第4話 神様はきまぐれ


「貴方には、アレスター皇帝陛下の身の周りのお世話をして頂きます」

「は?」

「言葉遣い」

「ぎゃっ!」


 ヒュンという風切り音と共に俺の腕に鞭が振るわれる。それはかなりの痛みで、流石の俺も激痛に飛び上がって悲鳴を上げた。


 まだ日が昇りきっていないであろう早朝に叩き起こされた俺は、先日と同じ冷たい雰囲気のフランシアさんに連れられてこの場所に来た。だが、足を止めた瞬間の第一声がそれだった。

 彼女は、手元に小さな鞭を所持しており、なんの為かとずっと思っていたら俺専用だという事が、今さっき痛みと共に判明した。棒の次は鞭って、そんな趣味ねえってば。


「い、いや、でもですねえ! 皇帝のお世話って俺が!?」

「陛下は、尊い四つの角をお持ちです。半端な角持ちではお側に近づくだけで影響を受ける可能性があります。そして何より陛下自身から、身の回りの世話は、角ナシにさせよと申しつけられているのです。言葉遣い」

「ふぎゃ!」


 再び、ヒュンという風切り音が聞こえたと同時に俺の太ももに鞭が振り下ろされる。俺は、先ほどよりは覚悟をしていた為に痛みは半減出来たが、痛いものは痛えんですよ。いや……ちょっといいかもとかは思ってないから、多分。

 仕事初日から皇帝陛下のお世話とはハードルが高すぎるが、ここに買われた俺に拒否権がある訳もない。拒否すれば間違いなく鞭の餌食だろう。俺は項垂れるように首を縦振ると、そりゃもう豪勢な銀製のワゴンを無言で差し出された。そこには色々な物が置かれているが、用途が俺にはさっぱりわからない。


「まずは、陛下の朝の身支度をお願いします」

「は、はい……あの、身支度って、具体的に俺は何を?」

「……そうですね。いえ、今回は陛下を起こしてくださればそれで結構です。ただし、触れる等は一切ないように。お声を掛けるだけで構いません」


 暫し悩むような仕草の後、フランシアさんは緩く首を振る。なんだ、いきなり難易度が下がったな。

 言葉を信じるなら陛下を起こすだけで良い訳だ。ま、それくらいならば大した事はないだろ。俺は、ワゴンの持ち手を掴むとフランシアさんが教えてくれた陛下の寝室とやらに向かう。長い廊下を抜けて、更に突き当りにその扉はあった。


 黒一色の両開きの扉には所々に美しい金細工、その扉の側には男性が立って……うお初めて見たぞ、三本角だ。三本角持ちの二人が左右に立っている、もうこれは一目で特別な部屋だと、馬鹿でもわかる。一応、後ろについてきてくれていたフランシアさんに振り返る。

 すると、目が合うと同時にしっかりと頷いてくれたので、どうやらここが陛下の部屋で間違いないようだ。俺はワゴンを押しながら、その扉の前に近づくと、左右から痛い程の視線が俺に突き刺さる。


「どうも。新人でーす。いやあ、ご苦労様です、陛下の身支度のお手伝いに参りましたー」


 社会人たるもの何事も挨拶は大切なので、とりあえずはしっかり挨拶をする。右側の男性は赤い髪に垂れ目、その頬には小さな傷があるその青年は、一瞬ぎょっと驚いた顔をしてこちらを見るも、すぐに視線を逸らしてスルー。

 左側の青髪の切れ目で体格もがっちりした青年は、身動きは一切せずに当たり前のようにスルー。はいはい、無視ですよね、知ってます。

 これも慣れたものなので、気にはしない。特に止められる様子もないので、そのまま扉を開いて中に入る事にした。その際、フランシアさんはこちらに近づいてはこなかったので、どうやら俺一人のようだ。そのまま、中に入ってから、静かに室内の扉を閉じた。





 皇帝陛下の寝室に入り、まず驚いたのはその内装だ。

 壁は黒、天井も黒、床も黒、絨毯までも黒。更にそこらに飾ってある調度品の殆どが黒。つまり部屋全体が黒一色だ。いや、これには流石の俺もちょっとドン引きしたわ。ちょっとした黒マニアの部屋である。

 しかも、寝室はそりゃもう馬鹿みたいに広い訳で、そんな広さでほぼ黒一色。黒という色は別に嫌いではないし、私服では割と無難に選ぶ事も多いが、こいつはその域を簡単に飛び越しているといってもいい。


 思わず眉を顰めたが、入った瞬間に殴られる事もなく、辺りは静まり返っていた。既に日は昇っているが、カーテンは閉め切られている。灯りも点いていないので室内の色のせいもあり、少々薄暗い。

 俺は、辺りを窺いながらも室内をワゴンと共に進む。少し入った先には、ベッドが見える。普通に生きていたら見る事さえないであろう大きい豪勢なベッドだ。それも、やはり黒で統一されており、寝具さえも全てが黒だ。


 そこに膨らみがあるのを見るとそこにいるのが、アレスター皇帝陛下なのだろう。俺は、更に慎重に足を進める。ベッド付近の窓側へと近づくと、そのカーテンを掴んだ。とりあえずは、光が欲しいわ。カーテンを開いて朝日を入れよう、皇帝陛下を起こすのにもそのほうがいいはずだ。カーテンを掴んで持ち上げるだけで、その隙間から朝日が室内へ差し込み、照らす。


「ん、っ」


 自分のものではない声に、思わず肩が跳ねる。反射的にそちらを見ると、朝日がベッド側へと差し込んでおり、膨らみが小さく動く。どうやら皇帝陛下様は、寝返りをうったようだ。俺は驚きから、そちらを食い入るように凝視した。


 まず飛び込んできたのは、白銀だった。


 黒の寝具の為に一際目立つ白銀の髪が、さらりと落ちる。こちらから見るだけでもその髪はかなり長く、そして朝日を浴びて輝き、綺麗だった。


 閉じられた目蓋、長い睫毛、瞳を閉じたままでもわかる整った顔立ち。そこまで観察して、俺はカーテンを掴んだ手を思わず離す。そして、足取りは自然とそちらへと向く。よたよたと、覚束ない足取りで、ゆっくりと近付いた。


 ベッドで眠るその顔を間近で眺める。ああくそ、絶対に間違いない、こんなに成長しているのに、わかる。俺にはわかるんだ。

 なんだよ、神様。込み上げる感情がすぐ言葉にならない、涙腺が緩んでしまいそうだ。震える指先をその白銀の髪へと伸ばして、頭を撫でる。


「────シルト」


 俺が絞り出した声。それはとても小さくて、情けなくも震えていた。

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