第19話ピアノとは
御神宅に着いた俺らは家のデカさに圧倒され、思わず服装を整えた。しばらくするといかにも漫画に出てきそうな格好のメイドと執事が出てきた。メイドは優しくふんわりと笑顔を作りながら「おかえりなさいませ」と頭を下げたが、目は俺らを品定めするようなものだった。一方執事は「お荷物をお預かりします。」といい、貼り付けたような笑顔を俺らに向けた。その執事の声にはどこか強制力が伴っている気がして気づけば荷物を手渡していた。大きすぎるほどのリビングに案内され、紅茶と見たこともない高級そうな洋菓子を出された。
「旦那様はいつものところに。」
俺らの目的が御神さんの父親だということが分かっているのか、執事はただそれだけ伝えてどこかに行ってしまった。心もこの先の行動も全てが見透かされているような気がして余計に姿勢が伸びた。居心地の悪さを感じていたのは俺だけじゃないらしい。佐伯や綾瀬さんもいつにも増して姿勢がいい。音寧は俺にくっついてはいるもののいつものように膝に乗ってきたりはしない。音寧もそれなりに緊張しているのだろう。御神はそんな空気に気づいているのか、ただ無言で紅茶を飲み進めていた。俺は今どうするのが正解なのだろうか。暫くするとピアノの音がした。
「最近は作曲もしてるらしいの。」
聞いたことのない曲の音の並びに疑問をもった俺らに御神は短く答えた。作曲中に御神の部活の話を持ち出すのは良くないかもしれない。作曲中は気が立つ人も多くいる。特にピアニストとして活動してた人はイメージを抱いてそれを曲にする人が多い。御神の父親もその一人かも知れない。御神が父親の所へ行く気配もなく、父親が来るのを待っている気がした。居心地の悪い空気はただ沈黙を生み続けた。暫くして、ピアノの音が止んだ。作業が終わったのだろうか。少ししてから御神の父親らしき人が入ってきた。俺らが来ているのはもうすでに知っていたらしく、一瞥してから少し離れたところにあるイージーチェアに腰掛けて外を眺めた。
「なんの用だ。」
ただのリビングダイニングと呼ぶには広すぎる部屋に1つだけ響いた低く平らな声は1人の部員の運命をかけた話の始まりを告げた。御神の父親がこちらを見ることはなかったが、自然と部員全員の姿勢が伸びた。
「俺らは御神さんの退部に反対です。」
深く息を吐いたあと、俺が言うと御神の父親が少しこちらに顔を向けた気がした。
「そうか。」
そう言う御神の父親の言葉はさっきよりも硬かった。まるで、「
「失礼ですが、御神さんにピアノ部を辞めさせるのはピアニストとしての意見ですか、御神さんの父親としての意見ですか。それとも…貴方のわがままですか。」
俺はうるさく警告を鳴らす心拍を無視して御神の父親をまっすぐと見つめた。御神の父親は少し癪に障ったのか、眉をひそめて俺を見た。しかし、すぐに目をそらし、面白そうに口角を上げた。
「なるほど。そういうことか。」
御神の父親はイージーチェアから立ち上がって部屋から出た。ついてこい、ということなのか執事が扉が閉まらないようにおさえている。俺らは一度顔を見合わせて、全員で御神の父親のあとについていった。
「ピアノとは。」
そう言うと御神の父親はピアノのある部屋に入ってトムソン椅子に腰掛けた。
「なんだと思う」
ポーン
鳴らされたたった1音が御神の父親の全てを表している気がした。技術だけを洗練した、技術者の音だった。御神の音を、もっと機械的に進化させたような音だ。
「鏡です。」
俺がまっすぐ見つめると少し悲しそうに御神の父親は微笑んだ。
「葵」
「はい」
御神の父親は鍵盤カバーをゆっくりとかけ、鍵盤蓋を下ろした。御神の父親は今、何を感じているのだろうか。彼はトムソン椅子から立ち上がって
「やりたいなら今回は部活を続けてもいい。」
とだけ言って部屋から出ていってしまった。彼は何を感じたのか、俺にはわからない。それでも、彼の笑顔を綺麗だと思ったのは俺だけじゃなさそうだ。御神も、透明な涙を流していたから。
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