第26話 君に捧ぐ
気付くとそこには何もない、ただ真っ白な空間だった。どこまでも白い空間、そこに俺という存在を認識できても視認は出来ない謎の空間。この場所には見覚えがあった。あれ、と首を傾げてからすぐに思い出す。
そうだ、ここで変な話を無理矢理に聞かされたんだっけか。なのに起きた時にはすっかり忘れていた。そうなるとここは夢の中か? それとも俺は……やっぱり。
最後の記憶は幸せいっぱいという状況ではなかった。ここが天国だと言われても意外でもない。
『────思った結果にならなかった神様は考えました。次はみんなを正せる四本角を作ろう! でも、前みたいに最初から偉いとよくない子になるかもしれない、最初は角ナシ。それから四本角なんてどうだろうか』
突如、声が響く。またしてもそれを強制的に聞かされる。その声は前と変わらない、幼い声だ。四本角、その単語を聞けばもうわかる。今話している内容はこの世界の事だろう。その内容通り、シルトは角ナシから四本角になった。確かに初めから四本角だったら、シルトは何の不自由もなく皇帝となっただろう。けれど、きっと良い皇帝にはなれなかったと俺も思う。あのセフィルに育てられる訳だからな。
それでも、そんな理由でシルトの人生が曲げられたのかと考えると腹が立つ。ふざけんな、シルトは玩具じゃねえんだぞ。
『でも、四本角になったらますます一人ぼっちになっちゃう。考えた神様は、大切な四本角に相応しい、彼にぴったりな人間を他所から連れてくる事にしたのです』
ん? 待て、それは…………もしかしなくても俺じゃないのか? なんだその理不尽。ふざけんな、オイ。流石の脳天気と言われた俺でも怒るぞ! いやでもここに来たからシルトに会えた訳で、俺がいなければシルトも危なかった訳で……唸りながら考えてみるもやはり怒りが勝る。
『うん、ごめんね』
前と同じく俺の言葉は声になっていないのに、この声はそれが聞こえている。そして、少し落ち込んだような声が届く。その声には、俺も怒りが萎んでいく。幼い子供を苛める趣味は俺にはない。ああして謝られると、どうにも弱い。
『だからね、これはお詫びとお礼ね。ありがとう』
その声が聞こえた時、俺の額を撫でられているような気がした。感覚なんてないはずなのにとても暖かくて、心地がいい。それは決して子供の手ではなく、とても大きな掌が俺を撫でていた。思わず全てを忘れて、その心地良さに目を細める。ずっと味わっていたい、不思議な心地よさ。それがゆっくりと離れるのを感じる。
え、もう終わり? 終わりになるのが嫌で、もう少し続けて欲しくて。俺は、もっとそちらに行こうと足を動かす。けれど、そんな俺の腕を誰かが掴んだ。なんだよ、誰だ。後ろへ振り向けば、そこには白銀の髪を持つ少年がいた。それは俺の知ってる幼い頃のシルトだ。
「ねえ、帰ろうよ。タカユキ」
そう言った黒曜石に似た瞳が潤んで俺を見るから。ただ朗らかに笑って、頷いた。
◆◆
音が聞こえる。それは鳥の鳴き声のようだ。
そこで重たい目蓋をゆっくりと開く。目覚めたばかりで思考は鈍い、ただぼんやりと何も考えずに眺める。なんだかまた不思議な夢をみたような気がする、全然思い出せないのが腹立たしい。
見慣れた黒い内装、寝転んでいる心地よいベッド、ここはシルトの寝室で間違いない。つまりは王城か、なんでここに帰ってきているんだったか。まだ頭にモヤがかかったような感じで、ただ右手を上に伸ばしてみる。その掌を、暫く黙って眺めた。
そうか。俺、生きてるのか。俺の意志通りに動く腕を見て、じわりじわりと記憶が蘇ってくる。ラントに襲われて……確かに毒が全身に回ったはずだ。それなのに今は間違いなく生きている。何故だ? 理由は全然わからんが、俺は生きている。
「タカ、ユキ……?」
聞きたかった声がする。それは俺の隣から聞こえてくる。寝転んだまま、首を傾ける。窓が開いていた、そこからは心地よい陽光が差し込んで室内を照らしていた。そして、その光が白銀の髪をキラキラと輝かせる。その姿を頭から見て俺は、言葉を忘れた。
シルトは、ベッドの隣に座っていた。俺と目線が合うと、驚きの表情から一変して喜びに満ちていた。シルトは俺が上げていた手にそっと触れると、力強く握り締める。
「良かった。目が覚めて本当に良かった、体調は問題ないか?」
「……」
言葉がすぐに出てこない。シルトの目の下には濃いクマが見える。元々肌は白い方だったから、よく目立つ。それは寝る間さえも惜しんで俺の面倒を見てくれていたからだろうか、昔のように。
髪も以前よりは少し短くなっているように思えた、火事で焦げたから切ったのか。けれど、それら全てが吹っ飛んでしまいそうな程の出来事に俺の思考は停止していた。
「治療師がいうには、毒についてはもう心配ない。足のケガについてももう完治しているそうだ」
「……シルト」
「何だ、タカユキ」
シルトは、俺を見て何でもないように笑う。そこにずっと見たかったシルトの笑顔があった。曇りなんて一つもない、眩しいくらいの笑顔。それを見た瞬間に、俺の視界が歪む。ぶわりと涙が押し寄せてきて、止める事なんて出来はしない。俺はゆっくりと上体を起こす。頬に涙が伝って、ぽたぽたとシーツへ落ちて濡らしていく。
涙で歪んだ視界、そこに映るのはシルトの姿だ。
「───角が、」
その頭上にあるはずの四本角、額の上部に生えている二本は弓なりに鋭く尖り、残る龍の角に似ている二本の角だが──その一本が折れていた。
半分は折れて、その先はなくなっておりどこにもない。乱雑に折ったような痛々しさがみえる。その角はどこにいったかなんて、聞かずとも馬鹿でもわかる。
他人の角は万能薬になる、それはヴェルグに聞いた話だ。あの場で俺を助ける事が出来る薬なんてものは、それしかなかった。
「っく、ば、馬鹿、やろう……ッ」
「……私としては、生まれて初めて四本角で良かったと思えたのだが」
シルトは、泣き出した俺を見て理解をしたのだろう。首を横へ振って、何でもないように嬉しそうに口許を緩めた。俺は知っている、角には神経がある。それを切り落とす。しかも、何の準備もないあの場で行わなくてはならなかったはずだ。シルトがどれだけの痛みに襲われたかなんて想像すら出来ない。涙が一向に止まらない俺を見ると、シルトは少しだけ困ったような顔をした。俺の涙を拭うために、その指が俺の目尻を撫でる。
「タカユキは、随分と泣き虫になってしまったな」
「……お前に言われたくねえからな、それ」
幼い時のお前なんか相当泣き虫だったって、覚えてるんだぞ。唇を曲げて、睨みつけてやるも特に気にした様子はなく、何故か嬉しそうにしている。精神的には年上な俺としては、これ以上情けない姿は見せたくない。ずると鼻水を啜りながらも、溢れる涙を止めようとシーツを引き寄せて拭う。そして、顔を上げて改めてシルトと向き合う。
「助けてくれて、ありがとうな」
「それは私の言葉でもある。ずっと私を助けてくれてありがとう────僕の世界」
シルトの柔らかいその声には優しさしかなくて、こちらを見る黒曜石の瞳は美しい輝きを見せていた。それは昔に見たシルトそのものだった。優しくて懐かしい匂いがする。見詰めあってるだけで目の前にいるシルトがとても愛しくて、大好きで。俺が顔を向けると、シルトの顔が近付く。
ああ、これはキスするな。キスなんて何回もしてるし、それ以上の事もヤッてるというのに馬鹿みたいに緊張する。手を握り締めて、目蓋を閉じて待つが、コンと俺の何かが当たる。
「ん? なんだ、今何に当たった?」
顔を傾けた時に、シルトの顔に俺のナニかが当たった。それはけして俺の息子的なナニではなくて、本当に感じた事のない感覚だ。確かに自分の一部のように感じるのに、前まで感じなかった感覚。自分で考えながらも意味がわからん。俺が眉を顰めて考えているのに気付いたのだろう。シルトが、ああと小さく納得したような声を出すと離れて、すぐにこちらへ戻ってくる。その手元にあるのは手鏡だ。なんでそんなもんを今持ってきた?
「伝えるのを忘れていたのだが、見た方が早いだろう」
「へ?」
シルトは手鏡を、俺の顔が見えるように掲げる。そこには少々顔色の悪く、目つきも悪い男が映っている。見慣れた俺の顔だ。特にイケメンなどにはなっていない。いないのだが、その頭上におかしなものがある。
丁度額の上部辺りだろうか、そこには細くて真っ直ぐな角が一本だけ生えていた。しかもその角、色が真っ黒だ。それこそ黒曜石のような輝きのある角だった。は? 角が、生えてる? 俺は角ナシだよな、なんで急に一本の角が生えてるんだ? 返答を求めて、シルトの顔を見た。
そんな俺の視線を受けてもシルトはとくに慌てた様子もなく、淡々と俺に教えてくれた。
「急に生えてきたのだから、仕方ない」
仕方なくねえわ、キノコじゃねえんだぞ角は。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます