第18話 前向きな男

 それからが大変だった。

 全てを知ったがやる事は沢山あった。拘束したソラノの扱い、香の配合を治療師に渡して処置、その間にもシルトが本来行う執務も増えていく。出来る範囲、出来ない範囲、それらを分けながら走り回っていれば、シルトの誕生祭まで明日に迫っていた。


 しかし、シルトは未だに目覚めていなかった。


 治療師が言うには、処置は終わっているので後はシルト次第だという。目覚めるのは確かだが、今日か明日かわからない。そう言われた。

 俺は、目覚めた時は必ず側に居たかったので、手が空いたら寝室にいた。ベッドの傍で椅子を置いて、そこに座ってシルトの寝顔をただ眺める。美人は三日で飽きると聞いたが、全然飽きない。いやあ、俺のシルトは最高に可愛いからなあ、仕方ない。

 結局、俺はシルトに誕生日プレゼントを用意出来なかった。当初の俺の計画は全部潰れたから当たり前だ。報酬なんて俺の手元にはない。もしあったとしても、この状態のシルトを置いてはどこにも行けなかっただろう。


 それ以前に、俺はシルトの誕生日にあの綺麗な瞳を見る事さえ出来ないのだろう。


 既に日は落ちて、寝室には仄かな灯りしかない。そう、今日という日が過ぎれば、誕生日だ。欠伸を噛み殺して、座る椅子の背もたれに体重をかける。ギッと軋んだ音でさえ今の室内ではよく響いた。俺は特別に何も考えず天井を眺めてぼうっとしていた、するとノック音が響く。

 俺は、返事をするべきだった。でも何故か、今はこの室内でじっとしていられなくて。椅子から立ち上がり、扉へ向かう。黙って扉を開くと、そこにはフランシアさんが立っていた。

 俺の返答を待っていたのだろう、扉前で姿勢良く立ちながらその表情は驚きに満ちていた。


「……タカ」

「あ、フランシアさん」


 しまった、行儀が悪いと怒られるだろうか。しかし、フランシアさんは俺をじっと見たが、その手に鞭を取り出す事はなかった。ただその手元には見事な細工を施された小箱を抱えていた。何だ、あれ。


「陛下は……お目覚めになられましたか?」

「いえ、まだ気持ちよく眠ってます。すぐに起きますよ、大丈夫です」

「……そうですか」


 きっとフランシアさんもシルトが心配に違いない、ここは俺が励ましてやらなくてはならないだろう。そう思い明るく返答したのだが、相変わらず感情の読みづらいフランシアさんは俺を黙って見詰め返すだけだった。その時、一瞬辛そうに眉を顰めた気がしたが、大丈夫だろうか。


「今日は、これを貴方に持ってきました」


 そして、フランシアさんが俺へ手元に持っていた小箱を差し出した。俺は、それを眺めて首を傾げる。

 俺に持ってきた、と言っていたがこんなものを貰う予定はどこにもない。もしかしたら、俺個人へと差し入れとかだろうか。

 そんな期待に満ちた感情が顔に出ていたのだろう、フランシアさんは呆れたように頭を振った。あ、これやらかしたな俺。


「やはり、覚えていませんか。もしかしたら聞いてすらいませんでしたね」

「う……! ええと、その…………も、申し訳ありません」

「いえ、私も話す時期が悪かったのでしょう。それは貴方のものですよ」

「……俺の?」


 俺は、その小箱に手を伸ばす。それを両手でしっかりと受け取ると、フランシアさんは笑った。それはとても穏やかな微笑みだった、



 ◇◇



 手元に小箱を抱えて、俺はシルトの寝室に戻る。戻った室内はやはり何も変わらず静かだった。そのまま、真っ直ぐシルトが眠るベッドへと向かう。

 黙って側に立つ。美しい白銀の髪はそのままで、閉じた目蓋が開く事はない。フランシアさんと少し長めに話してしまったから、そろそろ今日は終わり、日付けが変わる頃だろう。そして、シルトの誕生日になる。


 俺は、静かに木箱を開く。そこにあるのは、刺繍が施された布だ。脈動感溢れる二匹のミミズと粒、ではなくて、月と星。それは間違いなく俺がシルトの為に縫った刺繍だった。

 無くなったはずの刺繍、それを預かっていたのはフランシアさんだった。どうやら俺がいなくなった時に部屋でこれを見つけたらしい。それをフランシアさんは、無くさないように預かってくれていた。

 そして、それについて俺に訪ねてくれていたのが、あの日言っていた十日前。全く聞いてませんでした、すいません。

 察しの良いフランシアさんは、これが誰の為に作ったものか理解してくれていた。だからこんな小箱を用意してくれて、俺が取りに来るのをずっと待っていてくれたのだ。

 流石フランシアさんっす、一生頭が上がらない気がする。


 小箱を、シルトの枕元にそっと置いて俺は両手で、刺繍入りの布を広げた。本当ならばハンカチ的なモノとして使って欲しくて、作り始めたものだ。


「……しかし、下手くそだなあ」


 歪すぎる作品に、苦笑が出る。本当ならば誕生日、今この瞬間に、これをシルトへ渡していたのだ。どうだ、約束通りの品だとか胸を張って渡していた事だろう。それを見たシルトはどういう顔をするだろう

 眉を顰める? 残念そうな顔をする?

 まさか、アイツに限ってそんなはずはないよな。いつもみたく笑うのだ。黒曜石みたいな瞳を甘さに蕩けさせて、心から幸せだと俺に笑いかけてくれる。ありがとう、嬉しいと弾んだ声を聞かせてくれる。

 そう思って、刺繍を眺めたそこに、ぽつりと雫が落ちた。


「あ」


 ぽつぽつ、と続けて落ちていく雫。それは、いつの間に流れた涙だった。一度流れたそれは止まる事はなくて、頬を濡らしていく。すると、堰を切ったように感情が溢れた。


『お前は、大丈夫か?』


 ふっと浮かんだのはガルムの言葉だった。


 ​───大丈夫、なんてずっと嘘だ。


 本音は全然大丈夫じゃない。いつもなら笑って楽しい事に思考を持っていける。奴隷の時も孤児の時もそうだった。能天気に、何も考えずに前だけは向いていられる。それなのに、これだけはどうして無理だった。

 寝ようとしても、何かしようとしても、シルトがこのまま目覚めないんじゃないかという考えばかりが巡って止まらない。怖くて、苦しかった。大丈夫だ、大丈夫だと何度も自分に言い聞かせても、全くきいちゃくれない。


 布を力強く握り締めながら、押し殺した泣き声が零れる。

 ああ、本当に俺は馬鹿野郎だ。馬鹿は死なないと治らないとよく言ったものだと思う。これだけの感情をシルトはずっと抱えて、生きてきたのだ。

 目が覚めて欲しかった。お前が産まれて、今日まで生きてくれていて、ありがとうと。お前を心から愛してると、しっかり伝えたい。


「っく、シルト……っ」


 鼻水混じりの情けない声が出ても、俺の涙は止まらなかった。既に自分では制御の利かなくなった涙腺は壊れていた。このまま一生止まらないのでは、と思う程だ。

 咄嗟に手元にあった刺繍を目元に押しつける。溢れる涙を吸って、どんどん湿っていく。その時、何かがぐっと下へ引っ張った。


 何が、とそちらを見る前に声が響いた。


「……それは」


 その声は、掠れていた。でも、ずっと聞きたかった声だ。

 驚きから布から手が外れる、するりと手からすり抜けていく。そして、それは下に落ちるわけでなく大きな手にしっかりと握られていた。

 その手の主を確かめるように、身体へ、そして顔に視線が動く。そこで、黒曜石の様な瞳と目が合う。それだけで俺の胸はいっぱいになって、言葉が出てこない。


「────私にくれる、物だろう……?」


 そう言って、目覚めたシルトは笑った。

 俺は自然と頬が緩む、涙もいまだ頬を流れ落ちている。手は無意識にそちらに向かっていく。

 言いたい事は沢山あった。心配かけるなとか、起きるのが遅いとか、お前も身内に甘いじゃねえかとか。

 それでもやっぱり、今日という日に一番に口にしたいのはこれに限るだろう。俺は、嬉しさに任せてシルトに飛びつくように抱き着いた。


「……だ、誕生日、おめで、どうっ…………シルト、っ」


 力いっぱい抱き締める。すると、シルトの腕も応えるように俺を包んでくれる。

 それは鼻水混じりのみっともないお祝いの言葉であったが、言えたのならよしとしよう。

 俺は、前向きに持っていくのは得意なのだ。

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