第28話塞ぐ耳
御神はコンクールの日からどこか変わったような気がした。以前より音はより堅くなったし、より音の精度を追求するようになった。テンポ、強弱、全てが譜面通りにならないとすぐに演奏を止めるようになったし、他の人がミスをすると深くため息をつくようにもなった。ミスを以前より過剰に嫌うようになったといえば正しいのかもわからないが、たった1つのミスが空気を一気に凍らせる魔法を化した様だった。どうかしたのか、と御神に問えば「作曲者の意志に従うべきだと思う」の1点張りで、自分の音を聞くことは一切しなくなったし、他の人の音も彼女が聞くことは無かった。その所為か、コンクールが終わったときから部全体が音を出せなくなり、ミスをすると誰もがうつむいた。音寧も練習に行くのを拒否するようになったし、佐伯と綾瀬さんは毎日来るもののつまらなそうだった。それが余計にミスを生み、御神はそれに苛つきを見せた。過去にこれほどの悪循環があっただろうか。佐伯は特にコンクールの後1週間部活に来ていなかったので余計ミスが多く目立った。佐伯が戻ってきて1週間ほど経った1月のある日、いつものように練習が行われていた。冬休みも割と最近明けたばかりで全校委員会があったから全員が集まるのが少し遅くなった。最後に綾瀬さんが予定より15分ほど遅れて来た。御神も委員会だとわかっていたからか口に出して何かを言うことは無かったが、練習時間が減ったことに少し苛ついているように見えた。勿論その空気感に気づかない者は居なかったし、綾瀬さん以外の皆がそんな御神に苛つきに似た感情を抱いていたと思う。綾瀬さんはというと苛ついてる御神に申し訳無さそうにただ視線を下げていた。それでも俺らはピアノを弾くためにここに居るのだから、ピアノを弾かないわけにはいかなかった。息を深く吐いてから
「練習しようか」
と手を叩くと皆はトムソン椅子にそれぞれ座った。俺が指揮台に乗ると、あれだけ重苦しかった空気も少し張りを帯びる。今、皆の中にはどんな感情が渦巻いているのかはわからない。ただ、ピアノを心から嫌う者はここには居ないように思えた。最初の一音、緊張のせいか、綾瀬さんは音階を間違えた。揃って入った御神の音が消える。もう聞き慣れた御神の深いため息がピアノ室に広がった直後、初めて聞くような大きな不協和音が響いた。音がした方を見ると佐伯が思いっきり鍵盤を叩いて立ち上がっていた。肩で息をする佐伯に、誰もが驚きを隠せない。音寧ですらも目を見開いて隣の佐伯を見つめている。佐伯は暫くそのまま動かなかったが、呼吸が少し落ち着くと御神を睨んだ。
「な、何よ。」
御神は佐伯の視線に身体を更に強張らせた。佐伯は御神を睨んだまま言葉を続けた。
「止めろよ、もう。今のお前はこのピアノ部と同じ方向向いてねぇんだよ。」
鋭く刺々しい佐伯の言葉は御神にハッキリとした傷を残す。それでも佐伯はまだ感情が収まらないようで、御神に向けられる視線は厳しい。御神は少し気まずそうに視線を下げた。そんな御神に佐伯は更に言葉を続けようとしたが、綾瀬さんは嫌がるように耳を塞いだ。
「もう…やめませんか。こんなこと…誰も望んでないです。」
苦しそうにそう言う綾瀬さんの言葉で誰もが口をつぐむ。この空気を切る方法を知るものは誰もここには居なかった。
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