人はやらないだけで出来るんだ、なんて考えていた。


「先休んでていいよ」

「……っ、いや、いいです。いつも通り、先輩が先で」

「疲れてるんじゃないの?」

「大丈夫です」


 強がりのように発した言葉。先輩は俺のことを見透かしたように笑うと、俺の頭を撫でた。


「無理すんな」

「無理なんて、そんな……っ!?」


 先輩の大きな手のひらが、突然俺を突き飛ばす。急なことに対応できなかった俺の身体は、情けない格好で草むらに転がった。

 俺は、咄嗟に叫ぶ。


「先輩……っ!」


 起き上がった俺が見たもの。それは──……。


「先輩! 先輩!!」


 野生生物を誘導しながら俺に背を向ける先輩。俺より先に敵の存在に気付いた彼が囮になったのだと気がつくまでそう時間はかからなかった。

 先輩に加勢しようと立ち上がった俺の身体は、すぐに地面に戻される。腰が抜けているのだと思った時には既に、全てが終わった後だった。


 *


 今よりも先輩のことを知らなかった学生時代。就職が決まった友人のお祝いのために繰り出した夜の街で出会ったその人は、学生時代の泥に塗れたカーキ色の服から一転、白色のパリッとしたシャツと、汚れひとつない黒いベストを身につけていた。

 思いもよらぬ再会に、少し重たい木製の扉を開けたまま固まる俺を先輩は怪訝な顔をして見つめながらも歓迎してくれた。


「いらっしゃいませ。そちらのカウンターどうぞ」


 接客業にしてはややそっけないものの、彼の整った顔立ちではそれすら画になる。

 俺が入店するのを後ろで待っていた友人はその声を聞いた瞬間に転げるようにしてカウンターへと着席をした。


「せ、せせせ、先輩!? なにしてンすか、こんなところで」

「あぁ、そのピンバッジ、軍学校の生徒か。何って、見ればわかるだろ、仕事だよ」

「まさかこんなところで働いていたとは……」

「そこの──……お前も座りなよ。一杯目、何にする?」


 先輩は俺に目配せをして席を指差した。俺の名前を呼ばなかった彼の言葉に、そうか、俺のことなんて知らないのかと当たり前のことに今更気付く。

 それぞれファーストドリンクをチョイスし、先輩が酒を作るのを見ながら提供を待つ。ここら一帯では高級店とされるこの店の店内には、他に客は居なかった。


「お待たせしました」


 俺と友人の前に差し出される、ショートカクテル。金色の液体がシュワシュワと泡を立てて煌めいていて、飲み口には同じ色の果物が飾られていた。


「──じゃ、改めて就職おめでとう」

「おう、ありがとな」


 二つのグラスが音を立てて交わる。俺は、先輩が作ってくれた飲み物を、まるで神聖なもののように大切に口を付けた。

 俺たち二人は、これまでの思い出話やこれからのことについて休む間もなく話し続けた。先輩はそれを聞きながら、いや、聞いてはなかったかもしれないけれど──とにかく、気に留めることなく仕事をしていた。

 入店して一時間が経とうという頃、程よくアルコールの回ったらしい友人は先輩に話を振った。店内にはまだ客が居らず、暇を持て余しているらしかった先輩は嫌な顔ひとつせずそれに答える。


「先輩ならどこにでも行けたはずなのに、なんでこんなところで働いてるんすか?」

「どこにでも行けた結果がここだよ」

「いやっ、そういうことじゃなくて、医療団にでも、幹部にでも──そういうところに行けたわけじゃないっすか」


 先輩は、少し考えた後で口を開いた。彼の唇から紡がれた言葉は、突拍子もないものだった。


「この世界で唯一平等なものって、何だと思う?」


 先輩の突然の問いかけに、俺と友人は目を合わせて首を傾げた。

 どう答えたら正解なのか──俺は、手元のカクテルに目を落としながら考える。この回答は、間違えてはいけないような、そんな気がした。

 隣で友人が答えを言う。しかしそれは、間違っていたらしい。

 俺は、何とか手繰り寄せた答えを緊張して震える唇で伝える。


 ──それは、死ぬこと。


 俺のその言葉に、友人は目を丸くして、先輩は微かに口角を上げた。


 ──正解。


 先輩はそう言うと、諭すような口調で解説を述べる。


「親も生まれも選べない人生で──死ぬ場所だけは、自分で選択出来るんだよ。俺は、死に方は、自分で選びたい。だから、軍には入らない。有象無象の内の一人になって死ぬのなんか、ごめんだからな」


 隣で聞いていた友人はポカンとしていたけれど、俺の心にはその言葉がストンと落ちたような、そんな気がした。

 先輩はそれ以上俺たちと会話をすることはなく、その日はそのまま帰路に着いた。

 あれからずっと、先輩の言葉が耳に、脳裏に、心に残って反響している。


 *


「今日も疲れたな」


 木の生い茂る森の少し開けた広場で、適当な倒木に腰を掛けそう言いながらタバコに火を付ける先輩。俺はその横に並んで座り、自分のタバコを咥えて、彼の火にその先端を差し出した。「火くらい自分で付けろ」と言いながらも火を分けてくれる先輩は、やっぱり優しい。

 二度目のタイムリープの後で俺は確信した。何故だか分からないけれど、俺の願いと共鳴して時が戻るようになっている。

 ただ、どうすれば先輩が死なない未来を迎えられるのか──それが俺には、わからなかった。


「……先輩。俺、見張り先やりますよ」

「……ん。分かった」


 けれど、時を繰り返す中できっと、答えは見つかる──そう信じて、疑わなかった。


 何十回も、何百回も、先輩が死ぬのを見届けるまでは。


 *


「疲れた」


 先輩は、木の生い茂る森の少し開けた広場で、適当な倒木に腰を掛けそう言った。彼の長い足は、持て余すようにして投げ出されている。


「そうっすね……」

「火、つけて」


 気怠そうな顔でタバコを咥え、その先端を俺に差し出した先輩。

 何百回ものループの間に、逆転した関係性。一回目の今日よりも、先輩の顔に疲れが滲んでいるような気がする。

 もしかしたらこの繰り返しは、もう辞めるべきなのかもしれない。俺は、自分のタバコに火をつけながらそう思っていた。

 火種が十分加熱されたことを確認して、先輩の口元に唇を寄せる。ふわり、と香りが混ざり合ったことを確認して俺は、口を離した。


「……なあ、もう辞めてくれよ」

「え?」


 先輩の言葉は、会話だけ見れば脈絡のないものだった。しかし、今この状況だけを見れば、筋が通る。その理論は、先輩がタイムリープに気が付いているときだけ使えるものだけれど。


「悪かったよ、俺が」

「先輩、何を」

「俺がかけた呪いに、お前の願いが共鳴したんだと思う」

「呪い……って」

「とぼけんなよ。もう辞めよう」


 先輩はそう言うと、リュックを持ち上げて歩き出した。俺はしばらく呆然としていたが、慌てて立ち上がりその後ろ姿を追いかける。


 そこは──。


 先輩を何度も引き裂いた野生生物の巣に、迷いなく突き進んでいく先輩。

 俺は先輩ほど、身軽には進めない。何回繰り返しても恐怖心が勝る。

 そして辿り着いた、巣の中央部。

 俺を何度も絶望に陥れたアイツが、赤く鋭い目つきでこちらを睨みつけていて、今にも飛びかかってきそうな雰囲気を醸し出していた。


「……お前はもう、出て行けよ」

「い、やです。先輩を置いて行けないです」

「……」


 先輩は舌打ちをひとつすると、俺の腹に思い切り蹴りを入れた。同じくらいの身長なのに、彼の力はやけに強い。吹き飛ばされた身体が地面に叩きつけられ、俺はその場に胃の内容物を吐き出した。


「……げほっ、せ、先輩……っ」


 痛みを堪えながらもなんとか顔をあげ、野生生物に突っ込んでいく先輩の後ろ姿を捉える。

 その瞬間、反射的に俺は走り出し、先輩と敵の間合いに入り、先程彼に食らった一撃をそのまま返す。


「……先輩、ありがとうございました」


 驚いた顔でこちらを見上げる先輩にお礼を告げ、ダメ元での一撃を相手にお見舞いする。しかし、見た目に負けず劣らず、ヤツのガードは硬いらしい。

 かすり傷程度の攻撃しか与えられなかった俺は、なす術もなく、鋭い爪によって裂かれ、その場に倒れ込んだ。

 これまでの傷の比でないくらいのおびただしい出血は、嫌でも死を意識させられた。


 ──これを、先輩に何度も味わわせてしまったのか。


 俺が最後に感じたのは、先輩への申し訳なさだった。そして、二度とこんな痛みはいらないと思うほどの、激しい、痛み。


 *


「先輩、前に言ってた、理想の死に方ってなんですか」


 *


「火、つけて」


 終わったはずのループ。終わっていない、悪夢の一日。

 丸太に腰掛け、足を伸ばしている先輩の姿に、絶望感すら覚えた。


「なんで……」

「言っただろ、死に方は自分で選びたいって。俺はお前を助けるために、一番最初に時を戻したんだよ。覚えてないのか。最初に、殺された時のこと」

「最初に……?」


 俺は、必死に記憶を辿る。

 そして、初めてのループの日に、脳裏に流れ込んできたあの出来事を思い出した。あれは、誰のものでもない。俺の記憶……ということだろう。

 俺は、先輩に助けられているつもりで──ずっと、先輩に助けられていたのだ。


「なのにお前が、俺の呪いに便乗するから、こんなことになったんだ」

「……っ、そんな」

「なあ、火」


 先輩は強請るように、俺にタバコの先端を見せつける。

 俺は、自分のタバコに火をつけて、その先端を寄せた。

 いつもよりも長い、シガーキス。

 すぐ近くにある先輩の顔は、憂いを帯びていた。


「お前さ、何のために俺と旅してんの」

「え?」

「俺は……ここまで着いてきたお前には怒られるかもしれないけど、最初は死に場所を探してた」

「そう、ですか……俺は……」


 俺は、何のためにここまできたのだろう。

 それを考える中で、思い出したのは先輩に誘われた時のことだった。


「俺……就活もうまくいかなくて。でも、そんな時に先輩に誘われて……あなたとなら、何かになれるかもって、そう思って」

「……そっか、それならもう、なってるんじゃないか。何かには。少なくとも、お前の同級生の中でお前に勝てるヤツ、もういないだろ」

「……」

「俺はお前に、俺の知ってる全部を教えたつもりだし、正直もう教えることもないと思ってた。だから……」


 話していた先輩の身体の力が突然抜け、手に持っていたタバコが転げ落ちる。草むらに落ちたそれを、先輩は最後の力を振り絞るようにして足で思い切り踏み潰した。

 その瞬間に香る、いつもとは違う煙。

 彼の頭が俺の膝に載った瞬間、先輩の持っていたタバコが、毒の詰められたものだと気が付いた。


「……引導渡したとか、思わなくていいからな」

「はい」

「俺の荷物の底に金が入ってる。今日はそれで、街に泊まれ」

「はい」

「この呪いの契約は──……どっちかが死ぬこと。元々、俺が決めたことだから、お前は……」


 徐々に弱っていく、先輩の声。それでも、伝えたいことがあるのだろう。途切れながらも俺にメッセージを伝える先輩に、俺はただ、バカみたいに同じ返事を繰り返すことしかできなかった。


「これで、最後な。俺は……最期がこれで、良かったと思ってるよ。お前はここで、生きろ。もう、繰り返すな」

「……はい」

「……泣くな」

「最後、って、言ったのに」


 俺のその言葉は、先輩に届かなかった。

 完全に力の抜けた先輩の重みは、身体にも心にものしかかる。

 一人で散々泣いて、泣いて、泣き腫らして泣き疲れた頃、俺はようやく腰をあげた。

 先輩の言う通り、荷物の底にはそれなりに大金が仕込まれていて、これだけあれば今日の宿と、それから、先輩の弔いには足りるだろうと頭の中で計算をした。

 俺は、移動前に心を落ち着かせようとタバコに火をつけ──そして、いつものクセで先輩の口元にそれを寄せようとして、彼の吐息と交わることは無いのだという現実を改めて突きつけられた。

 ひとりぼっちで吸うタバコ。

 それは何だか、味気のないものだった。

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