第10話スキとキライ

次の日、ピアノ室に居たのは音寧と佐伯だった。綾瀬さんは音楽室で慣れる練習、御神はレッスンだそうだ。俺から見てやばいのはこのペアだった。未経験の音楽好きと元天才の音楽嫌い。いくら何でも真反対すぎやしないか。御神たちもそうと言えばそうだが、綾瀬さんの性格の丸さと御神のどこかで折り合いをつけられるような要領の良さがあるから相性がいいと言えるもののこの2人はどうだろうか。適当な音寧と音楽に関しては妥協しない佐伯…不安でしかない。

「じゃあやるか」

気合を入れてトムソン椅子に座った佐伯とは裏腹に音寧は俺にくっつき、動こうとしない。

「白藤、教えてくれ…って、いない…何処だ」

音寧がいない事に気づいた佐伯の第一の感情は驚きだったようだ。ここまではいい。俺が危惧してるのはこの驚きの感情がイラつきに変わる事だ。ストイックな佐伯の事だ、勿論教えてほしいと思うだろう。その時に教えを請えられるのはペアの音寧しかいない。その相手がやる気のない人間だったら佐伯はどうだろうか。最初に感じるのは驚きかもしれないがそれが次第に怒りに変わって行くのではないか。それでもきっと音寧は態度を大幅に変えることはしないだろう。音寧は自分のペースを崩したがらないからだ。やりたいときにやりたい事をやりたい分だけやって結果を人より出す。これが白藤音寧だ。

「白藤、教えてくれ。」

音寧を見つけた佐伯は俺の(正確には音寧の)方に近づき、もう一度教えを請えた。

「やだよ」

音寧は一度佐伯を見てからいつもののんびりした声で言った。俺の想定通りのやり取りで不安になってくる。

「クロぉ、トイレ行こぉ?」

音寧は佐伯の存在を気にせずに言った。俺は仕方なく立ち、佐伯に断りを入れてから教室を出た。ただ、音寧が出る間際に何かを佐伯に言っていた。

「佐伯クン…怒っちゃったかなぁ」

音寧は俺に腕を絡ませ、寒そうに歩きながら言った。

宣戦布告でもしたのだろうか。音寧に限ってそれは無さそうだ。

「何て言ったの?」

俺が聞くと少し笑って

「ボクは音楽が大っ嫌い、でもボクは天才。キミは音楽が好きみたいだけど、天才じゃない。ボクはキミみたいなヒトが大っ嫌いだよ。って」

と言った。何故そこまで爆弾を落とすような発言をしたんだ・・・。まだ序盤だと言うのに揉め事は避けられそうにない予感だ。

「音寧、あのさ…」

「分かってるよ。ケンカなんかしないよ」

ふんわりと笑う音寧は本当に分かっているのか分からない目をしていた。毛嫌いしている音楽好きを見るような音寧の視線に俺は悪い予感が杞憂に終わることはないと確信した。音寧はトイレを済ますと出る間際に言った言葉を忘れ、何もなかったかのように平然とピアノ室に入った。不規則に鳴っていたピアノの音は音寧が入ると同時に止み、代わりにトムソン椅子を引きずる嫌な音が短く鳴った。音寧に近づく佐伯からは苛立ちが見える。『口喧嘩だけで済めばいいな。』思わず俺はそう思った。しかし佐伯は手を出すことはしなかった。ギリギリまで音寧に近づいた佐伯は悔しそうに笑いながら

「俺の努力が天才とやらの実力を越えるのを見とけ」

と言い放ってまたトムソン椅子に座った。

「へぇ」

音寧は珍しく面白そうな笑みを浮かべた。もしかしたらいいペアなのかもしれない。俺は少しホッとした。音寧がまたピアノを愛せる日はそう遠くはないのではないか。音寧は変えられるのではないか。この、音楽好きの凡人の手によって。

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