【012話】憂い多き日々


「確かこんな時は……。ええと、大気に集いし水の恵みよ、我が手に《ネバネバのアレ》を与えよ!」


 イチルとフレアの頭上に大きなはてなマークが漂う。

 それと対照的に、発光し始めたミアの指先から、粘度が高く見るからに気味が悪い乳白色にうごめくネバネバなものが噴出し、布の上にグッショリと嫌な音を立ててくっついた。


「え、ええと、これで大丈夫、ですよね……? とにかく補修できればいいのよ。そうそう!」


 異臭を放ち色味も最悪なナニカを布の端に塗りたくったミアは、液を不均等に伸ばしながら、穴の空いた荒屋の天井に貼り付けた。屋根を上って様子を見にきた少年は、異臭のする粘液を指先でこねながら、「お姉ちゃん、これなんなの……」とだけ言った。


「まだまだこれからよ。布をピンと張ったら、そこから硬化の魔法をかけちゃうんだから。ほらほら、そっちちゃんと持ってて。ピンと張るのよ、ピンと」


 布地を最大限に伸ばして足の裏で押さえたミアは、「ええと」と思い出しながら、恐る恐る新たな詠唱に取り掛かった。


「だ、大地に集いし《カッチカチの息吹》よ。我にその力をわけあたえよ!」


 イチルとフレアの頭上に大きなはてなマークが漂う。

 それと対照的に、発光し始めたミアの指先から、今度は薄灰色の生暖かいまだらな光が照射され、布全体をジトーっと濡らしていく。


「お、お姉ちゃん……? なにこの臭くてシャーッとしたやつ……」

「こ、これはよ。すぐに乾いてカッチカチに固まる。だ、大丈夫よ、固まれば匂いも消えるし、ちゃんと水も弾くんだから!」


 どこでそんな特殊な魔法を覚えるんだというイチルのカルチャーショックをよそに、フレアは「す、凄い!」と驚嘆していた。


 漂ってくる異臭に思わず鼻を摘みながら、イチルはやはり難しい顔にならざるを得なかった。どう考慮したとしても、ミアには圧倒的に何かが欠けている。全てが及第点に足りず、文字に起こしたイメージとはかけ離れすぎていた。


 遊び相手としてならば、確かに愉快で面白い人物なのかもしれない。

 しかし本気の戦いや命のやり取りを要求される場で、ミアという人物に果たして全てを預けられるだろうか。時にシビアな場面を想像すればするほど、ミアに最後の舵を任せるイメージができなかった。


「……やはりミアは無しだな」


 イチルが誰にも聞こえない声で呟いたのをきっかけに、ポツポツと雨が降り始めた。雨は次第に強まり、今度は強い風も吹き始め、高台の緩い地面を激しく濡らしていく。


 未だミアを諦めようとしないフレアの頭に合羽代わりの帽子を被せたイチルは、次第に強くなる雨風と、深まる夜の闇に身を隠せるよう、自分も薄黒い羽織を肩上にまとった。


「重要なのは決断だ。取捨選択の決断力は、物事の基本中の基本。迷いなど一つもあってはならない」


 腰から魔道具を出したイチルは、フレアに悟られぬよう雨音に紛れてワイヤーを発射し、荒屋と崖の合間に突き刺した。そして右手に溜めた魔力を開放し、導線代わりにワイヤーに力を伝わせ、地面を叩き割った。


「爆発は最小限に。地盤は雨によって緩み、軽い衝撃で割れ、自動的に崩れ始める」


 事前に崖周辺の地盤について調べを済ませていたイチルは、並んだ家々から人々を退去させ、避難させていた。少年の荒屋がなんらかの理由で崖崩れを起こし泉に落下したとしても、被害が出ることはない。


履歴書アソコに書かれた力が本物なら、この程度の難局はのりきれるはずだ。悪いがウチにニセモノはいらん。欲しいのはホンモノだけだ」


 雨による浸食とわずかな衝撃により、ズズズと地面が縦に揺れた。

 異変に気付いたミアが下を覗くと、荒屋は既に傾き始めていて、地滑りに飲まれるかたちで流れ始めていた。


「う、嘘でしょ。地面が崩れてッ?!」


 ミアが布を掴まえた付近の崖が崩れたのをきっかけに、雨風に背中を押され、もともと緩い岩盤は躊躇ちゅうちょなくドミノのように崩れていった。もしこのまま何もしなければ、建物は崖下に落下し、二人もろとも土砂に埋まって死ぬのは確実だった。


「お、お姉ちゃん、ぼ、僕の、僕のウチがァ?!」


 恐ろしい音を立て、滝壺に飲み込まれるように周囲の景色が沈み消えていく。

 屋根に乗っている二人は、すぐに逃げるのか、それとも荒屋を守るのかの二択に迫られていた。


「危ないです、ミアさん早く逃げて!」


 思わず声を上げたフレアの口を塞いだイチルは、シーと指を立てた。

 そして耳元でよく見ていろと囁いた。


「人の真価ってものは、ここぞという場面でこそ見える。どれだけ大口で取り繕ったところで、いざという時に動けない者ほど無意味なものはない。よく見ておけ」


 雨で悪くなった視界の一部に溶け込みながら、イチルはフレアを抱えて安全な場所へと飛び移った。そして一段上がった高台の上から、ミアに向け「本当の力を見せてみろ!」と吠えた。


「お姉ちゃん、僕のウチが、どうにかしてよぉ!」

「そ、そんなこと言われても、わ、私なんかじゃ……」

「無くなっちゃうよ、僕の全部が、流されちゃうよ」

「それよりも今は早く逃げないと。ここは諦めて、さぁ早く!」


 ミアは少年の手を握り、高台へ逃げようと説得した。

 しかし少年は必死に抵抗し、絶対にここを守るとミアにしがみついた。


 このままでは崖崩れに巻き込まれて二人とも死ぬ。

 ビュンと吹き抜けた突風に身体をあおられたミアは、バランスを崩しながら、突き付けられるたった二つの選択肢から、どちらかを選ぶしかなかった。


 全てを諦めて逃げだすか――

 それとも最後まで足掻くのか――


「ダメよ、すぐに逃げるの。このままここにいたら、二人とも助からない」

「だけど僕のウチが! ここは父ちゃんと母ちゃんが残してくれた、たった一つしかない僕の形見なんだ。ウチだけは、絶対に僕が守らなきゃならないんだ!」


 ミアは涙ながらに抵抗する少年を担ぎ上げると、両腕に魔力を込め、力の限り少年を安全な方向へと放り投げた。上段の岩場の上を転がった少年が、「お姉ちゃん?!」と叫ぶのを背中で聴きながら、ミアは精神を集中させ、大きく息を吸い込んだ。


「大丈夫よ。キミのウチは、私が守るから」


 横殴りの雨は勢いを増し、崖周辺の土地を根こそぎ奪い去っていく。

 少々やりすぎたかと額の雨を拭ったイチルは、いつでも二人を助け出せるように身構えていた。


「大丈夫、……私はやれる。自信を持つの」


 轟音を上げながら近付く地崩れを眼下に見ながら、ミアは両手を胸前で合わせ、詠唱を開始した。眉をひそめたイチルは、飛び出すタイミングを躊躇ちゅうちょし足を止めた。


「おい、そろそろ逃げないと本当に……」


 目を瞑りブツブツ何かを唱えながら、極限まで集中力を高め、魔力を込めた両手を天に掲げたミアは、全ての空気を吐き出しながら呪文を唱えた。


「大気に集いし水の恵みよ、我が手に再び、もっともっと、もっと《ネバネバのやつ》を与えよ!」


「ハァ!!?」と思わず口をついたイチルとフレアの声が、ミアの耳に届いたかどうかはわからない。しかしミアの両手から放たれたドロドロの液体は、荒屋から一気に地面へと伝わり、雨水と同化しながら染み渡るように広がっていく。そして液体が崩れる崖際まで行き渡ったのを見届け、ミアは再び呪文を唱えた。


「大地に集いし、もっともっと、も~っと《カッチカチの神》よ。今度はもう、一瞬で固まるようなカチカチの、カッチカチの力を我に与えよ!」


 全魔力を開放し、不気味という文字だけでは語れない異様な色をした大量の液体を頭上へ放ったミアは、降り注ぐ雨粒に混ぜ、崩れていく周辺の地面全てへ隙間なく流し込んだ。

 ネバつく粘液が崩れゆく小さな砂粒を掴んだかと思えば、降り注ぐ雨で冷やされた薄灰色の液体が、光沢を帯びながら地表全体を包み固めていく。


「か、固まってー!」


 必死でミアを応援するフレアの声と、地面の鳴る音と、雨風の音。

 そして粘つく液体の畝る音とが渦巻く中、少年をフレアのところまで退避させたイチルは、再び崖を滑り降り、荒屋の裏手に回り込んだ。


「止まれ、止まれ、止まれー!」


 ありったけの魔力でネバネバの液体を発射し続けたミアは、荒屋から崖へと続く道に不気味な白の空間を作り出した。次第に固まり始めた魔力の結晶は、ロウを塗り固めたように白く透明な足場を構築し、次の瞬間、ピタリと動きを静止させた。


「と、……止まった?」


 傾いた荒屋の目前、一メートルの距離。

 最後に崩れた岩肌の欠片がコツリと落下し、崖下でポチャンと音を鳴らした。

 ハァハァと肩を弾ませ屋根の上で膝をついたミアは、放心しながら「やった」と呟いた。


「おいおい、マジか。この崩れの連鎖を止めるのは、それほど簡単なことじゃないぜ?」


 イチルは地面に降り、ミアの作り出した真っ白な塊を摘んだ。

 気味の悪かった液体は、雨に混ざり、超高強度に凝縮されたセメントのように押し固められ、驚くほどの硬度を保った物質へと成り代わっていた。


「あのふざけた詠唱でこれほどの強度を。一体どういう理屈だ……?」


 しかし数秒後、再びパラパラと音を立て始めた地面は、どうにか引き止めていた白い固まりを破壊し、再び割れ始めた。悲壮感に塗れた顔で傾く屋根にしがみつくミアを抱えたイチルは、間一髪のところで崩れる荒屋を後にした。



 仮に雨と風を巧みに利用したとしても、一度始まってしまった崖崩れを止めることは容易ではない。しかしミアは、たとえ一瞬でも、その流れを確かに止めてみせた。


 イチルが崖周辺の地盤を調査した限り、ミアが崖崩れを止められる算段は一ミリも立てられなかった。どちらかといえば、冷静に少年を救出し、荒屋から脱出しさえすれば及第点とすらイチルは考えていた。



「ちょっと離して、ああ、うちが、あの子のうちが!」


 暴れるミアをフレアと少年の待つ崖上に運ぶも、ミアはまだ家を守るんだと聞かず抵抗した。フレアもミアの両足を抱えるようにして止めたが、泣きながら手を伸ばすミアは、「私が止めないと!」と叫ぶばかりだった。


うちが、うちが……!」


 崩れて落ちていく荒屋の影を眺めながら、地面に手を付いたミアは、ついにフレアを振り切って走り出した。イチルは仕方なく打ち身でミアの腹を叩き気絶させ、動きを止めた。


「まったく、どれもこれも予定外のことばかりしてくれるじゃないの。……困っちゃうね、こいつは」



 ――――――――

 ――――――

 ――――

 ――



「――……あ、あの子のうちが!」


 簡易ベッドの上で手を伸ばし飛び起きたミアは、見慣れない周囲の様子に、右、左と首を捻った。


「あ、ミアさんが気がつきました!」


 パタパタと駆け寄ったフレアは、これでお顔を拭いてくださいと温かい布を手渡した。言われるまま顔を拭いたミアは、なぜ自分が寝ているか理解できず、「ここは」と独り言のように漏らした。


「ここは私のおウチです。ミアさん気を失っちゃったので、仕方なく運ばせてもらいました」


 ミアから布を回収し、フレアはどこか嬉しそうにパタパタと荒屋を出ていった。

 何も思い出せずミアが頭を抱えていると、静かに扉が開き、外で様子を窺っていたイチルが入ってきた。


「遅いお目覚めで。よくもまぁ、ひとんちでグーグーと」

「あれ、アナタ……。そっ、そうよ、あの子、あの少年は?!」

「自分のことよりまず他人、ね。……心配いらん、少年は無事だよ」

「本当に?! 良かった、……だけどあの子のうちは」


「それも心配しなくて良いんじゃないか」とイチル言いかけたところで、フレアが水の入ったコップを持ち部屋に戻った。コップを渡したフレアは、早く飲んでほしそうな眼差しでベッドの袖にしゃがみながら、真っ直ぐミアを見つめた。


「あ、ありがとうございます」


 水を口にしたミアは、ようやく全てを思い出したのか、両手で顔を覆い、やっぱり私はダメですと項垂れた。


「私って、本当にいつもこうなんです。後先考えず突っ走って、空回って、結局失敗して……。新しいお勤め先が決まっても、結局いつもヘマばかりで。アレができるとか、コレができるとか、意地張って頑張ってみても、追い詰められるとホント何もできなくて。ダメダメですよね」


 結果的だけみれば、ミアはフレアが仕掛けた試験を何一つクリアすることができなかった。その一部始終をつぶさに見届けたフレア自身、それをよくわかっていた。


「で、ギルドへの報告はどうするつもりだ。採用決定の報告期限は残り二時間だ。もうあれこれ考えてる暇はないぞ」


 ミアと同じように気落ちするフレアにイチルが嫌らしく言った。

 フレアは促されるまま、何かを決心し話し始めた。


「ミアさん、……少しだけお話をさせてください」


 フレアの表情から全てを悟ったミアは、小さく深呼吸し、前髪を整えてから、「ハイ」と落ち着いて返事をした。


「実はあれから、採用を希望する皆さんには内緒で、日常の様子を拝見させていただきました。それと、皆さんには課題のようなものも合わせて実施させていただきました。もちろんミアさんにも」


「あ、……そうだったんですか。それで……、そっか。そうですよねぇ」


 イチルのことをチラチラ窺うと、フレアは視線を右往左往させながら、最後にググッと目を瞑り、絞り出すように言った。


「申し訳ありません。ざ、残念ですけど、ミアさんの点数は、その……、0点でした。ですから、今回募集した冒険者さんの採用に関しては……、ごめんなさい。採用することはできません」


 深々と頭を下げたフレアは、そのまま再度ごめんなさいと詫びた。

 ミアもミアで「当然ですよね」と微笑んでから、私も申し訳ありませんでしたと頭を下げた。しかし――



「……ですが」と、フレアが言葉を付け足した。


「冒険者さんとして採用することはできません。できませんが、よろしければ、専属のとしてウチで働いていただけませんか。本当の話をすると、実はうちには私しか雑務をこなせる人がいなくて、前からずっと困っていたんです。犬男はボーッとしてるだけだし、私もこれからお仕事のことに集中したいし。あ、だけど、お給料は募集したものの半分くらいしか出せません。けど、……その、それでもよろしければ」


 呆れるイチルをよそに、フレアの言葉を聞いたミアが目を丸くした。

 そしてうるうると瞳を潤ませ、フレアの手をギュッと握った。



『 や゛り゛ま゛ず! や゛ら゛ぜでぐだざい゛! 』



 イチルはおいおいと片手で頭をもたげながら、

 これからの日々をただ憂うのだった――

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