第6話 そんな月夜に
それはいつも通りに労働を終えて、へとへとになりながら牢へと帰り、眠った夜の事だった。突如、地響きの様な揺れを感じたかと思うと轟音が響き渡る。それは何か爆発したような音で、その大きさに熟睡していた俺も流石に飛び起きた。
「うお!」
びくんと全身を震わせて、その勢いで立ち上がるとすぐさま探すのはシルトだ。辺りを見渡すと同じように起きたのか瞳を丸くさせたシルトがこちらを見ていた。無事な様子にほっと安堵の息が自然と零れる。無事で良かった、いやいや、それにしてもさっきの音はなんだ。俺は、そのまま鉄格子の方へ近づいて辺りを観察する。すると、誰かはわからないが人の声が聞こえてくる。
「暴動だ! 奴隷が脱走しているぞ!」
は? 脱走? 暴動? その声を始まりに人の声が増えていき、騒がしさは増していく。それをシルトも聞いたのか、俺の隣に走ってきて、同じように鉄格子にしがみつき、辺りを窺い始める。
その時くらいだろうか、誰かの人影がこちらへ駆けてくるのが見える。それはそのまま俺たちの鉄格子前に辿り着く。その顔には見覚えがあった、確かシルトが入った暫く後くらいに来た、まだ新人の奴隷だ。あまり会話はしたことはなかったが、間違いない。
え、いやいやおかしいだろう。今の時間帯に奴隷が外にいるはずもない。何で、ここにいるんだ。
「お前たちも逃げろ! カギは開けてやるから!」
「はあ? いや、待てよ。状況がわからん、暴動ってのは本当か?」
「ああ、本当だ。もうみんなの鍵は開けた、後はお前たちだけだ! 俺はもう逃げる、じゃあな!」
その男は、かなり焦った様子で俺たちの戸の鍵を開く。それは本当で俺が軽く押すだけで戸は開き、その事に呆然としている間に、男はそのまま走り去っていった。
「……」
「タカユキ! やったよ、今ならここから逃げれるよ!」
シルトは俺の手首を掴んで、嬉しそうに強く引く。しかし、俺の中ではもやもやとした気持ち悪い何かが胸の中を這い回っていた。明らかに都合が良すぎないか? いくらなんでも暴動からの、逃走への流れが速すぎる。普通に考えればこれは計画されていたものだよな。でも、俺たち奴隷は同室のヤツ以外とまともに話す事なんて出来ない。同室も二人までだ、二人でこんな手際の良い脱出方法を考えれるか? それこそ、外部のやつが手を貸すとかなけりゃ無理じゃ……
「ねえ、タカユキ!」
「……え、あ、ええと、何だ?」
「何だじゃないよ! 早く逃げようよ、今しかないよ!」
「……シルト、本当に今行くのか?」
目の前には、鍵の開いた戸がある。ここから出れば望んでいた自由の身だ。しかし、俺の足はどうにも前に踏み出すのを躊躇っている。本当に今逃げてもいいのだろうか。外の騒ぎはますます大きくなっていくために俺も焦りを覚えるが、突っ立ったままだ。
すると、シルトの手首を掴む力が更に強まる。それはちょっと痛い程で、眉を顰めてシルトを見る。シルトもこちらを見ており、その表情は真剣であり俺と同じような焦りも見える。
「行く。だって、今行かなかったら次の機会はいつなの? 一年後、それとも十年後? そうなったら、僕は……、タカユキはっ」
そう言って下唇を噛みしめ、俯いてしまう。そうか、シルトの焦りは俺のせいか。ここで脱出しなければ、俺の未来はここでの死に近づいていく。シルトはそれを怖がっている。わかっていたつもりであったけれど、こいつの不安を甘く見ていたようだ。なら、ここで震えてるのはらしくねえよな。俺は、シルトの頭に掌を乗せてその白銀の髪をくしゃくしゃに撫でてやる。
「ったく。ほら、行くぞ。ここを出たら、俺の奴隷生活で培ってきたしぶとさを見せてやる」
「……うん。僕もここを出たら、色々抜けてるタカユキのお世話、いっぱいしてあげる」
おー、老後の生活もより良いものになりそうでなによりだ。俺達は開いた戸から飛び出すと一目散に出口へと向かう。何年も歩いた建物だ、二人とも迷う事なんてある訳もない。牢から飛び出し、まず飛び込んできたのは通路に転がる死体だ。それは奴隷でなく、看守だ。うつ伏せで倒れているために顔が見えず、誰だがわからないがソラノではないことを祈るばかりだ。
そして、建物には既に火の手があがっていた。今はまだ小さいが、このまま放置すれば建物全体に回りきることになるだろう。けれど俺達は、その足を止める事なく出口へ向かう。先に行くのはシルトだ、その足は速く表情にも余裕がみえる。俺はというと既に息が切れ、改めて自分の歳を自覚する、チクショー。蹴り破る程の勢いで扉を開き、外へと飛び出せばそこはいつかと同じ月が二つ、夜空に浮かんでいた。
「はぁ、はぁ……っ他の奴は、いねえな」
「もう先に逃げたんだよ、僕らもいこう!」
止まる事なくシルトが先を走る。向かうのは、東側に広がる森だ。いい判断だな、どうせここの屋敷のお貴族様は間違いなく追手を仕向けてくるだろうし。ちらりと向けるのは俺達が住む貧相な屋敷より更に奥にあるいつもの豪勢な屋敷だ。俺はそちらにひらひらと手を振り、適当な別れの挨拶を投げてシルトを追って森の中へと入っていった。
───────
そこからは走り続けた。少しでも止まれば、追手に捕まりそうだという恐怖心があったのだろう。二人とも無言で走り続けてどれくらいたっただろうか。俺の体力に限界が訪れた。
「し、しる、シルト……ぉっ、はあ、あっ、まって、うぇっ」
「ちょっとタカユキ、遅いよもう。しぶとさはどうしたのさ」
よたよたとふら付き始め、走りから早歩きくらいの動きになった俺がシルトに追いつけるはずもなく、手を伸ばして助けを求める。先を走っていたシルトは振り返るその顔に疲れはなく、呆れたようにこちらを見てくる。うるさいぞ、俺だってお前くらい若い時はもっと走れたわ。
声に出して言い返す気力もなくなり、俺はついには足を止めてしまう。とりあえず、息を整えたい。完璧に肩で息をする俺を見て、シルトもその足を止める。
「もー、ちょっと休憩したらいくからね」
俺は、喋るのも嫌なので肯定の意味を示すために握った拳から親指だけを立てる。とはいえ、この世界ではそのイイネ! サインは伝わる訳もないのでシルトは首を傾げた。
「タカユキってそういうよくわからない事するよね。ま、いいけどね……ああ、すごいなあ」
シルトは、肩を竦めた後に空を仰ぐ。つられて俺も空を仰ぐ、夜空には多くの星が輝いて見えていた。こうしてこの世界の夜空を見るのは二度目だ。あの時は、余裕がなくて堪能出来なかったが、いやあこれは確かに綺麗だわ。シルトはその夜空を掴もうとでもするかのように両手を上に伸ばしている。その表情はとても嬉しそうで、年相応の無邪気さがあった。
「僕ね、世界がこんなに美しくて素晴らしいって今気づけたよ。ねえ、タカユキ、ありがとう」
「っ、はぁ、っ……あ? な、なんで、俺…………ぇ?」
「分からなくていいの。でもね、ありがとう。僕の世界、僕の光」
くるりとその場でシルトは回転する。そうすると白銀の髪は月灯りに照らされて際立つ。ふわりと舞うその髪は本当に綺麗だ。これは間違いなく、シルトは将来イケメンだな。俺が保障しよう。
ふと、その時に気付く。
それに気づけたのは本当に偶然で、夜空に夢中のシルトを見ていた視界の中で、背後の木陰にある草が大きく揺れた。一瞬、動物か何かかと目を凝らしたが月明りに何かが反射した。それは、とても鈍い銀色の輝き。え、なんだ、アレ。いや、でも、あの位置だとシルトに。
そこからの動きは、反射的なものに近かった。俺は、全力を振り絞って地面を蹴る。
「シルトッ!」
俺と同時くらいに木陰から影が飛び出してシルトへと向かう。俺は名前を叫びながら、両腕を伸ばすと掴んだと同時に横へと突き飛ばした。そして、次の瞬間その影と俺がぶつかる。
ドンとぶつかり、その衝撃で俺の身体がふらつく。それが人間だと言うのはぶつかってから気付いた。誰だ、と考える前に、ずぶりと耳障りな音が近くで聞こえた。
───────アレ?
背中にドッと汗が出る、全て音が俺から遠くなる。恐る恐る自分の体を見下ろすと、俺の腹に何かが埋まっていた。え、何で、俺の腹にある、んだよ。
それは、鈍く光りを反射した、ナイフだった。
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