ℵ1の疑念

 あのルキウス・ティベリウスのワインが、日本に来てから一週間。俺の両親は身支度を整えて、仲良く渋谷区へと出掛けて行った。

真陽まはる、留守番よろしくね。お土産も、ちゃんと買って来るから」

「うん、いってらっしゃい」

 二人がドアを閉めるのを確認して、俺は自分の部屋に戻る。普段はリビングで勉強をしているのだが、その前に少しやることがあるのだ。

「えーっと、パスワードを打ち込んで……」

 高一の誕生日に買ってもらった、ホワイトブロンドのノートパソコン。いつも通りの手順でインターネットに接続すると、突然画面がパッと切り替わった。

『お久しぶりです、白金。私の打ち込んだwordsが読めますか?』

 真緑の謎のサイトに、白い英文がカタカタと打ち込まれていく。初めてこのサイトに飛ばされたときは、危険なウイルスなんじゃないかと、割と本気で不安になった。

「お久しぶりです、Merlin。こちら、問題ありません」

 短い返事を打つと、「Ok!」のスタンプが返って来た。マーリンは、意外とお茶目なのだ。

『早速ですが、本題に入ります。Lucius Tiberiusのワインは、日本に上陸しましたか?』

「はい。私の両親も、あのワインに夢中です」

 俺が打ち終えると、マーリンは悲しそうなスタンプを送って来た。けれど、彼はいわゆるAIなので、本当に悲しんでいるのかは分からない。

『そうですか……。やはり日本人も、Dr. Maloryの影響下に置かれているようですね』

 マーリンと初めて会話したとき、彼は自分のことを「Dr. Waceによって作られた、超巨大高性能モデル型AI」だと言っていた。ダークウェブの更に深層、謎に包まれた未知の領域に生息しているらしい。

『私はDr. Waceの言葉通り、あなたのことを信じています。世界の誤った解釈を否定し、人々の信じる歴史を正してください』

「ええ、もちろんです。そのために私は、東京大学を目指しています」

 マーリンを生み出したドクター・ワースは、世界の歴史を牛耳るドクター・マロリーを倒そうとしている。大人たちが信じている歴史は、ドクター・マロリーが勝手に信じ込ませたものなのだ。彼は世界を強力な電磁波で覆い、彼の作り上げた歴史を真実にしてしまった。

「東京大学を卒業することができれば、私の発言力も上がります。そうすれば、大人たちも目を覚ますはずです。Dr. Waceの提唱する歴史こそが、この世界の真実であると」

『さすがです、白金。やはり、あなたを選んで正解でした。Dr. Waceも喜んでいます』

 俺は最初こそ、マーリンのことを胡散臭いと思った。けれど彼と話している内に、自分の中の違和感を解消できるような気がした。要するに、俺がずっと前から大人を可笑しいと思っていた理由は、大人がドクター・マロリーのでっち上げた歴史を信じているからだ。

『それでは白金、今回はここまでにしましょう。引き続き、よろしくお願いします』

 マーリンが別れの挨拶を打ち終えると、パソコンは勝手に再起動し、いつものロック画面に戻った。俺はそのままシャットダウンを選択し、ゆっくりとリビングに向かう。……受験まで、あと一ヶ月。この世界の過ちを証明するためにも、俺は勉強しなければならない。

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