第8話初めの一歩

ピアノ部の活動が正式に始まったのは全体顔合わせの3日後だった。 

カチッカチッカチッカチッ

とメトロノームの規則正しい無表情な音がピアノ室に響く。時々響くピアノの音の主は御神に叱られながら根気強く弾いている佐伯だった。いくら音楽好きだったからとはいえ、ピアノの知識は全く無かった。鍵盤のドの場所すら分からず、御神を呆れられたのは今朝の出来事だ。だが流石楽器経験者というべきか、飲み込みは速かった。御神がこの中で1番技量があるのは明らかで、朝に一度メンバーのピアノを聞いていた。

「ほら、もう一回。」

「あ~っ!!またかよっ」

繰り返される長音階に佐伯は飽きたのか、ガシガシと頭をかいた。御神は佐伯の演奏を聞くたびに小さくため息をついた。

「水澄は手が震えて音が聞こえなかったからなんとも言えないし、佐伯くんはピアノのこと何もわからないし、黒宮くんは弾かないで寝てたし…この部活があのコンクールで優勝できるの?」

御神が音寧の事を言わなかったのは御神も音寧の技術を認めたからだろう。音寧の演奏を聞いた瞬間、御神が息を呑む音が聞こえたくらいだ。御神の言うあの大会とは冬季ジュニアオリンピック2021−2台4人8手部門である。夏季ジュニアオリンピック2021個人部門に出場した御神はその大会の厳しさを知っていた。

「出来るよ。このメンバーなら。」

俺はいつもどおり、椅子に座って側板に寄りかかって言った。別に適当に言っているわけではない。今は人前で弾けない人見知りも、ピアノのことを何も知らない元バンドマンも、ピアノを好きになれない技術者も、ピアノを毛嫌いしている幼馴染も全員が活躍できる大会になると俺は確信していた。

「2台ってことは・・・2人ずつ・・に分かれて・・演奏・・・するんですよね・・・?」

「えぇ。」

部員は5人で誰か1人が演奏ができないということになる。誰を弾かせ、どういうペアにするのか。という問題は早々に解決するべきものだった。相性はもちろん、早く連弾という環境になれる必要がある。1人演奏しないとなれば誰が弾かないべきなのか俺の中で明白だった。

「俺が指揮になるよ」「ちょっと黒宮くん弾いてくれない?」

俺の辞退の声と御神の声が重なった。俺はもう一度

「俺が指揮…やってもいいかな。」

と言うと御神はため息をして俺に弾かせることを諦めた。

「じゃあ、ペアはどうするのよ。」

「上手いのは白藤と御神だろ?綾瀬も上手いのかも知れねぇけど…それぞれのペアで練習するときに教えられる人がいた方が良いんじゃねぇか?」

佐伯にしては名案だな。音寧のことが少し心配だがまぁ大丈夫だろう。

「やっぱり同性の方が練習しやすいかしら。」

確かに同性の方が意見を言いやすかったり、親睦も深めやすいだろう。

「賛成・・・です」

「さんせー」

「んー、いいよぉ」

決まった。綾瀬さん・御神ペアと、佐伯・音寧ペアか・・・。なんとなくだが、うまくいく気がする。目指すのは今年の大会。曲決めから個人、ペア、全体練習まで全てを1ヶ月でやらなければならないという条件に焦りを感じていた。それは俺だけじゃないだろう。御神の表情も少しかたい。

「曲は今日中に決めましょう。」

御神は鞄からルーズリーフを取り出して『コンクール演奏曲』と一番上に書いた。それにしても今日中か…業と『案』と入れなかったことからも相当焦っている事が伝わってくる。

「何か案ある人いる?」

御神の声に反応する人は居なかった。それもそうだろう。佐伯はそもそもクラシックの曲を知らないだろうし綾瀬さんは人見知りで話さないだろう。音寧は嫌いな音楽の事だからか、黙って外を眺めている。勿論、俺の膝に座った状態で。

「う・・・運命・・・はどうでしょう・・・私達が・・出会えた・・のと・・・同じように・・」

沈黙を破ったのは綾瀬さんだ。運命とはベートベン作曲の『交響曲第5番 ハ短調 作品67』のことだろう。理由もいいし有名な曲だから佐伯も1度は聞いたこともあるだろう。

「良いと思う。」

「よくわかんないけど俺もOK」

御神と佐伯は綾瀬さんの提案に賛成した。音寧は何も言わずに外を眺めたままだ。本格的に音楽の話題になってきて音寧としては嫌なんだろう。今朝ピアノを弾いてほしいと言われたときも初めは無視を貫いていたんだから。

「音寧、どう?」

「・・・クロが賛成ならボクも賛成。」

いつもは甘々な音寧の声もどこか硬かった。

「俺は賛成。」

俺が賛成の意を表すと御神はルーズリーフに『ベートーベン作曲・交響曲第5番 ハ短調 作品67』と書いた。

こうして俺らが演奏する曲が決まり、コンクールへのはじめの一歩を踏み出した。

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