割腹とチェインソー

刑法条文に断絶した言葉としてあなたは殺人者という言葉を使うから、再構成された電子音声は震え、分解する。

王国に歓喜のうちの斬首を

あるいは戦争を

神々に供物と祝福を

あるいは、あるいは創造を

「割腹自殺」という言葉、それについてドストエフスキーは切腹は自殺なんかではないと言った、切腹は恥の洗浄であるからすなわち、あまさず贖罪であること。それが神への贖罪でなく他者への贖罪であること、切腹は動作に於いてかなり能動的で実に実に受動的であるが、日本では能動と受動とが神に於いて克服されていないから、自殺とは一体能動であるか受動であるか私には十分に理解できていない、割腹自殺をした小説家について説明的に話したときに彼女は「その人はなにか悪いことをしたのか?」と私に聞き返したことである。

戦争が終わり、焦土が残る。王国の革命は信用しない、王はただ隠れるだけだから。無限の創造だけが赦される焼け落ちた街で、死人は青くひかるだろう。

バルコニーで何を殺そうとしたのか。

殺人者の話しだ、った。彼の小説はきっと殺人者の話しだった。

焦土から許しを願う、焦土は隠れ、王も隠れるさ、焦土は実にいろいろな幻想を醸したが、私はもう視たことがない時代の人間だから。

司法に断絶した殺人者には武人や野侍、それは司法以前か、司法の源泉である王に因る、権力とは極めてパーソナルで、実に革命家はパーソナルである。

名前を破壊して名前を建設するだろう、こうして一つ一つ潰していくとが若い奴には必要だ、ああ。

プロレタリアートは事実殺人者でも君主でもない。プロレタリアートの国には王も殺人者もいない。

ああいう名前は色々忘れているんだ

名前は忘れるためにあるんだ

良いことでもあるし悲しいことでもあるよ

事実、忘れるというのは悲しいことだよ、思い出すという以上にきっと。

悲しさは空を隔てる月の上、黄色い光を放つ土の上

父親は祖父の幽霊に苦しんで夜中に覚きて直ぐにまた眠る

祈りには終わりがあるのでしょうか、祈りの終わりは物語に、詩に、小説に、古典に神話に還元するでしょうか。

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