第3話 手強い同居人

「えーと、あー……いい加減、このオッサンにお名前を聞かせて欲しいなあ」

「……」


 白銀の少年は、現在部屋の隅を陣取り、こちらを睨みつけている。いやあ、どうしてこうなった。


 俺に見事なまでな右フックを叩き込むと、俺の腕から逃げ出してあの状態から一歩も動かず、一言も喋らない。所詮子供の一撃である、全然痛くないわ、と思うだろうが……めちゃくちゃ痛かった。半泣きである。成人男性に殴られたくらいの強さだったため、俺の頬は未だにじんじん痛む。子供でもこんなに強いのか、この世界の人たち。

 とはいえ、子供のした事だし怒ってはいないんだが、それを伝えてもあの状態のままで変化すらない。


「とりあえず、こっちにきたらどうだ? 俺、怖くない、怖くないよー?」

「……」


 反応無し。どうしたものか、と腕を上げて頭を掻く。しかし、その瞬間に白銀の子の体が小さく跳ねた。大袈裟な程に震えるその様子に、思わずじっくりと観察する。よく見ると彼の体は震えていた、必死に俺を睨みつけながらずっと震えている。……怯えているんだ。


 こんな幼い子がどうして奴隷としてここにきたかはわからないが、怯えてる子供にこれ以上負担をかける訳にはいかないよなあ。その場から立ち上がると彼から正反対に位置する部屋の隅へと腰を下ろす。元々狭い部屋だ、安心するほどの距離を作ってあげられないのは心苦しいが、仕方ない。俺はその場で寝転ぶと彼に背を向けて丸くなった。


「……」


 そうして、俺が目蓋を閉じて暫くしてから安堵の吐息が小さく零れて俺の耳に届く。暫くの間は沈黙が続いて物音一つ立てる事はなかった。ただ時間だけがゆっくりと過ぎていく。どれくらいの時間が過ぎただろうか、それは俺の耳に届く。


「っ、ひ……く、っ、ひ…………」


 押し殺した泣き声だった。それは平和ボケしているであろう俺には聞いた事のない、下手くそで苦しそうな泣き方だった。まだ十歳にもなってないだろう子供があんな風に泣くなんて、何があったらそうなるのだろうか。俺の心臓もぎゅと締め付けられるように痛くなる。奴隷は何人もここで見てはきたが、あんな幼い子がここに来たのは初めてだ。一体あの子に何があったのか、知る日はくるんだろうか。


 俺は、その泣き声が止まるまで目蓋を閉じたままずっと聞き続けていた。



 ───────



 翌朝。いつも通り、新人のソラノが俺の牢の格子を叩いて起こしにくる。そしてそれと同時に目を覚まして今日も一日楽しい奴隷生活が始まる。だが、いつもと違うのは俺の後ろ、かなり離れたところに立つ白銀の少年の存在だ。


「……おはようっす」

「うわ、お前、顔色酷いぞ」

「いやいや、普通っすよ」

「嘘つけ。今日は俺が軽い仕事の担当にしてやるからゆっくりしろ」


 それには俺も驚いた。元々ソラノは看守にしては優しい性格なヤツだとは思っていたけれど、まさか仕事を変えてくれるとは。いやこれは心の底から助かる。最近体力の衰えは感じてきていたし、昨日はほぼ寝れてない訳だし、無理をして倒れたらそこで俺の人生も終了の可能性もある。すぐに頷こうとして、動きが止まる。


 肩越しに振り返るとそこには俯いたままの白銀の少年がいた。


 俺がキツい仕事から外れるという事は、他の誰かがその仕事を任せられるという事だ。それが他の奴隷仲間なら、まあよくやってるし問題はないんだが……ちらりと再び彼の体を見る。まだ未発達の体は細く、幼い。あの砂袋はとても重いんだよなあ、あそこの担当がマンバになる事だって多いしなあ…………ああくそ、本当にもう、何考えてんだ俺。


「あー、それなんすけど、その仕事、こいつに任せてくれませんか?」

「……え」


 背後から、幼い声が聞こえる。言っちまったもんは仕方ない。初っ端からこんな幼い子が死んだ、なんてなったらそれこそ俺だって夢見が悪い。


「本気か? 今回お前のいつもの仕事、監督役はマンバだぞ」

「それなら尚更ってやつっすね」

「……わかった。オイ、五十番、こい」


 本来はこうして奴隷たちは番号で呼ばれるのが普通だ。これで俺がどれだけ奴隷キャリアを積んできたか、理解出来たかね、白銀の少年くん。

 呼ばれるとそれに素直に従い、俺の横を通り過ぎていく。その際、こちらを繰り返し振り返り見てくる少年の表情に書かれているのは、疑問だ。

 どうして助けた、手を貸した、そんなことが表情でありありと浮かんでいる。なんでそんな驚くのかね、子供を助けたくなるのが一般男性としては普通なもんだろう。


 けれど、まあ、しいて言うなら──、


「タカ。お前はあっちだ」

「はいはい」


 思考を中断して、俺はそのまま過酷労働に向かう為に、のろのろと歩き出した。




 ◇◇




 あ、これは、死ぬ。


 足取りも覚束ないままに自室という牢屋に帰ってきた俺は、戻ってくるなりそのまま倒れ込む。全身を石畳に打ち付けてしまうが痛みに身悶えることさえ出来ないくらいに疲れきっていた。今回の労働は本当キツかった。途中、一人の奴隷が倒れてしまったから、その穴埋めを奴隷全員で負担する事になり、労働時間が一気に伸びた。やだもう、ブラックすぎなんだよ、いい加減にして欲しい。


 指一つ動かせない程に疲れ切った俺の視界が映すのは天井で、それを遮るようにおずおずと顔出したのは昨日からの同居人だった。あ、そうか、もう帰ってきてたのか。


「何で、助けた」


 ぶっきらぼうに白銀の少年はそう俺に問いかけた。繰り返しになるが今日の俺はとても疲れており、意識を保つだけで精一杯だ。いやもうごめん、寝かせてください。目蓋が重くなって自然に閉じていく。そうすると意識も段々と遠のいて……次の瞬間肩を掴まれて遠慮なしに揺らされる。

 がくがくと頭が揺れて、無理矢理に叩き起こされ、目を開いたそこにあるのは先ほどよりも間近に見える綺麗な白銀色。


「何で?」


 ……こ、こいつ。この質問に答えるまで絶対に寝かさんという強い意志を感じる。これは自分の為に早々に答えなくてはいけないだろう。


「俺は……子供には、優しいオッサンなの」

「は?」

「それに、お前さん……し…………な」


 口だけはどうにか動かして何かを答えたような気がする。けれど、本当に疲労がピークに来ていた俺は自分が何を言ったか、よくわからないまま、そのまま意識は一気に落ちていった。明日も愉快な奴隷生活が待っている。出来ることなら楽な仕事に当たりたいもんだね。


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