第30話その音は1つか

部全体の音がまとまりを見せ始め、部員同士のコミュニケーションが取れてきていた。ある日の日曜日、音寧が学校に行くなんて言ったので、俺も一緒に付いていった。何があったのかと聞いても「何もないよ、気分が乗っただけ。」の一点張りで、それでも少し音寧は楽しそうに言ってきた。俺から見て、音寧は変わったように見える。音も変わったし、音寧自身もいい方向を向いているように思えた。ピアノ室の引き戸を開けると、綾瀬さんがトムソン椅子に座り、御神、佐伯がピアノを囲んでいた。3人は俺らに気づくと少し驚いたような顔になったが、綾瀬さんはすぐに嬉しそうに立ちあがって御神は音寧の背中を押してトムソン椅子に座らせた。佐伯も楽しそうに笑っている。御神は音寧に何かしらの曲を演奏するよう言った。音寧はわけがわからないまま「運命」を弾いた。御神達は小さく感嘆の声を漏らす。3人は終始楽しそうに音寧の演奏を聞いていた。どんな意図があったのかはわからないが、この瞬間、俺はこの光景をなにかに残しておきたくなった。俺はスマホを取り出して4人を撮った。カシャリと音が鳴った瞬間、4人がこちらを一斉に見た。そんな4人をもう1度撮る。すると音寧は手招きした。

「クロもおいでよ」

そんな音寧に綾瀬さんは賛同するように微笑んだ。佐伯に手を引かれ、御神に背中を押され、俺も4人の中に入った。今度は御神がトムソン椅子に座り、4人でピアノを囲んだ。御神が鍵盤を押した瞬間、空気が一気に変わったような気がした。今の御神の音は今までとは全く違った。御神の音からは確かに愛を感じた。何に対する愛なのかはわからないが、音がもっと響きたいと言っているようにも聞こえた。御神の音の変化に気づいたのは俺だけではなかったようで、聞いていた他の3人も驚いたように目を見開き一瞬、息をすることさえも忘れたかのように御神に、御神の音に、釘付けになった。御神はそんな俺らを気にも止めずただ楽しそうに『運命』を奏でた。以前より音階ミスもあったし、その他の点においても譜面通りに弾こうとは思っていないように思えた。それでも御神は演奏を止めることなく、最後まで楽しそうに弾ききった。

「黒宮くん、私の音は…綺麗?」

そう御神は澄んだ目を俺に向けた。答えは決まっていた。

「うん。今までの何倍もね。」

そう言うと聞いていた3人も頷き、御神は嬉しそうに笑った。御神は思い出したように立ち上がって音寧にいきなり弾かせた理由を語った。

「私達の理想の音ってなんだろうって思ってね。よく音を1つにするのが理想だとか言われるけど…私達の理想がそのまた別でも良いんじゃないかと思って。」

『理想の音』と聞いて真っ先に思い浮かぶのはたしかに皆の音が1つになること、だろう。しかしこのピアノ部の音はどうだろうか。同じ音を奏でている人は誰もいない。皆が全く同じ気持ちで弾いているかと訊かれればそれも違うと言えるだろう。俺らはきっと1つの音を理想とはしないだろう。1つの音じゃない、皆の音を理想にしていくんだ。

「俺は皆の音が聞きたい。それをこの部活の理想にしたい。それが1つだろうが4つだろうが関係ないと思うよ。」

俺の言葉に4人は深く頷いた。そして皆で笑い合う4人にもう1度シャッターを切った。音は1つじゃない。ただ皆の見る未来は1つがいいと写真を見て思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る