第12話 情

コンコン、コンコン。


行く前に決めていた合図。

定期的に二回鳴らし続けるノックの音。


ガタッという音と共に、誰かが立ち上がる気配がして、窓ガラスのカーテンが少し開けられる。こちらを見下ろすのは、視線の鋭さから澪だろう。


「遅くなりました」


正直疲れてふらふらもいいところだが、精一杯見栄を張り、笑顔でそう告げる。


返答は聞こえず、代わりに窓を開ける音だけが響く。


(怒ってるのかな?)


約束の時間は当に過ぎており、死んだと思われていたのかもしれない。


少し喜んで出迎えてくれると期待していた俺は内心少し落ち込みながらも当然のことと思い家に入る。


俺は一方的に命の恩人だと思っているが、向こうからすれば、家に住まわせる代わりに飯を持ってきてくれる赤の他人だ。仕方がない。


そう思ったのだが……。


「心配しました!」


そう叫び、抱き締められる。


「あ、すいません……」

「心配したんです。私達のせいで、危険な事をして、もし田中さんの身に何かあったらと思うと……」


凛が涙を流している。俺はその背中を静かに抱き締める。


すると、何故か後ろからもギュッと抱きしめられる。


(えっ……)


治りかけていた頭が更に混乱する。俺は今、凛を抱きしめているはずだ。ならば後ろから抱き締めているのは……。


「バカ……あんまり心配かけさせないでよ」


美少女お嬢様二人に前後から抱きしめられるなど、俺の今後の人生ではもう二度と起こり得ないだろう。これだけでも命かけてよかったと思える。




数時間後、落ち着いた彼女達とテーブルに向かい合う。


「それで? 何かあったのはそのボロボロの服を見れば分かるけど、詳しく教えてちょうだい」


澪は少し腫れた瞼を瞬かせながら聞いてくる。


「ええ、実は……」


そこでこれまでの事を話す。話している最中に気づいたのだが、澪が度々こちらの話に相槌を打ってくれる。嬉しい。


「それで?」

「それで?」


最初が澪、後が俺だ。


「それで、どうするの? ご飯ないのなら……」


出て行け、そう言われると思った。しかし、次の言葉は俺の予想を裏切る者だった。


「今度は私達も行きます! もうあんな思いはしたくないですから!」

「そういうことよ」

「えっ……」


その気持ちはとても嬉しく思う。思うのだが……。その必要はない。


「あー、お気持ちはありがたいのですが……」

「なによ? 不満があるの?」

「田中さんが断ってもついて行きますから!」

「いえ、そうではなく……」


口で言うより見せた方がいいだろう。

俺は右手を前に出し、手のひらの裏表を晒し、何も持っていない事を証明する。


「「?」」


二人は突然何をし出すんだ、と言う顔をした。だが俺は構わず、右手を収納空間インベントリ内に入れ、カップラーメンが入ったバッグを取り出す。


「なんかこういう事が出来る様になっちゃいまして」

「……は?」

「え……?」


机の上に出された俺のバッグをみて二人は唖然とする。


「手品……じゃないわよね? 暗いとは言え流石にこの距離でなんて……」

「私には田中さんの右手が一瞬消えたように見えました」

「手品じゃないですよ、ほら」


今度は右手を収納空間インベントリに入れたままにしてみる。


「は?」

「え?」


よく見ると収納空間インベントリに入れている部分が陽炎のように揺らいでいる。


「それ、手、大丈夫なの?」

「ええ、ほら」


そう言って右手を収納空間インベントリから取り出し、バッグの上に置く。


「本当だ……」

「すごい……」


俺の手をつんつんとつつく。


「どうやってるのこれ?」

「いや、分かりません」


俺自身何故こんな事が出来るのかよく分からない。謎の声を聞き、夢で見た感覚を試してみたらなんか出来たのだ。

何故手を動かせるのか、何故足を動かせるのか、どうやって動かしているのか。そう言われてもすぐに答えを出せる人はいないだろう。

ただやったら出来た、としか言いようがない。


「そう……」


そう言って澪は黙ってしまう。しかし、凛は未だに興味深そうに質問をしてくる。


「痛くないですか?」

「いえ、全然」

「本当ですか?」

「はい」


何度も確認してくるが、別に痛くも痒くもない。


「そのお力ってバッグが入るくらいの大きさなのでしょうか?」

「いえ、まだまだ余裕がありますよ」


感覚的にはアパート丸ごと入れられるくらいには余裕がある。意識を収納空間インベントリ内に向けてみても、サッカーコート並みの広さがあり、今そこには紐がポツンと寂しく置いてあるだけだ。


「この力を手に入れたのってもしかして先週の金曜日の深夜?」


その時、考え込んでいた澪が突然顔を上げてそんな事を聞いてくる。


「え? ええ、多分ですけど、その日です。ああ、そういえば記憶が一部戻りまして、金曜日に寝た時激しい頭痛で目が覚めたんです」

「それで声を聞いたの?」

「お! よくご存知ですね! その通りです。無機質な声と共に収納空間インベントリと言う力を授かりました。でも何故それを……。もしかして澪さんも?」


もしかして澪もその声を聞いたのだろうか。

しかし澪は首を横に振り、こう答える。


「違うわ。私達はそんな声聞いてない。だけどネット上で少し噂になってたの。夜中に突然痛みで目が覚めて、不思議な声を聞いたら何かに目覚めた人がいるって」

「え! そうなんですか?」

「ええ、twitに動画付きでアップされてるのを私もみたわ。だけど誰も信じなくて、死人も出てるこんな大変な時におふざけ動画を上げるなって、凄い叩かれてすぐに消されちゃってた」

「なるほど」


他にもいたのか。まあ俺だけが特別だなんて流石に思っていなかったけど。


「私もこんな時にふざけるなって怒ってたけど、目の前で見せられて信じる気になったわ」


最近は情報社会ゆえこう言った情報が簡単に出回る。貰える側からすればありがたい限りだが、発信する側になる気にはとてもなれない。


「申し訳ないのですが、このことは他の方には秘密にしていただけますか?」


こんな世界だ。情の移った彼女達ならともかく、赤の他人に手の内をばらすなどあり得ない。


「……分かったわ。絶対誰にも言わない」

「……そのお力があれば多くの方を助けられると思いますが」


澪はすぐ頷いてくれたが、凛は少し納得がいかないようだ。


「悪意ある人間というのがこの世には大勢います。そうじゃなくたって生き残るためなら人は人を殺します」


なんなら、つい先ほど、それを味わったばかりだ。


俺は運良く殺されずに済んだが、もしあそこがだだっ広い草原だったらもしかしたら死んでいたかもしれない。


「だから……約束していただけませんか? 私の許可なくこの事を漏らさないと」

「……分かりました。約束します」


そう言って最後には頷いてくれた。

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