第7話 君が幸せでありますように
それがナイフだと、自覚した途端に痛みが全身を襲う───痛い、いたい、いたい!
なんだ、どうして! 俺は、その痛みを与えた人間を見た。そして、その顔には見覚えがある。先ほど、俺達の牢を開けてくれた奴隷だった。そいつの瞳は驚いたかのように見開かれていた。
「てめ、っぇ」
「くそ、邪魔をしやがって!」
声を出すと口の中に鉄錆を舐めたような味が広がっていく。こいつは何でここにいる。先に逃げるといっていた、というより同じ奴隷が俺を刺す理由なんて、いや待て待て、こいつが狙ったのは俺だったか? ぐるぐると思考が回り先ほどの光景を思い出す。明らかに最初に突進して向かっていたのはシルトだった。つまりこいつは……っ!
「っ、たぁ、何するんだ……よ、え?」
横からシルトの声がする。そうだ、こいつの狙いはシルトだ。そう気付いた瞬間、俺の頭の中は真っ赤になった。こいつはきっと最初からシルトを狙っている、コイツを放ってはおけねえ。俺は刺した相手の腕を力任せに掴む。絶対に離すものかと全力でしがみ付く。
「なっ、お前!」
「シルト、逃げ、っろ、ぉお!!」
腕にしがみつきながら、腹の底から叫ぶ。その叫びだけでも傷に響いて痛い、いたい。けれど、今ここで手を離したらどうなる。俺が少しでも時間を稼がなくてはいけない。けれど、シルトは地面に座り込んだまま一歩も動く事はせず、呆然と俺達を見上げている。
「何で……さ、刺さって、る。ち、血が出てる…………何で、何で」
シルトは、突然のことに現状を理解しきれてないのか、困惑した様子でうわ言の様に、何で、と繰り返している。ああ、くそ、わかってなかった。無理もない、しっかりしてはいるがシルトはまだまだ子供だ。子供、そう知りながらも、目の前の男は許してくれはしないだろう。
男は、俺たちと同じ角ナシだ。けれど、俺たちを見るその目は普通のものではない、決死の表情で強い意志があった。間違いなく、シルトを殺すまでは止まりはしないだろう。
なら、どうする。どうする……っ! チクショウ、そんなの一つに決まってんじゃねえか。迷う時間もいらなかった。
「舐めんな、ぁああっ!」
腹の底から怒りに満ちた叫びを上げて、全力でソイツの顔面に目掛けて頭突きを入れる。すると苦痛の呻きと共にその体勢が崩れた。今しかない。俺は、掴んだ手を離して拳を振るう。
その顔を、体を、一発一発、力を振り絞って殴る。そうする度に全身に痛みが走り、血が溢れる。けれど今はその全てを後回しにして殴る、殴り続ける。いてえ、痛い、っ!
だが、ここで、俺がコイツを倒さなくてはダメだ。今のアイツじゃ逃げる事さえ出来ない、さすがに歯が立たない。だから、絶対に、俺が、俺がッ、
「俺が、じんでもっ、シルトは、ぁッ!」
シルトは守る。
それだけの意志で拳を振り上げ、殴り続ける。拳が傷つこうとも、痛みが増そうとも、止まらず緩めず、拳を振り上げた。
どれくらい殴っていただろうか、気付けばナイフをもっていた奴隷は地面に倒れ伏してぴくりとも動かなくなっていた。全身が心臓になったかのようにあらゆる血管が脈打ち、熱い。息も荒く、拳には自分か相手のか分からない血が付いていた。
あ、やばい、殺したか? いやいや、刺されたのに相手の心配してどうすんだ、俺よ。笑い声にすらならなくて、吐息だけが零れて、俺の足の力が一気に抜けた。がくりと地面に膝立ち、そのまま前方に倒れ込もうとした瞬間、支える手が伸びてくる。
「た、タカユキ!」
シルトだ。シルトは正面から俺を抱きとめるように支えており、その顔は酷いものだった。ああ、良かった、うごけるようになったのか。これなら、すぐにここから離れる事が出来るな。
なんだよ、顔は真っ青だ。それはいつか見た今にも死にそうな顔だ。なんて顔してんの、お前さん。
「あ、あぁあ……タカユキ! タカユキ!」
「っは、うる、さいぞぉ……」
繰り返し俺の名前を呼ぶ声は、とても痛々しい。ちらりと目線を下に向ければ腹部に深々と刺さっていたはずのナイフは既に抜けており、そこから大量の血が零れている。若干中身も見えているが、状態はあんまり知りたくないので、すぐに目線を逸らした。けれど、この血でこんな所となると俺はもう助からないだろうな。
「やだ、やだやだやだやだ! こんなの違う、嘘だ、だめだ、だめだ。死なないよね、タカユキは約束したもんね? ね?」
「……」
「ず、ずっと傍にいてくれるんでしょ! 店をもって、冒険するっていったじゃないかぁ!」
黒曜石のような綺麗な瞳からは涙が零れていく。それはもう永遠に止まらないんじゃないかって心配になるくらいだ。この可愛くて、愛しくて、寂しい子供をここで一人っきりにしてしまうのがとても悔しかった。俺の目尻も熱くなる、涙が溢れて視界が歪む。
生きたかった、シルトの成長を、見守ってやりたかった。でも俺の体は既にいう事をきかなくなっていて、痛みももう感じなくなっていた。
俺は、残る最後の力を振り絞ってその体を抱き締める。きつく抱きしめることも出来ず、ほぼ巻き付いてるだけの抱擁。シルトの小さな肩に頭を預ける。
「シルト、生きて、くれ」
願わくば、俺がいなくなっても、幸せに笑って生きれますように。それを最後に俺の力は尽きた。もう腕を上げてることもできず、だらりと力が抜けて指一つ動けなくなる。辛うじて意識だけはまだ残っているが、それも段々と遠くなっていくのがわかった。
「──た、タカユキ? ねえ、タカユキ……っ…………あ、あ、あ、あ」
身体が繰り返し揺れる。揺らしてるのは間違いなくシルトだろう。しかし声ももう出せなければ、視界も闇しか映してない。本当になにも出来なくて、それでも俺の身体を必死にシルトが揺らしている。そして、縋り付くように抱き締められる。それは力強いものだろう、俺がまともだったら痛いと文句でも言ってやれたかもしれない。
「あ……あ゛あ゛ああああああぁぁ!」
それは悲鳴だった、遠吠えだった。壮絶なシルトの叫びが俺に届く。しかし、もうそこまでだった。俺の全てが終わっていく。意識が掻き消えるその直前まで聞こえていたのはその叫びと、何か砕ける音だった。それは聞くモノを不安にさせるような音だった。メキメキと割れる音、その不穏な音を耳にしながら、俺としての一生はそこで終わった。
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