ある男の、生きる理由のお話 4

 必死になって走り続け、辿り着いたその小屋は大きな炎に包まれていた。辺りには監督役達が消火作業に走り回っている。

 そこに、奴隷達の姿は一人も見えなかった。俺はすぐに外にいた一人に近付いて、その腕を掴む。


「ま、待ってくれ! ど、奴隷達は、どうなった!」

「もう何人かは脱走したよ、くそ!」

「おい! 誰かこっちに来てくれ! まだ誰かが扉近くにいるんだ!」


 その声に反応して振り返る。振り返ると収容小屋、その扉の前には屋根の一部が崩れ落ちている。

 それが扉を開く事を邪魔しているようだ。俺はすぐにそちらへと駆け寄る。タカたちの牢は奥側に位置する。もしかしたら……逃げ遅れて? そう考えるとじっとしていられなかった。

 近寄るだけで熱気が俺を襲う。けれどそんな事なんてどうでもいいくらいに、俺は焦っていた。早く、この扉を開かないと、どんな事をしても開かないと。


「ま、待て! 道具を使わないと!」


 制止の言葉なんて聞かずに崩れた屋根を掴む。それはまだ熱が残っていて、触れた瞬間に手が焼ける。突き刺さるような痛みに、呻き声が漏れる。痛い、熱い。けれど力を緩める訳にはいかない、そのまま破片を後方へと投げ飛ばす。

 バキバキと騒がしい音を立てて、それは地面へと沈んだ。周りの監督役たちはそんな光景を見て茫然としている。何が起こっているか理解出来ていないのだろう。

 俺はそれに構っていられず、そのまま扉を掴んで開いた。


 すると、火に巻かれた男が悲鳴を上げながら飛び出してくる。そのまま地面に転がると慌てて周りが水や土をかける。

 俺も急いでそちらに駆け寄るが、男が着ているものから監督役だとすぐにわかった。

 それに遅れて数人が飛び出してくるが、そこに奴隷たちの姿はない。咄嗟にその一人へ手を伸ばした。


「なあ! 中は、奴隷達は、どこに行ったんだ!」

「え、あ、あいつらは逃げた……一人残らず逃げ出した、んだ」


 逃げた? その言葉に、その場で崩れ落ちそうになるくらいの安堵感を覚えた。逃げた、全員。それならばタカ達は無事だ。そうだ、良かった。良かった、そう思っているのに何故未だに嫌な予感が晴れないのだろう。


『東の森』


 それはいつもの声だ。もう知らないと捨てた神の声。それなのにそれに縋るように駆け出していらた。監督役の誰かが俺の名前を呼んで、引き留める。しかし、そんなものはどうだっていい。今は何もなかった、二人は無事だという確証が欲しかった。

 だから、東の森に向かって走る。

 森の中は暗く、照らすのは僅かな月明かりだけだっだ。その中を、走る、走る。

 既に逃げてどこか見つからない所に隠れていたらどうする。もしかしたらお告げは違う事かもしれない。そんな色々な事が頭の中を巡る。

 けれど足は止まらない。息を切らしながら走って、走り続けて、ふと鼻を掠める匂いに足を止めた。

 これは血の匂いだ。どこからだ? 辺りを見渡しながら、草を掻き分けてゆっくり進んだそこに、居た。


 二つの月に照られた白銀の髪は、ゾッとした鈍い輝きを見せる。それがシルトだと遠目にてもわかる。

 シルトは地面に座り込んでた。そんなシルトに寄りかかるように、タカがいる。その頭は垂れて、力無いようにみえる腕が優しくシルトを抱き締めていた。

 そこだけ見れば微笑ましい光景。

 しかし、そこの地面を濡らしているの赤だ。それが血だと、すぐに気付く。

 真っ赤な血が流れている、それは誰からだ。ふらりと足が自然に前に出る、草を踏みしめてカサッと微かな音が立つ。

 すると、シルトがこちらに振り返る。その瞬間、全身が震えた。血だらけの白銀の髪、そこに生えている四本の角。

 目に光はなく、ただ濡れている。一瞬、息が出来ない程の圧迫感が辺りを包む。息をするな、こちらを見るな。そう言われているようだった。


「そ、ソラノ……?」


 しかし、それはシルトが俺の名前を呼ぶとふっと消えた。急に消えた圧迫感に戸惑うも、息を必死に吸い込む。


「そ、ソラノ! 助けて! タカユキが!」


 それは、いつか見た光景とよく似ていた。シルトがタカを助けて願う光景。今の俺なら任せろと言ってすぐに駆け寄る事が出来る。

 しかし。もうわかっていた。身動き一つしないタカ。そして、地面に流れる血の量。

 俺は、ゆっくりと、一歩一歩踏みしめて近付く。近付いたタカは、眠っているように目を閉じていた。そして、そこに生気はない。それをただ眺める。声も出せなくて、口は間抜けにも開いたままだった。


「ね、ソラノ! 前みたいにタカユキを助けて! ぼ、ぼくを庇って、ああっ、ぅ」


 シルトの声はちゃんと届いているのに、俺は全ての感情が削げ落ちたようだった。何も感じる事も出来ない、きっと正確には感じたくなかった。目の前の全てを認めたくもなかった。

 全てわかったのだ。遠くで倒れる男、落ちたナイフ、血を流すタカユキ。そして、シルトの四本角。そうか、この為のお告げだったのだ。

 俺は、そっと膝ついてシルトと向き合う。


「……タカは、最後に何て言っていた?」


 俺の問いかけに、シルトの瞳からはボロボロと涙が落ちていく。タカをしっかりと抱き締めながら、シルトは首を左右に振っていた。

 それは俺の、最後という言葉を信じたくないという意志の現れだろう。


「シルト」

「っ、い……生きてくれ、って、ぇっ」

「そっか」


 俺は、その手を伸ばす。先程の火傷で少し痛む手で、ゆっくりとタカの髪に触れた。綺麗な黒髪だ。そう思うと自然と笑ってしまう。

 わかったよ、それがお前の望みなら。

 全てを諦めてきた俺だけど、生きる意味さえ、欲しいモノさえなくて惰性で賢人を続けてきた俺だけど。


 ───これを俺の生きる意味としよう。


 その為にはどんな犠牲を払っても、どんな事を使っても、俺がお前の願いを叶えてやる。俺は、すぐにその場で膝を付いて頭を下げる。


「シルト様。数々のご無礼をお許しください」

「そ、ソラノ……?」

「貴方様は、第三皇子シルト=アレスター様でございます。そして、四本角になられました事を心からお喜び申し上げます」

「何を、言ってるの……ソラノ?」

「詳しい事情を説明させて頂きたいのですが、この場は相応しくありません。この森を抜ければ小さな町がございます。そこの酒場の主は顔見知りでして、私の名前を出せばかくまってくれるでしょう」

「ち、ちがう! 僕は、タカユキを、ねえ、タカユキを!」

「シルト様」


 俺が、感情なく名前を呼ぶとシルトの肩が小さく震えた。シルトは賢い。本当は全部わかっている。タカは決してもう目覚めない事も、この場にいればいずれ消化作業を終えた追手が来る事も。


 だから、俺が黙って手を伸ばすとその意味をすぐに理解したようだった。シルトは腕の中にいるタカを黙って見詰めてから目を閉じて擦り寄る。それを幾度も繰り返してから、抱えていた手を離した。

 その手は震えていた。本当ならこの場で命が終わるまで側に居たかった事だろう。しかし、シルトもタカの最後の願いを叶えるしかない、ここで死ぬ訳にはいかないのだから。

 俺は、その腕からタカの身体を掴んで抱え上げた。その身体はもう冷たくなっていた。


「タカの埋葬は私がしておきます。シルト様は急いでここから離れてください。誰にもその姿を見られないようにご注意ください」


 シルトはゆっくりと立ち上がる。その手足は震えていたし、すぐに進む事はなくて繰り返しタカを見ては何かを言おうと口を開く。

 けれど何かを伝える事は出来ず、手を伸ばしたままその顔を悲しみに歪めた。ああ、そうだ、彼の世界は終わったのだ。この小さな体にどれほどの絶望が残っているのだろう。

 暫くして、シルトは何も言わずに駆け出した。それは、シルトが決めた覚悟なのだろう。振り返る事はなく、森の奥に姿を消した。


 後に残るのはタカと俺だけだ。

 俺は両腕で抱き上げたタカの顔を見た。腹を刺されて痛かったはずなのにその顔は安らかだった。最後の最後まで、シルトを守ったのだ。それは間違いなく深い愛だ。

 それに比べて俺はどうだろうか。

 四本角はシルトを示していた。黒髪の角ナシも、シルトの関係者という事だろう。四本角の世界が終わる、という言葉もタカの死を示していた訳だ。

 俺は全部わかっていた、知る事も出来た。それなのに、俺は無視をした。あの時に、俺が賢人をやめようなんて思わなければ。すぐに意味を理解しようとすれば。


『そんなつまらなさそう顔してないで、笑ってみるといいすよ』


 それは、ここにきたばかりでタカに言われた言葉だった。その声が思い出して、俺は無理矢理に口角を吊り上げた。


「ごめん。ごめんな」


 じわりと滲んだ涙が視界を歪ませる。苦しい、悲しい、辛い。削ぎ落したはずの感情が一気に戻ってきて、その感情が全て涙となって流れ出る。

 心臓にぽかりと穴が開いて、もう閉じる事はない。全部、全部俺のせいだった。俺が諦めなければ、賢人を続けていたら。震えた声で繰り返し謝る。

 その声が届く事は永遠にない。


 それでも、ずっと謝り続けた。



 ◇◇



 そこから、シルトは皇帝となった。


 正確にいえば、そうなるように俺が手を貸した。もとから四本角であるシルトに敵はいない。しかし、安全に生きていくならば皇帝の地位につくのが一番だ。

 それはシルトにとっては辛く、苦しい道だった。月日が流れるにつれて、シルトの様子は変わっていた。笑顔は消え、幼さも消えた。それでも俺は俺自身にシルトが生きる道だと言い聞かせていた。

 そして、俺にも変化があった。以前よりも感情の起伏が薄くなった、そしてそのせいなのかその時から角の熱が溜まりやすくなっていった。

 身体を動かして発散もするが、解消よりも蓄積する量が多い。それに俺には自分よりもしなくてはいけない事があった。

 それは、シルトの角に溜まる熱の解消だ。セフィルの企みを止めるためにもそれが第一優先だったのだ。

 フランシアは、伝統的な対処法により救おうとしたが、俺は薬剤からの治療が可能かどうか調べていた。実験体は皮肉な事に自分で試せる。そうして幾度も幾度も繰り返して、それに没頭していった。



 ある日、シルトの熱が解消されたと俺は聞かされる。その理由は、ある一本角の男によるものだという。半信半疑ではあったが角が折れたという報告も受けていた、急ぎ王城に踏み入れた。

 そこで見たものは、信じたくないものだった。シルトの変化だ。雰囲気がまるで違うのだ、それは一目で気付く事が出来た。態度も丸くなり、声には優しさが滲む。その変化の理由は、傍にいる男だ。

 黒髪。見事な黒い角。……同じ名前。

 溜まっていた熱がぐらぐらと頭を焼いていく。その時に、シルトは騙されていると思った。あの髪と、名前に惑わされている。

 救わないといけない、シルトを助けなくては​─────自分の生きる意味に誓って。


 きっとシルトは疲れているのだ。だからあんな間違いをおかしている。シルトを休ませる必要があった。だが、口で言っても聞きはしないだろう。

 その時、俺の手元にはシルトの為に用意した睡眠香があった。それは、熱の錯乱を抑える為に強めに配合してあった。

 それは元々完全な四本角に合わせたものだ。今のシルトに使えば効きすぎる危険性がある。昏睡する可能性が高い。しかし、それを使えば、シルトは何者にも邪魔されずに眠る事が出来るだろう。


 ぐつぐつ、と熱が思考を鈍らせる。

 大丈夫。眠るだけ、危険はない。眠るだけだ。


 あの偽物は、俺が預かればいい。お告げだといえば、誰もが疑わない。


 大丈夫。俺は、しっかりとシルトを守れている。そこに間違いはないのだから。

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