ひとりじゃない
「私の名前はミファ、よろしくね♪」
オレンジ色のワンピースを着た女の子がウインクすると、『リンッ』と爽やかな音が鳴った。
「お、おう。よろしく……って、どーなってんのこれ⁇」
「だよね~。いきなりだと驚いちゃうよね~。じゃ、ミファがざっくり説明してあげよう!」
ミファという名の女の子は胸を張って両手を腰に当てると、『ポロロンッ』と陽気な音が鳴った。
変わった体質だなおい……なんてことを心の中でツッコミつつ、彼女のざっくり説明に耳を傾ける。
説明をざっくりまとめると、ミファはやっぱり俺が育てた音符らしい。
こう言いながらあまりの奇妙さに苦笑いせずにはいられないが、その音符に毎日鼻歌を聴かせて育てたのは他でもない俺自身だし、そんな奇妙な出来事も受け入れる態勢はできちゃってるんだよね。
それより、大の大人の家に普通の人間の女の子が転がり込んでるってパターンの方が色んな意味で圧倒的にヤバいし、むしろホッとしたっていうのが本音だったりもする。
まあ、見た目結構可愛いし、嬉しく無いと言ったら嘘になる……って、別にヘンな意味じゃないから! いやマジで!
なんて言うかな……自分が0(全音符)から育ててきたっていうのもあって、俺に取ってミファは娘という感覚、なんとなく父親になったような気分。
ってことは……もしかして、食事代とか色々ヤバくない!?
植木鉢と土を買うのですら躊躇してた俺の安月給で、いきなり娘を養うなんて……。
「わー! ちょっと、ほらほら!!」
突然、ミファが口を大きく開けながら部屋の壁を指差した。
その先には……時計!
「うわっ、マジで遅刻しそう! と、とりあえず俺、行ってくるわ!」
気になる事は山ほどあるが、今はとにかく仕事をちゃんとこなさないと!
「うん! 行ってらっしゃい!」
ミファがニコッと笑うと、その目から小さな音符が何個か飛び出してすぐ消えた。
な、何それ!?
って、そこに食いついている余裕は無い。
急いで顔洗って着替えて鞄に荷物詰め込んで、なんとか準備完了。
玄関で靴を履きながら、
「じゃ、行ってくる!」
と、何年ぶりかのセリフをミファに向かって言いながら、ドアのカギを開ける。
「バイバーイ、頑張ってねー♪」
ミファが振る手と透き通るような聞き心地の良い声を背中に受けながら、俺は外へと飛び出した。
駅に向かって走りながら、今まで味わった事の無い種類の“やる気”が心の中でムクムクと湧き出してくるのを感じる。
子供ために頑張る父親っていうのは、きっとこういう気分なのか……なんて考えつつ、その前に嫁さんはもちろん彼女すら出来る気配ないんだけど俺! などとツッコミ、思わず「フフッ」と口に出して笑ってしまった。
すれ違ったおばさんにギョッとした顔をされながら、全力で走って会社を目指した。
「ただいまー」
いつものように誰も居ない部屋の中に向かって……いや、居る!
俺がスイッチを押すまでも無く、もう電気は付いていた。
そして、テーブルの前でちょこんと正座しているミファが俺の顔を見るなり、
「おかえりー♪」
と言ってニコッと笑った。
「お、おう……」
内心結構グッと来るものがあったが、どことなく照れくさくてそれを表に出さないように真顔で返す。
ただ、昨日まで俺以外誰も居なかったこの部屋に、女の子が居るなんて異常事態にもほどがあるにも関わらず、それを自然に受け入れられている自分がいた。
それは、ミファが全くの見知らぬ女の子では無く、元々はあの“音符”だったというのが大きいのかも知れない。
とは言え、服を着替えるのは少し躊躇した。
植木鉢の前だったら全然平気で全裸になってたりもしたけど、さすがにこの状態のミファの前でそんなことしたら、それこそ警察沙汰になりかねない……と、頭の中でパトカーがチラつき、一応洗面所で着替えることにした。
その後、コンビニ弁当を食べながら、今日会社であったことをミファに話す。
なんとかギリギリ間に合って遅刻にならずに済んだことを報告すると、
「うおっ、セーフセーフ! 良かったね!」
ミファは自分の事のように喜んでくれた。
でも、肝心の仕事中にちょっとしたヘマを続けてしまい、苦手な上司からかなり強めに叱られたことも話した。
「ムキー! それぐらい許してくれても良いのにぃ! 上司のバカバカ‼」
「ははっ。ミスった俺が悪いんだけどね。まあでも、ミファがそう言ってくれるとちょっとスカッとしたな」
「えっ、ほんと? わーい、良かった!」
ミファが手を叩く度に、タンバリンのような賑やかな音が鳴った。
ちょっと大袈裟な気もするけど、俺自身どっちかと言うと感情をあまり表に出さないタイプだけに、そういうのって少し羨ましかったりもして。
「あっ、ほら、お弁当冷めちゃうよ!」
ミファがテーブルの上の唐揚げ弁当を指差した。
俺の大好物だが、話に夢中でまだ1個しか減ってなかった。
というか、その隣にはミファの分もあるけど、一切手を付けようとしない。
「そう言うミファも全然食ってないじゃんか。ほら、食べなよ」
「あ、ごめん! ミファはこういうの食べないの」
「えっ、そーなの? あっ、もしかして油っこいのが苦手ってこと? それならサラダとかにすれば良かったか……」
「違う違うぅ! ミファが食べたいのは……ほらほら……」
と、何故かモジモジしだした。
「えっ? ほらほらってなに?? えーっと……」
いやマジでわからん!
焦らしてるとかそんなテクニックなわけでは無く、本気で分からなすぎる。
女っ気の無い生活が長すぎて、本気でその答えにたどり着ける気がゼロなんだけど……。
「もう! アレだよアレ‼」
「あ、アレ⁇ なんだなんだアレって……」
微妙に頭の中をかすめるスケベな答えを振り払いつつ、脳みそ総動員でその謎を解こうとしてるのだが、答えのしっぽすら見えてこない。
「ほら、毎日やってくれてたじゃん! ほらほら‼」
「えっ、毎日やってた? 俺が⁇」
「うんうん! 仕事がいっぱいあってどんだけ帰るのが遅くなっても、ちゃんと休まずやってくれてたのにぃ!」
ヤバい。
あれほどにこやかだったミファの顔が、少しずつ赤みを増してきてる。
感情表現が豊かな子だけに、怒らせたらとんでもないことに……って、仕事から帰ってきてやってた?
それってもしかして……。
「分かった! 鼻歌だ!」
「ピンポーン‼ 正解‼ ねっ、ねっ、毎日ちゃんとやってくれてたでしょ?」
「ああ、やってたやってた! って、それだけで良いの?」
「うん。もう、お腹すいてきたから早くちょーだい!」
ミファは口……ではなく、耳をこっちに向けた
まっ、植木鉢に向かって歌うのに比べたら……って思いつつ、なんだか妙に照れくさい。
お酒を買い忘れたことを後悔しつつ、耳をクイクイッとさせるミファに急かされるように、俺は鼻歌を歌い始めた。
最初はやっぱりめちゃくちゃ恥ずかしかったけど、ミファの嬉しそうな顔を見てたらなんだか吹っ切れて、いつの間にか熱唱しつつ歌い切っていた。
パチパチパチッ!
タンバリンのようなミファの拍手。
「あー、美味しかったぁ! ねえねえ、おかわりは? ねえねえ!」
「えっ? アンコール……ってこと?」
「うんうん! だって、めちゃくちゃ良かったんだもん!」
「そ、そう? しょうがないなあ……じゃあ、あと1曲な」
「わーい!」
喜ぶミファに向けて、俺は性懲りも無くまた鼻歌を歌い出した。
ただし、気分が良くなりすぎてその後、さらに5曲も歌ったことは絶対ここだけの秘密である……。
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