【013話】ギルドの怠慢
―― 数日後
給料を前借りし、新調した黒と白のコントラストが美しいメイド服をビシッと揃えて『休め』の姿勢を取ったミアは、ふぅと大きく息を吸っては吐き、吸っては吐きを繰り返した。
緊張を
ミアを無視したイチルは、従業員が使うのために新調した住宅用小屋の屋根をトンカン叩きながら、滑稽な女の様子を上から眺めていた。
「よーし、今日からフレア様のために頑張って働きますよ!」
なんとも奇妙に叫ぶ珍獣のことを一旦頭から消したイチルは、ミアと鉢合わしないように反対側から屋根を降り、ふわぁとノビをして欠伸をした。施設の予定としてはこれから初仕事となっていたが、イチルは細かなことにはタッチせず、何も聞いていなかった。
どちらにしても、事前に決めた計画書を実現するため、淡々と作業をこなしていくほかないのだから……。
イチルが街へ出て朝飯でも食うかと尻を掻いた。尻を掻くのは転生以前からの癖だったが、400年が過ぎた今でも抜けないままだった。
「あのぉ……」
背後から何者かがイチルに声を掛けた。
誰かがいることに気付かないなんてどれだけ油断してたんだと、苦笑いを浮かべ振り返ったイチルは、立っていた見知らぬ人物に返事をした。
「はぁ……。俺になにか?」
「なにかって、こいって言ったのおっさんだろ。忘れたのかよ」
「ええと、……誰でしたっけ。最近美しい女性以外はめっきり覚えられなくてね」
「崖で迫真の演技してやったエルフの
ペトラ、ペトラと頭の中で
「思い出した。で、
「今日から仕事だからお前もこい。そしたら金と住むとこをやるって」
「そ、そうだったか……。ならペトラ君は、今日からこの裏にいる奴らと一緒に仕事をしてくれたまえ。奴らには俺に直接雇われたと説明すれば構わない。だがしかし、一つだけ重要な任務がある。これは俺と君だけの秘密だ」
「んだそれ、面倒くせぇなぁ」
「これから毎日、君たちがどんな仕事をしたのか、逐一俺に報告すること。どんな些細なこともだ。奴らには悟られず、直接俺に報告しろ。もちろんバレれば金も住む所も無しだ。わかるな?」
「なんだか知らねぇけどわかったわかった。その代わり、金はキッチリいただくぜ」
仕事ぶり次第だと手を振ったイチルは、欠伸をしすぎて緩んだまぶたを擦りながら、ペトラに手を振り街に出た。
ゼピアの街は日毎に人の数が減り、商売をしている者の数も明らかに減っていた。これまで賑わっていたパブや店も今や空き家となり、虚しくその姿を晒していた。
「こんなところで俺は何をしてるんだろうな。人生の浪費か、それとも落伍者の戯れか。これからずっと飲んだくれて日がな一日散歩するだけの日々が続くなら、死んだ親父やマティスらは喜ばんだろうね」
イチル主導でフレアを全力でバックアップするのならば、恐らくAD再興も早まるに違いない。しかしそれでは意味がない。
イチル自身の成長だけが目的ならば、他に選ぶべき手段はあったに違いない。しかしイチルはその道を選ばず、フレアという存在に自分の足りない何かを求め、それに賭けた。
ただその結果が漠然と退屈な日々を過ごすだけだったなら、果たして本当に意味があったのだろうかと思わずにいられなかった。
「ま、まだ始まったばかりさ。人は人、オレはオレだ。これまで散々強制されてきたんだ、少しゆっくりするくらい、神様も大目に見てくれんだろ?」
イチルはどうにか手に入れた酒を呷りながら、街のシンボルとして建てられたモニュメント前の椅子にドッカリと腰掛けた。昔はひっきりなしに人が行き来していた中央通りの景色も、今や街を出ていく冒険者の姿がまばらにあるだけで酷く閑散としていた。
エターナルダンジョンから現れる超高ランクのモンスターも、対処するために集まった高ランクの冒険者も、彼らをフォローするために集まった超絶技巧の技術者も、また彼らに付随した多くの者たちも、全て消えてしまった。
悲劇の象徴でしかなかったはずのダンジョンが、多くの人々の生活を支えていたというのは皮肉でしかなかったが、目的を失った街の平和すぎる光景は、イチルにとってどこか退屈で、どこか虚しいものだった。
「緊張感ってのは重要だな。あれから数十日、俺の感性は鈍りっぱなしだ。しかし……、そんな俺の鈍った感性ですら察知してしまう
中央通りの端に並ぶ小売の商店の前に、小さな人集りができていた。
漏れ聞こえてくる声に耳を澄ませたイチルは、人々が口々に噂する言葉の端々を摘み取った。
『新たな』『アンデッド』『ダンジョン』と、身に覚えのある言葉に眉をひそめ、イチルはたまらず人集りに近付いた。買い物に集まった住民は、久方ぶりの緊張感を額に溜めながら、恐恐と噂の真相を話した。
「聞きました? 最近、街の外れに新しいダンジョンができたんですって」
「なんでもアンデッド系のモンスターが地下に出入りしてるとか。しかも噂によると、結構面倒なダンジョンかもしれないって」
「人を操るモンスターがいるって
「困りましたわ。もうゼピアには昔のような護衛の戦士もいなくなってしまったのに。今モンスターに襲われたら、いよいよ街はお終いよ!」
ゼピアの街の外れと言えば、ラビーランドもそんな場所にある。
そしてアンデッドと言えば、ダンジョンの主人であるフレアは文字通り顔色の悪いアンデッドヒューマンである。
最近では、その顔色の悪い少女が新たに人を雇い、荒野に広がるダンジョンを拡充しようと画策している。募集した冒険者の中に、落ちた腹いせで良からぬ噂を広めている輩がいてもおかしくはない。
「しかし噂は噂。ウチはギルドにキチンと申請しているし、彼らも事実を知っている。心配はいらんだろう。それに……、それはそれで面白い」
―― そんなイチルの思惑を知ってか知らずか、住民の不安は日に日に高まり、イチルが火消しを行わなかったことにより、事態はあらぬ方向へと流れ始める。
数日後、いつものように街でふらふらしていたイチルの元に、今度は耳を疑うような噂が聞こえてきた。
『聞きました? 例のダンジョン、いよいよ討伐隊が組まれるそうですよ』
『なんでも、凶悪なモンスターが地下で勢力を拡大しているとか。この街もいよいよお終いだわ。せっかくウチの人が新しい仕事を見つけたっていうのに』
『ですけど奥様、これは内緒の情報なのですけど、数日内に残っている冒険者ギルドの人員を集めて、いよいよダンジョンに踏み込むらしいの。もう安心ですわよ』
聞こえてきた声に、イチルはあららと苦笑いを浮かべた。
仮に討伐隊が組まれたとすれば、たとえ後に
正確なことは不明なものの、数十年前にラビーランドのギルド申請は確実に行われている。そのため、もし仮に討伐隊が組まれたとすれば、責任はギルド側の怠慢、いわゆるポカとなる。
しかしその不都合な事実が外部に漏れるということは、言ってしまえばギルド側の不手際。ただでさえ人員が減り存在価値が失われかけているなかで、新たな問題が発覚してしまうと組織の存続すら危うくなるのは想像に難くない。よってギルドは、組織の体裁を整えるため、活動実績をアピールしてこなかったラビーランドに責任を押し付け、何かしらの罰を与えるに違いない。
そうなれば、必然的に弱小ADであるラビーランドは、結果的に解体処理すべしとお達しがくるに決まっている。
「これは困った。みすみす11億を自動回収されるのはちぃと痛いね」
何かしら手を打たない限り、多額の資金を投入したイチルの財産は無意味に没収されてしまう。とは言え、このまま簡単に手を貸してしまっては面白みに欠ける。
イチルはニヤリと微笑み、パチンを指を鳴らした。噂話をしていた住人二人の耳元で「いい情報をありがとう」と呟くとすぐに、街の中央に建つ塔へ向けワイヤーを放ち、勢いそのままに、強烈な遠心力を使って高く飛び上がり、街を脱出した。
「面白くなってきたじゃないの。物事ってのは、やっぱりハリがなきゃ、やり甲斐ないからな!」
重力に逆らい、勢いのままランドの上空へと浮き上がったイチルは、空の上から敷地全体を見下ろした。
ダンジョン討伐に訪れる冒険者たちは、どこから現れ、どこからダンジョンへ攻め入るのか。想像しつつ落下の浮遊感を髪に蓄えたイチルは、久々の緊張感を浴びながら予測を立てた。
ランドの外観は未だそのほとんどが荒野そのもの。施設は少しの建物と、地下ダンジョン用に掘られた空洞が数ヶ所。そしてフレアが作った円形の穴ぼこが一つあるのみ。
「奴らの状況を加味しても、恐らく集まる冒険者たちのレベルは高くてEクラス。数は十人集まれば良いとこか。だとすると、分散して動くにしても二手が精一杯。はてさて、お嬢様たちはどう迎え撃つ?」
ムササビ状に開いた飛行用の魔道具で垂直に落下したイチルは、荒野で作業するフレアたちの姿を発見し、気付かれぬよう事務所小屋近くに着地した。いつものように何食わぬ顔で欠伸をしながら近付いたイチルは、汗を流し作業する一行に気の抜けた声を掛けた。
「はい、お疲れさん。どうだ、作業は進んでる?」
緊張感なく現れたイチルと対照的に、場にはそぐわない緊張感が漂った。
ただ一人、緊張感を察知したペトラは、イチルを見ぬように機材を肩に担ぎ、そそくさとその場から逃げ出した。
「ええと、その……、アナタは?」
意を決し、イチルの知らない顔が声を掛けてきた。
茶髪でつり上がった切れ目。まさに中肉中背で顔から何から全く特徴のない男のヒューマンと、それとは似ても似つかぬ高身長で、かつ美しく整ったプロポーションと顔、そして優雅すぎるロングの黒髪をなびかせた女のヒューマンの二人が、さも迷惑そうにイチルを見つめていた。
「どーでもいいじゃん。さっさとフレアを呼んで。話があるから」
「失礼ですが、どなたでしょうか。以前どこかでお見かけした気はしますが……」
「いいから早くしてよ。さもないと……、転がしちゃうよ?」
途端に漂い始める緊張感。
自然と身につけた武器に手を伸ばした二人に向かって、「あっ!」と明後日の方を指さしたイチルは、二人が目を逸らした隙に背後へ回り込み、男から奪った短刀を首にあてがった。
「未熟だねぇ。もし俺が
「と、討伐隊、だと」
イチルは並び立つ二人の肩を抱き寄せ、嫌らしく笑った。
そしてわざわざ恐怖を煽るように、声高らかに宣言した。
「数日後、ここに討伐隊がやってくる。君らを殺すためにね……」
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