ある男の、生きる理由のお話 3
タカが、無事命が助かって暫くは何かが起こる訳でもなく普通の日々が過ぎていった。
その日々の中、俺が考えた以上に白銀の少年とタカは仲良くなっていった。
驚いたのが、白銀の少年─────名前はシルトというらしい。タカが嬉しそうに教えてくれた。
その彼の目に光が戻った事だった。あの絶望しかなかった少年に希望を与えたのは間違いなく、タカという存在だろう。
本当にタカは、大なり小なり他人に影響を与える人間だと改めて理解した。
しかし、変わったのはシルトだけではなくタカにも笑顔が増えたような気がする。それが嬉しいと思うと同時に、取り残されたような気持ちになるのは何故だろうか。
そんな落ち着かない気持ちから、シルトに俺はタカの髭のない顔を見た事があると嘘をついた事があった。それを聞いた時のシルトの顔は、不機嫌そうにしていた。
しかし、その次の日に髭を剃りたいと言い出したタカには驚かされたものだ。俺も自身も興味があったのもあり、すぐに許可を貰ってタカはその髭を剃った。
その顔は、決して美形とはいえない容姿だった。だが、笑う口許も目尻の皺も、全てが見えると彼の愛嬌の良さが全面に出る。それは、俺自身驚く程に魅力的だった。
そのタカの髭剃り事件から暫くして、その日は珍しくシルトを牢へ戻す担当だった。牢に続く道をシルトを前にして、進む。
「……ねえ、タカユキは今日はちゃんと動けてた?」
「はあ。俺はこれでも監督役だぞ。前も言ったが、俺以外にそういう口のきき方はやめろよ?」
「わかってるよ。他の監督役とは喋らないし」
そう言って唇を尖らせるシルトは年相応に感じる。タカでさえ俺には礼儀正しく接するのにシルトはこれだ。俺としては、他の奴隷や監督役に聞かれないなら特に気にはしない。角ナシの奴隷風情が、と怒る貴族精神など持ち合わせていない。
彼も俺がそういう考えの男だと分かっているのだろう。
シルトはこういう風に人を見る目がある。どこまで許されるか、こいつはどういう人間なのか、そういう判断が上手い。
「動けてたよ、大丈夫だ」
「……そっか、良かった」
心から安堵したような声が聞こえた。最近のシルトは、機会があればこうして俺にタカの事を聞く。何故か知らないがそれはタカが髭を剃った夜から始まった。
「ねえ……タカユキは、あとどれくらいここで動けると思う?」
「俺にもそればかりはわからないけれど……長くは無理だろうな」
俺の言葉に、シルトは俯いて唇を閉ざした。シルトがずっと心配しているのは、タカの事だ。
タカは奴隷の中でも最年長という事になっている。頑張っているが、最近はその衰えが俺にも見てわかる程だ。働けなくなった奴隷の末路は一つしかない。それをシルトは知っている。そして、それを誰より恐怖しているのだ。
それからシルトは一言も話す事はなくて、俺はそのまま牢へと送っていった。
◇◇
監視役達の宿舎、そこの自室でベッドに転がりながら先程の事を思い出していた。そう、タカが奴隷でいる限り時間が経てばいずれ殺されるだろう。それは逃れられない現実だ。
タカが死ぬ。それを思うとどうにも落ち着かない。寝返りをうって、ベッドの上でごそごそと動く。
この気持ちはなんだろうか。タカが死ぬのはとても嫌だと感じている自分がいた。結局あの時だって俺はタカを諦める事が出来なかったのだ。見殺す事さえ出来なかった。
寝返りをまたうって、眠れない。暫く考えて、考え続けて、ふと光のようなものがパッと脳内を照らす。
「……そうか、俺が買えばいいんじゃないか?」
思わず声に出た独り言に、全身が楽になった。そうだ、俺がタカを買い取ればいい。これでも今代の賢人という事でそれなり顔は広い。ここの貴族に掛け合って、それなりに手間と金はかかるがタカを買い上げたらいいのではないだろうか。
けれど、タカはシルトと仲が良い。どうせならシルトも一緒に買って、屋敷に三人で帰ればいいんじゃないだろうか。そこまで考えると、とても良い事を考えた気持ちになって口許が緩む。
そうだ、そうしよう。それならもう賢人もやめてしまおう。元々嫌々やっていた役目だ。誰かに引き継ぐ気持ちもない。
賢人をやめる、そう思うと胸の奥にあった重いしこりがスッと軽くなる。もういいんだ、あの声に従うのはやめよう。
そう決めると安堵からか、うつらうつらし始めた。明日朝早くから、準備を始めよう。そう思った瞬間に聞こえる声がある。
『四本角の世界が終わる』
それは、聞きなれた声だった。とても幼い声で威厳の欠片もない。ただその声を聞くといつも心は落ち着く。いつもはそれを聞いたらすぐに、その意味を解く。
だが、俺はもう賢人をやめると決めたのだ。この声に振り回されるのも終わりだ。
だから、俺は無視をした。
生まれて初めて、俺はその声の相手をしなかったのだ。
段々と強くなる眠気に意識を任せて、俺は目蓋を閉じた。
『終わる、世界が終わる』
そんな声を聞きながら、俺の意識は落ちた。
─────
「ソラノ!」
そんな誰かの声と、扉を蹴破るようなノック音に俺は飛び起きた。弾かれたように身体を起こした俺は驚きで、身体が固まっていた。しかしその間もずっと自室の扉は叩かれている。俺は何が起こったのかわからずに、ただその扉を見詰めていた。
すぐに動いて開かないといけないのは頭ではわかっている。しかし、とても嫌な予感がする。
少し躊躇いながらも、立ち上がり自室の扉を開いた。
すると、同僚の一人である男が転がり出るように室内へ飛び込んできた。
「た、大変だ!」
「な、何だよ、急に」
「ぼ、ぼ、暴動だ! 奴隷たちが暴動を起こした!」
その言葉に、一瞬俺の頭は考える事を停止した。
暴動? それはどこで?
自分の中でその答えはすぐに出た。ひゅっと息を吸い込むと同時にその同僚を押しのけて自室から飛び出る。
その間、心臓はどくどくと鼓動が早まる。何か考えようとしても全然まとまらない。浮かぶのはタカの名前だけで、繰り返しそれが浮かんで消えない。
息を切らさせながら、宿舎から外へ飛び出す。そして、奴隷の収容小屋の方角を見る。
既に日は落ちて、夜。辺りは真っ暗だ。けれどそこには赤い夕日が広がっていった。立ち昇るような真っ赤な夕焼け。
それが、夕焼けなどではなく炎の薄明かりだと遅れて、気付いた。口は開いたまま、その光景に釘付けになる。
───燃えている。
少し離れているここからでもはっきり見える炎だ。それは収容小屋を包んでいる事はすぐにわかった。
上手く息を吐き出せない。断続的にはっはっと息が切れる。背中から這い上ってくる寒気が止まらない。世界が罅割れるような錯覚さえ感じる。何だ、これは、どういう状況だ。
混乱する中で、今さらながらにふと当たり前の事に気付いた。そうだ、あの奴隷小屋には、タカもシルトもいる。
すると自然と地面を蹴って走り出す。それは全力だ。いつもは三本角だとバレないように気を遣って動いていたが、そんな事はもうどうでも良かった。
燃えているあの場所に向かって真っ直ぐ、歯を食いしばって走り続けた。
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