第22話音

コンクール当日、集合時間の30分前には全員が集まっていた。御神と音寧はコンクールの会場が見慣れているのか、別の景色ということに関しては特に何も感じないみたいだったが、いつもと違う箇所があればるほど佐伯と綾瀬さんは焦りや緊張を感じていった。受付を済ますと俺らは控室に案内されそこには2台のアップライトピアノが壁に向き合っていた。ピアノのコンクール会場の控室ともなればこのくらいは当たり前なのか…。俺らは時間になるまで何度も練習をした。「時間です、そろそろ会場に移動お願いします。」と係員に言われ、控室を出ると、全員の表情が明らかに強張っているのが分かった。客席につくと、多くの人が硬い表情のまま誰も居ないステージを見つめていた。

「これより、冬季ジュニアオリンピック2021−2台4人8手部門を開催いたします。」

司会者がステージの中央に出てきて放った言葉は会場にさらなる緊張を連れてきた。それからまもなくして1組目の奏者達が出てきて一礼する。ステージ上の緊張が客席まで伝わってくる。それからどのくらい経ったのか分からない、気づけば係員に呼ばれ、舞台袖に移動した。綾瀬さんは膝が震え、心なしか自信がなさげだ。昨日、練習後に1人ひとりで聞いた時、皆音はしっかり聞こえていたし、問題点も大したことではなく聞こえた。きっと今日も大丈夫だ。きっと、そう思わなければ平常心が保てないんだと自分の心の弱さに驚いた。

「続いて、盈月高校えいげつこうこうピアノ部、演奏曲はベートベン作曲『交響曲第5番 ハ短調 作品67』。どうぞ。」

司会者の声に背中を押されたかのように足が前に進む。指揮台の横で止まり、4人が立ち止まったのを確認してから一礼した。つられたように客席から飛んでくる拍手に背を向け、指揮台に立つ。指揮棒を振り始めた4拍後、俺らの『運命』が始まる。皆が緊張しているのがひしひしと伝わってくる。最初の音を聞いた時、俺だけでなく、部員全員、もしかしたら観客も驚いたかもしれない。緊張の所為か、拍はズレ、スピードもバラバラ。全員が焦り、ただそうと音を大きくし続ける。自分の音をだそうだなんて誰の頭にも無かったのかもしれない。おそらく全員が只、正しく譜面をなぞろうと必死だった。いつもより速く弾いているはずなのにいつまでも曲は終わらなかった。「永遠に続く悪夢のようだ。」とまで思った。演奏が終わり、一礼をした時、何か始まるときとは違う意味の拍手が送られた気がした。その後何組か演奏が行われていたみたいだが、その演奏が素直に耳に入ってくることは無かった。耳に入ってきているようで入っていない、音に対してここまで何も感じなくなったのは初めてだと言ってもいいだろう。全ての出場者の演奏が終わり、コンクールの結果審査となった。コンクールの結果通知までは30分ほどあり、出場者は一度控室に戻るように言われた。控室まで他の4人から何か言葉が出てくることは無かった。きっと感じている思いは同じだろう。そう思ったのは俺のただの願いからだけじゃない。皆、下を向き、同じように歯を食いしばっていたからだ。悔しいという感情を忘れたかと思っていた音寧でさえ、悔しそうに、只視線をさげて肩を震わせていた。その姿を見て、少し安心してしまった俺は、駄目な部長なのかもしれない。

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