第2話 ゴブリン

「くっ……くわぁぁぁーー……」


静かな朝。目が覚めた俺は軽くベットの上で伸びをする。


「くんくん……、なんか臭いなぁ……」


基本的に動物は自分の匂いに鈍感だ。それは人間にも当てはまる。

だが、そんな常識を打ち破るかの如く、目覚めた瞬間に自分の体臭が匂ってきた。


(そんな寝汗かいてたのかなぁ。めちゃめちゃトイレにも行きたいし。それに、何か夜中に目が覚めたような……)


そんなことを思いつつ、俺はトイレに直行する。

そしてそこで異変に気づく。


「あれ、電気が付かない」


電源スイッチを何度カチカチ押しても一向に電気が付かない。

もしかして寝ている間にブレーカーでも落ちたのかもと思い見にいくが、ちゃんとあがったままだ。


「困ったなぁ……」


幸いにも朝日が強く、室内は明るい為問題はない。だが、せっかくの休みなのに電気会社に連絡をしなければいけない用事ができてしまったことに暗い気持ちになる。


「休みだっていうのについてないなぁ」


そう愚痴りながらトイレをすまし、今度は身体を洗うため裸になりシャワーの蛇口をひねる。

だが、いつまで経っても冷たい水は温かくならない。

そこではたと気づく。電気が落ちたということはシャワーも単なる水になってしまったということだ。


「ついてねぇー」


夏もそろそろ終わりというこの季節。我慢しようと思えばできないことはない。

そう思い、意を決して水のままのシャワーに頭を突っ込み、体を洗う。


「うぅーさみぃさみぃ」


まだ暖かいとはいえ、流石に水シャワーで体は冷え、寒さに身体を震わせる。


急いでタオルで身体を乾かし、髪も拭く。短髪のビジネスヘアだから30分もすればすぐ乾く。

そして早速電気について連絡をしようとし、スマホの画面を見た瞬間、目を疑う文字が出てきた。


その画面に書かれていたのは俺が眠ってから6日後の木曜日。

しかも時間は既に13時を回っている。


時が止まる。完全な遅刻。

頭の中が真っ白になるが、次の瞬間、俺の体は勝手に動いていた。


机に置いておいたスーツを引っ掴んで着込み、ビジネスバックを掴む。

そして靴下を履いた後スマホをポケットに入れて慌てて部屋から飛び出す。


「くそ、くそっ!」


五日間も寝るとは思わなかった。予定もなかったのでアラームなどはつけていなかったのだ。


急いで扉を閉め、鍵をかけ、ダッシュで階段へと向かう。


だが、俺がマンションの階段を降りることはなかった。


なぜなら、2階に降りるための階段の前に、奇妙な緑色の生き物が三匹、こちらに背を向けて座っていたからだ。


いや、正確にはもう一人、倒れてピクリとも動かないスーツを着た男性が倒れていた。


何を思ったのか俺は、ゆっくりゆっくりと近づいていき、そっと後ろから覗き見る。


「ひっ……」


思わず声が出てしまった。倒れていた男性の顔は既に原型を留めておらず、脳みそは頭からはみ出していた。


だが、かろうじてまだ読み取れるその顔は俺の部屋の二個隣に住んでいる佐藤さんだった。


単なる顔見知り程度で、年齢や仕事、下の名前すら知らない男性だ。辛うじて俺が知っているのは一人暮らしということくらいだ。


そんな目があったら挨拶をする程度の関係なのだが、それでも顔見知りが脳みそを垂れ流しながら死んでいるというのはそれだけの衝撃があった。


だが、固まる時間は俺にはなかった。


何故なら俺の声を聞いたその緑色の生物がゆっくりと振り向いたからだ。


ゴブリン。

その言葉以上に目の前の生物を表す言葉はないだろう。


緑色の身体、小学生ほどの背丈、黄色い目、尖った耳、血の滴る口から覗くサメのように鋭い牙。


そして何より、その口から垂れているのはなんと、倒れた佐藤さんの脳みそだった。


その事実が俺の体を硬直させた。


「ギギッ?」


その黄色い眼球の中にある黒い瞳と俺の目が合う。


「ギャーギャー!!」


次の瞬間、ゴブリンが叫び声を上げながら、俺に飛びついてくる。


「うわぁぁぁぁーーーー」


思わず右手に持っていたビジネスバックをゴブリンに投げ付け、その隙に全力ダッシュで自分の部屋の扉を開け、部屋に入って鍵を閉める。


(なんだ?なんなんだこれ!?)


意味がわからない。夢なら早く覚めてほしい。五日間寝続けた事もそうだ。途中で起きた記憶もない。


だが、ゴブリン達は俺に時間をくれなかった。


ドン、ドン。


「ギャーギャー!!」

「うわぁぁ!!」


鉄の扉を外から叩く音が部屋に響き、ドアに背を預けていた俺はびっくりして腰を抜かす。


(ここから逃げないと)


俺は震える脚に力を入れて、自分の部屋に戻る。そして自分が持っているリュックサックで一番大きいバックを引っ張り出し、ジャージ上下とタオル、下着を入れ、ライターなども入れ、2リットルのお茶、カロリーメーカーを詰める。


カップ麺なども詰めたいが場所を取るし、お湯を作れるかわからない。ビニール袋に入れてがさがささせながら歩くわけにもいかないだろう。


扉の外からは相変わらずゴブリンが叫び声を上げながら扉を叩く音が聞こえて来る。

いつ仲間を引き連れて扉が破られるか分からない。


一通り詰め終わった俺は、服装を普段の外行きの服に着替えてベランダから外に出る。


そこで改めて外の様子を見回して異変に気付いた。


音がない。


平日の真昼間の住宅街。車の音や人の話し声などが全く聞こえてこなかった。


嫌な静けさだ。


朝会社に出勤したら重大な問題が起こっていた時に似ている。肌がピリつくのを感じた。


だが考える時間はない。


下をざっと見渡し、ゴブリンなどがいないことを確認した俺は、泥棒のように柵を越え、二階、一階へと降りていく。


そして柵から地面に降りた瞬間、バックの重さと足が震えている事もあり、地面に尻餅をついてしまう。


だが、すぐに立ち上がり、その場から離れる。


まだ後ろからは小さくなっているが扉を叩く音とゴブリンの声が聞こえてくる。


仲間を引き寄せるかも、と思ったがこの近くにはいないのだろうか。


とにかく不幸中の幸いだ。


今は安全な場所を探して考える時間が欲しい。


そう思いながら俺は道路に飛び出した。

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