第5話 四つの角

年齢はどれくらいだろうか、見た目だけで判断するなら二十後半辺りか三十路かもしれない。元から成長すればイケメンになるだろうとは思っていたが……やっぱり、としかいえない程に整った顔をしていた。その白銀の髪だって…………あれ?

 そこで俺は、気付く。

 ベッドの上で横たわる男の頭には、角がしっかりと生えていた。それは、漫画などでよくみる龍の角に似ているといったらいいだろうか。その枝分かれした大きな角が二本、耳上辺りから生えている。更に額の上部に二本の鋭く尖る、弓なりに曲がった角がある。


 一、二……三、四本!?


 おかしい、シルトは俺と同じ角ナシであったはずだ。でもこのシルトだと思う男は、四本角だ。いやいや、その前に、ここに眠っているのはこの国の皇帝だったはずだろ? シルトは、俺と同じ奴隷で……え、じゃあこいつはシルトのそっくりさんか?

 俺が大混乱のまま固まっていると、眠っている男の目蓋が大きく震える。あ、起きる。そう思ったと同時に、その目蓋がゆっくりと開いていく。


「え、あ……おはよ、っ」


 その焦点がこちらに定まるのを確かめて、とりあえず挨拶を、という言葉は突如遮られた。白銀の男は目を開いて俺を認識すると同時に、その腕が俺へと伸びる。そして、掌が俺の首を鷲掴んだ。俺は、息苦しさに呻くしかなく、驚きに身が縮まる。


 男は、上体をゆったりと持ち上げて起き上がった。その際に長い白銀の髪が、ベッドの上で動く姿は、大蛇が蠢く様にも見える。

 身体を起こした男は、俺の首を片手で掴んだままでベッドから、立ち上がる。それこそ、本でも動かすような手軽さでいとも簡単に俺を宙吊りにした。ぐえ、く、苦しいんですが……っ!


「あ、っぐ、ぅ……っ」


 呻き声を零しながら真正面から相手の瞳を覗き込む、その瞳は黒。シルトと同じ色だが、そこにあるのは泥のような黒だ。濁りきり、冷え切り、空ろの様な黒だった。覗き込むものまで侵し、絡め、取り込んでしまいそうなその暗さに俺の背筋は、粟立つ。なんだ、この目。


「許可なく、私に触れるな」


 その声は、低く冷たい。それは当然シルトの高い声の名残などはない。聞く者に畏怖を与えるかのような圧迫感のある声。陛下には触れるなというフランシアさんの言葉が脳裏を掠める。つまりは、やっちまった……っ!

 そうして、後悔しても時は戻る事がないのはよく知っている。


 白銀の男は、そのまま俺の首を絞め上げて下ろす事はしない。そうすると気管は狭められ、息苦しさに喘ぐ。声さえも、まともに出る事はなく、俺は必死に手足をバタつかせた。その動かした手が、近場のカーテンを掠めて揺れる。するとふわりとカーテンは舞って、日差しが室内に一気に差し込んだ。


「ッ!」

「っは……げほ、ごほっ!」


 その、次の瞬間だった。突如、男の力は緩んで、手が外れる。俺は、そのまま床へと崩れ落ちて全力で酸素を取り込んで、咳き込む。ま、またやばかったな俺。

 はあはあと息を荒げて、今ある命に胸を撫でおろす。とはいえ、油断は禁物だ。俺はすぐさまに顔を上げて、相手の出方を窺う、が。


 そこには、茫然とした男の姿があった。俺を見下ろしながら、そこにあるのは侮蔑とかではない。ただ茫然とした様子で俺を見詰めていた。それは、どこか迷子のようで……その姿を見た俺は、先ほどまで殺されかけたというのに胸に宿るのは、苦しさだった。


「黒、髪か……。そうか、フランシアの言っていた者か」


 それは俺に語りかける、というよりは独り言に近いものだった。俺も、それにはどう答えていいかわからず、口を開く事が出来ないまま、というか酸素を取り込むのに精一杯だった。

 白銀の男は、暫く俺を見詰め続けるも、突如くるりと踵を返すとベッドの方向へ戻っていく。そして、そこに腰を下ろすと自分の頭を押さえていた。なんだ、どうした、頭でも痛いのか? 首を絞められたようなものなのに、そんな心配をしてしまう。


「もういい。出ていけ」

「え? その」

「……私に、二度同じことを言わせるつもりか」


 はい、出ていきます! その言葉には流石の俺も反射的に立ち上がる。そして速足に部屋の外へと繋がる扉へ逃げるように近付く、挨拶をして出ていくべきだろうが、いや、今回ばかりは何も言わないほうが良さそうだ。

 扉を開いて、そのまま動きが止まる。とっと出ていくべきなのに何故か気になり、後ろを振り返る。しかしこの位置からでは、あの白銀の男の姿は見る事は出来なかった。後ろ髪を引かれるような気持ちのまま、俺は部屋を後にした。





 部屋から出ると外には、フランシアさんが入る前と同じように立っていた。待ってくれていたのだろうか。

 ……あ、やべ。俺は、そこで初めてワゴンの存在を思い出して、眉を顰めた。あれは、引いて帰ってくるものだったのか? いやいや、でも声かけるだけでいいって言われたしなあ。とかいって、皇帝様に触っちまった訳だし。フランシアさんの鞭の痛みを思い出して、一度だけ身を震わせるも渋々ながらにそちらへと戻ることにした。


「えっと、終わりました……?」

「そうですか、なら次に向かいます」

「あ、はい」


 何か言われるか、鞭が飛んでくるかとおもいきやフランシアさんの態度はとてもあっさりとしたもので、俺を見るなり一つ頷いて、何事もなかったかのように先を歩き出した。少し拍子抜けしたまま、俺も何も言わずについていく。歩き出すが、その足は段々と重くなっていく。

 ついには、足が止まった。フランシアさんはそれにすぐに気づいたのか、足を止めて振り返る。


「どうかしましたか?」

「あー、すいません、少しお聞きしたいのですが」

「はい」

「……陛下のお名前ってなんでしたっけ?」


 そうだ、気になって仕方がない。あの、白銀の髪をもつ男。あれが皇帝陛下なのは間違いないのだろう。けれど、俺が気になるのはそこじゃない。

 フランシアさんは俺の質問に首を傾げて、訝しげにその瞳を細める。しかし、俺もここで引く気はない。目を逸らす事はせず、真正面からその視線を受ける。すると、少し呆れたような吐息を一つ吐くと、いつもと同じで表情を大きく変える事なく、彼女は口を開いた。


「しっかりと覚えて下さい、皇帝陛下のお名前は─────シルト・アレスター様です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る