第一章

第1話 ハードモードで開始

 誰かの声が聞こえた気がして、俺は振り向いた。


 その声は、とても悲壮に満ちていて、何故か俺が手を差し伸べてあげないとと思うが、結局その誰かがわからず、首を傾げた。こういう事が実はよくある、生まれてからずっとこうして訳の分からない感情に振り回されている。

 曇った空の下、ここは薄汚い路地裏だ。ふと、また理由もなく、こんな路地裏で誰かに追い回されたような気がして一瞬辺りを見渡す。けれど、やはりそんな覚えはなく、度々襲われる例の不思議な感覚かと、首を傾げる。


 あ、いやいや、今はこんな隙を見せる訳にはいかない。俺は前方へと視線を戻す。目の前には、四十過ぎの男性が俺を睨みつけている。しかし、その程度で気圧される俺ではない。逆に睨み返して、目的のモノを得る為に掌を突き出した。それを見るとその男は顔を真っ赤にして、俺の手を払いのけた。


「この角ナシの分際で、調子に乗るな!」


 そんな罵声を受け、更に肩を力強く突き飛ばされる。とっさに踏ん張って耐える事は出来ずに、そのまま後ろへと倒れ込んだ。その後ろにあるのは壁、ガンとした衝撃と同時に後頭部を打ち付ける。その瞬間、目の中に火花が散った。それは、大きな火花で俺の頭ん中で跳ねまわり、掻き回す。ぐるぐると何度も色んなものが、音が通り過ぎて、色が混じって、ハッと我に返った。


「……あれ?」


 目を開けば空は生憎の曇り空。しかし、既に雨が降り出しており、俺の顔に大粒の雫が落ちてくる。先ほどとは違う天気に暫く気を失っていたのだとわかった。

 ズキズキと痛む後頭部が、先ほどの事が夢ではないと教えてくれていた。けれど、今の俺にはそんな事は、どうだってよくなるくらいのある事実に気付く。近くにある水たまりに顔を寄せる、そこには長めの黒髪を後ろで一纏めで結ぶ、目つきが少々悪い青年が映っていた。

 俺は慌てて、全身を見渡す。そこには、若い身体に、少し汚れたフード付きの衣服。懐に腕を突っ込むと食べかけのパンが入っていた。……あれ?


「待て待て、もしかして俺──転生してる?」


 俺は、思い出した。


 先ほど後頭部を強くぶつけた時に、全部を思い出した。俺は、ここじゃない世界で生きていて星田︎︎ 伯幸《ほしだ たかゆき》という三十路、もとい四十路の男だった。この世界に何故か紛れ込んで、奴隷になって、それで……死んだ。そして同時に俺には、今の俺の記憶もあった。

 多分年齢は十七、八だと思う。多分というのは俺が孤児だからだ。生まれてすぐ捨てられたのか、両親はおらず、路地裏に捨てられた際にある人に拾われて生き延びた。

 ちなみに、生まれ変わっても黒髪で角ナシでした、はい。いやいや、何でここで転生? しかも、結局角ナシって、転生のアドバンテージがゼロじゃねえか! 俺は、自分の髪をぐしゃぐしゃに掻きまわして、一人呻く。


「いや、なんで俺の異世界はこんなにハードモード!?」


 転生ってのは、現代知識チートとか活かせる貴族生まれとかそういうのじゃねえのかよ! 角ナシ孤児じゃ何にも出来ねえんだよ! 前世から活かせることと言ったら奴隷の仕事くらいだわ、役に立たなさすぎる!

 一人でぐるぐると考えても何かが変わる訳でもない、結局のところ転生してよかったというのは若さが戻ったことくらいのものだ。正直、前世を思い出す意味があったのかも疑問である。しかし、脳裏に掠めたのは美しいあの白銀の髪だった。


「──シルト」


 ぼそりとその名前が口から出た。そうだ、アイツはどうなったんだろうか。俺が死んだ後、無事に生きていけたのか? 同じ異世界だというのはわかっているけれど、時間の流れまではわからない。もしかしたら、あの時よりもかなりの時間が過ぎていて、シルトはもうこの世にいないのかもしれない。そうわかってはいるが、アイツの最後の叫びが頭に焼き付いて離れない。


 今すぐにでも探したい感情が俺を襲うが、それをぐっと堪える。いや、落ち着け。その前に俺にはまだやらないといけないことがあるだろ。俺は、黒髪で目を付けられないようにフードを深くかぶりなおす。そして、そこから早足で立ち去った。



 ◇◇



「帰ったぞ、チビ共」


 軋む扉を開いて、中へと入ると同時に室内の奥からバタバタと騒がしい足音がこちらへと近づいてくる。そして、駆け寄ってきたのは、赤髪の少年、栗色の少女だ。


「タカ! おかえり」

「おかえりなさい、タカ兄ちゃん」

「おーただいま、レナ、ルル」


 近付いてきた二人の頭をガシガシと乱雑に撫で回す。すると二人して、はしゃいで笑うもんだから、うん、天使、最高。この二人の頭に角はない。俺と同じく角ナシの孤児たちだ。ちなみに俺の名前は自分でつけた、しっくりきた名前がタカだったからそう名付けた訳だけど、どっかで覚えてたのかもなあ。


 チビ達の後にゆっくりと歩いてくる人がいる、その姿は腰まであるだろう赤茶色の髪が特徴的だ。そして、その髪の上には角が一本ある。その角は頭の右辺りに生え、羊のようにくるりと曲がっている。少し垂れ目気味の目元は人の良さをにじませていた。


「おかえりなさい、タカ」

「ただいま、マール母さん」


 俺に向かって、にっこりとほほ笑むがそれはどこか弱弱しい。彼女こそがこの家の主で、俺を拾って育ててくれた恩人だ。マール母さんは角持ちでありながら、角ナシの俺達を放っておけず、孤児たちを拾ってはこうして育ててくれている。

 俺は、屈んでチビ共と目を合わせると懐から食べかけのパンを取り出す。これは、道すがら拾ったモノだが腐ってもいないし、ふわふわのパンだった。それを二人に差し出してやると、彼らの瞳は一気に輝く。


「ほら、こいつをやるから、向こうで二人で分けて食べろ」

「わーい! ありがとう、タカ!」

「ありがとう」


 二人でじゃれ合いながら、そのまま部屋の奥へと向かっていくのを見て、オッサンもにっこり。いやもう、俺オッサンじゃないんだわ。ちゃんと彼らがここから去ったのをしっかり確認してから、俺は口を開いた。


「ごめん、だめだった」

「そう……いいのよ、タカ。気にしないで」


 そう言ってマール母さんは俺の肩を慰めるように撫でた。今、マール母さんは病を患っている。それはすぐさまに病状が悪化するものではないが、治療師に見せなければ遠からず命を落とすというものだった。けれど、現実問題、お金がない。マール母さんは俺達の為に、かなりお金を使っている。当たり前だが、治療費を出す金の余裕なんてある訳もない。


 一か八か、お金がなくてもその他のもので補うから、治療してほしいと治療師のオッサンに頼みにいったが結局は門前払いだ。


「大丈夫よ、きっと今に良い事があるわ」


 ふわりと笑うマール母さんに俺は黙って頷いた。マール母さんは俺以上に前向き思考であるという素晴らしい人ではあるが、流石に俺にはそうは思えなかった。いや、悪いけど、人生二回目だから。割と思考もシビアになるというかさ。それに俺は恩人であるマール母さんには、絶対に死んでほしくなかった。そして、ここで暮らすチビ共たちのためにも、ここは俺がどうにかしないとなあ。

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