第5話 忘れられない約束

「疲れた、俺も歳だわ」

「はいはい、タカユキっていつもそればっか」


 石畳の上に寝転がりながら欠伸混じりに呟くと、シルトが呆れたような相槌で肩を竦めた。いや、マジだぞ。この歳でここまでの重労働続けられている俺はすごいんだからな。

 俺の同居人となったシルトがきて、早くももう半年が過ぎていた。出会った際は大変ではあったが、今では互いに気の知れた友人のような関係になっており、俺は前より笑えるようになっていた。それはシルトも同じようで、昔のようなツンツンした態度は消えていて、笑顔も増えたように思える。


 シルトは小さいというのに、俺より力持ちだということが判明した。シルト自身もよくわかってはいないが、昔から力は強かったらしい。その為に最初の一件以来は奴隷労働に耐え切れているので、俺としては一安心だ。

 俺がぼんやりしている所に視線が刺さるのを感じ、そちちらに目線を送ると、シルトはこちらを痛い程に見つめている。なんだなんだ。


「タカユキ。その髭、剃らないの?」

「ん?」


 シルトが遠慮もなく、俺の口許を辺りを指差した。おいおい、人様に指を向けちゃいけません。ってこの世界の礼儀にあるのか知らねえけども。

 シルトに言われて俺は口周りを掌で撫でる。すると、返ってくる感触はもっさりとした髭の感触だ。そう言われて暫く剃っていなかった事を、今更に思い出す。でもなあ。


「めんどくさい」

「いや、剃りなよ! 今のタカユキの顔の半分は、髭で作られてるってわかってる?」


 石畳をバンっと叩いて、シルトは不機嫌そうに俺を睨んでくる。あんまり騒ぐなよお、この前も騒いでソラノに怒られただろう。まあ、ソラノは基本優しいので口頭注意だけだったが、他の奴らなら暴力にモノを言わせてくるのは明らかだ。

 シルトのいう事はわかるが、また突然の事だな。半年この髭だったというのに、何を今更。そんな訝し気な俺の視線に気付いたのだろうか、シルトは少しだけ唇を尖らせた。


「……き、聞いたんだ。髭剃ってた時のタカユキの顔、見た事あるって」

「へー?」


 誰に聞いたかはわからないが、奴隷の中では俺が最古参だから奴隷仲間でないことは確かだろう。見たことあるやつらは、みんな用済みで死んでるはずだからな。そうなると、相手は看守に絞られる。まあ、どこぞのお喋りな看守がシルトにぽろっと口を滑らせたんだろう。

 わかる、シルトは可愛いからなあ。けれど、それがどうして今の会話に繋がるのかわからず首を傾げる。何故か、シルトは俯いてしまい、何やらボソボソと呟いている。


「んあ? 聞こえないって」

「っ、だから! ズルいっていってんだよ! ぼ、僕だって、ちゃんとタカユキの顔見たい、……し…………」


 耳まで真っ赤に染めて、語尾になるにつれて勢いが消える。俺は、それを暫し黙って見守った後に、石畳から体を起こすとシルトに向かって距離を詰める。そして両腕を伸ばすと、そのままシルトを腕の中で抱き締めた。


「可愛い! 最高! 天使!」

「ぎゃ、やめろ、髭が、じょりって、痛い痛いっ!」


 はあああ、やだ何この子可愛すぎる。俺は抱擁の力を緩める事なく、しっかり捕まえて頬擦りを繰り返す。その度に抗議の悲鳴が上がるがきっとこれは照れ隠しなのだろう、うん。いいさ、十分に俺の愛情を味わいたまえ。


 しかし、髭剃りか。髭を剃る為には、看守への申請が必要だ。ナイフで剃る訳だからいろいろな意味で、もしもの事があったら困る訳だ。少々面倒ではあるが、明日辺りソラノに尋ねてみるとしよう。不器用な子供の可愛いワガママだ。できることなら叶えてあげたいと思うのは当たり前の事だ。痛いと喚くシルトを眺めて、俺の口許はみっともなく緩んだ。



 ◇◇



 飲み水を貯めている壺を覗き込んで、剃り残しがないかチェックをしてみる。しかし、水では思った以上に見えづらく細かい所まで分かりそうにない。

 剃ってはみたが、うーん、いつもあるものがないというのは、なかなかに落ち着かないなあ。しきりに顎を撫でて、唸る。


「入れ」


 看守の声が聞こえて、背後で戸が軋んで開く音がした。今日はシルトとは別の場所での作業だったから、終了時間が違う。ようやく帰ってきたかと振り返れば、疲労困憊といった様子のシルトが俺を瞳に映す。そして、次の瞬間、固まった。


「お疲れさん……、シルト? オーイ、どうした?」


 いつもなら帰ってくるなり、今日の作業について、愚痴を零したり怒ったりするのだが、戸の前で仁王立ちのようにして固まっている。どうした、なんだなんだ。何かあったのかと、手でも振ってやるが反応が一切ない。ただ瞳だけは動いて俺を追っているため、気絶とかそういうのではないようだ。む、疲れて声も出ないパターンか。


「……え、そこにいるのって、タカユキ?」

「え、いや、逆に俺以外がここにいたら怖くないですか」

「え、え……ええ?」


 震えた指先で俺を指差す、その声も震えていて面白い程だ。おー、めちゃくちゃ困惑しているのがわかる。なんだ、そんなに髭がなくなったのが衝撃だったのだろうか。これならば冗談だと思っていた、俺の髭で顔の半分が作られていたというのもあながち嘘ではなかったようだ。


 シルトは暫く混乱していたが、雷にでも撃たれたかのようにハッと我に返るとこちらに近寄ってくる。それは猪の突進のように早く、その勢いのまま俺の両腕をぐっと掴む。


「髭、戻してきて」

「はぁ?」

「今すぐ髭戻して、生やして」

「出来るか!」

「出来なくてもしてよ、ほら切った髭をまた顔に貼り付けたらいいじゃんか!」


 そんなやつがいたら怖いわ! 大体、当たり前ではあるが髭はもう捨てた。わざわざ拾いにいける訳もない。はい、じゃあ髭生やしますねえ、なんて事も出来る訳もない。それはシルト自身もわかっているだろうに、その眼はどこか真剣だ。


「なんだよ、そんなに髭面の方が好みだったのか?」

「違う! いや、そ、そうじゃなくて、だって、だってぇ……うう……」


 顔を青くして大声で否定したかと思えば、次には頬を赤らめてしどろもどろになっている。表情が一喜一憂するのは見ていて楽しくはあるが、俺には全く理解出来ない。つるつるになった顎を撫でながら、首を傾げる。


「まあ、何が不満か知らんが心配すんな、また一年かそこらで生えて……」


 そこで言葉が止まってしまった。ふと、思ってしまったのだ。俺は、後一年もつのだろうか、と。今まではどうにか誤魔化しつつ、生き長らえてきたが最近は体力の限界を確かに感じていた。使い物にならなくなった奴隷が辿る道は一つだ。俺は、一年後もシルトの隣にいてあげられるのだろうか。そんな恐怖が、言葉を止めてしまった。


「……ええと、だな」


 不自然に言葉を止めてしまい、それを上手く誤魔化そうとしても、言葉が思い浮かばない。自分が楽天的な性格をしているのは自覚している。だから、本来ならこんな事は考えないはずだ。けれど、今の俺にはシルトがいる。傍にいたい相手が出来た。

 それは一人で置いていきたくなくて、決して失いたくないものだった。喉が渇く、開いた唇から言葉が出てこない。その時、シルトは俺の両手を握った。


「僕が、どうにかする」

「ば、馬鹿、何言って」

「だから、これから一年も十年も、僕の傍にいてよ、タカユキ」

「……」

「一緒にいようよ、こんな所からだって二人で出ていこうよ。それでさ、二人で色んな事をしようよ。店を持ったり、冒険するんだっていい。僕は、タカユキがいてくれるなら何だっていい」


 それは、夢物語に近い言葉だった。奴隷である俺たちがここから生きて出れる可能性は限りなく低く、もし出られたとしてもその後の生活もまともなモノではないだろう。俺でもそれくらいはわかる。そして、シルトもわかっているだろう。けれど、口にしたのだ。叶うように、叶えられるように。


 そうして俺を見るその瞳が真っ直ぐで眩しくて……俺からも応えるようにシルトの手を握り返した。そして膝を折り、目線を合わせる。


「わかった。約束だ、シルト。俺はお前の傍にいる」


 すると、シルトの瞳は潤み、じわりと目尻から涙が溢れる。本当にシルトは泣き虫だなあ。俺はそれを慰めるようにその小さな体を抱き締めた。

 そうさ、まあ、何とかなる。これでも、別世界の人間ってヤツだし、もしかしたらチート能力とかに目覚めるかもしれねぇじゃねえか。

 そしたら、シルトとここから逃げよう。もっと沢山笑わせて、泣かせて、見た事のないもんを二人で見よう。それは、俺がこの世界に来て初めて抱いた希望、というやつだった。

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