怪盗はかくも紳士でありたい

白木凍夜

プロローグ

 上弦の月が雲のドレスを纏うと、夜静けさが一段と深くなる。


「それ」は人の手には決して届くことのない高根たかねの花。


 彼女がドレスを脱ぎ捨ててしまう前に、私は手早く準備を済ませておく。


 浮ついた気持ちをさらけ出すのはまだ早い。


 誰にも気づかれない様にそっと想いを届けよう。


 愛しの君悪人へのラブレター予告状


 なぜなら――


【眩まばゆい夜の花が着替えを済ませ空に満ちる時

 愛しい貴方への思い出として

 全てを頂きに参ります F 】


 ――私は怪盗ほしがりだから。




 ――


 金田松三かねだ しょうぞうの催すパーティーが始まってから数時間。


 そろそろ時計も真上を指す頃合いだ。


 さてと、ではそろそろ…うん? 


「な、何をする!

 私が誰だか分かっているのか!!?」


 誰かと思ったら金田松三じゃないぁ。


 怒鳴っている相手は……よく見えないが女性のようだな。

 どうせ適当な言いがかりをつけて、部屋にでも引っ張り込むつもりだろう。


 口説き方の下手な男だ。

 野蛮ここに極まれり……それはそうと、黙って見過ごすわけにはいかないな。


「もちろんです。

 ウインナーを運ぶ係の人でしょう?

 あらかじめソースを付けておいてくれるなんて、大変見事な仕事ぶりですね!」


 私は金田と女性の間に割り込み、テーブルからくすねたソースをこっそりと金田の指に塗りつけながら、他の客たちによく見えるようにそのまま腕をあげた。


 ソースまみれの指が衆目のもとにさらされ、あちこちからクスクスと笑い声が聞こえてくると、金田の顔だけじゃなく指まで真っ赤に染まっていく。


 ……思っていたよりもウインナーに似ているな。

 

 まあ、女性を怖がらせたのだからこのくらいはしてもいいだろう。


「おいっ、私に恥をかかせたな。

 絶対に許さんぞ、一体貴様は何者だ!

 ……は?」




 ――


「ふっ、私が誰かって?

 知りたいのなら答えよう。

 ただし、この私を捕まえられたらの話だが……

 え?


 ――誰もいない。


 私が姿をくらませる前に、会場にいた人々の方が一人残らず消え失せてしまった。


 まさか、罠にハメられたのか?


 いいやそんなはずはない。

 この私があんな男程度に後れを取ることなどありえない。


 それにだ、そもそも人どころか建物……いや、地面すらない。

 一体どうなっている?


 ふむ。

 すぅっ、ふぅー……呼吸は問題なくできている。


 試しに靴のかかとで足元を叩いてみると、「カツン」と小さな音がした。

 どうやら見えはしないものの、地面自体は存在しているらしい。


 からくりはまるで分からないが、息が吸えて歩くことができるのなら特に問題はないだろう。


 まずは状況を確認するために、懐から取り出した時計で時間を確認してみるとしよう。


 最後に時計を確認した時刻は夜の12時くらいだったはず。 


 それから大した時間が経過していなかった場合、ほんの一瞬でここに連れて来られたということ。


 そして時間が経過していた場合は、私は知らない間に意識を失った、あるいは記憶を失ったということだ。


 では、さっそく…………止まってるな。

 時刻は12時過ぎだから……タイミング的に、ここに来た時に止まったようにも思えるが、はっきりとしたことは分からない。


 なら、GPSで現在地を調べよう。


 袖口から受信機を取り出して、私の懐中時計に仕込んであるGPSを辿る……エラー。

 では、カフスボタンの方はどうか? ……エラー。

 ハンカチ……エラー。

 サングラス……エラー。

 手帳……エラー

 宝石の付いた指輪……っと、これは仕込んでいないやつだ。

 私は10個の指輪を懐にしまい込み、現在地をGPSで知る方法は諦めた。


 困ったな。


 こうなったら「奥の手」を使うか。

 辺りには何もないし、ひとの姿も見えない。

 まあ、問題ないだろう。



 姿かたちなど意味を持たない。

 

 名前や肩書などもってのほかだ。


 怪盗は常に謎であり、謎こそが怪盗の本質。

 

 そして世界は、


 つまり、怪盗はあらゆる場所へ行けるということだ。

 そう、例えばこんな風に。


【神出鬼没】


 そう呟いた瞬間、私は屋敷へと戻っていた。


 なかなか面白い経験だったな。

 惜しむらくは私には付き合っている時間がなかったということだ。


「十間の指輪」は既に手に入れたが、あの屋敷は未だにモノで溢れている。

 どうせ目の前ですり替えた指輪にすら気付かない男だ、すべて贋作と入れかえたとしても、さぞや幸せな余生を楽しむことだろう。


 なら、あそこにある芸術品は私「たち」で楽しんでも問題あるまい。

 速やかに戻らねば――


「問題あるに決まってるでしょ!?」


 私が自分の部屋から出ると、綺麗な女性が立っていた。

 髪は銀色で、艶めかしい煌めきを放っており、眼は黄金色でぱっちりと開いた眼は可愛らしくもあり、大人びた憂いをも持ち合わせている。


 まるで月からが舞い降りたようだ。


「ていうか、アンタ一体どうやってあそこから出たの!?

 私はアンタを永遠に封じ込めるように言っておいたのに!!!」


 ……ふむ?


 どうやら、先程の異質な空間と彼女の間には、何やら繋がりがあるらしい。

 口ぶりから察するに、あの場に私を連れ込んだのは、彼女の思惑によるものだったということになりそうだ。


 私としたことが……、女性の誘いを袖にするなど「紳士」としてあるまじき失態だ。

 すぐに戻らねば。


「いい?

 アンタが私の為とか言って好き勝手するせいで皆に怒られてるんだから!

 とにかくすぐに戻りなさ――」


【神出鬼没】


「いよ……って、何よこれっ?!

 どうして「落月」に私がいるのよ!?」


 ふぅ、どうやら無事に戻ってこれたようだ。

 地理的にいったいここがどこだかさっぱりわからないが、何とかなるものだな。

 

 何事もまずはやってみることだ。

 そうすれば、意外とすんなり上手くいくことも多い。


 私の心の師匠、シロナガス先生も著書にそう書かれていた。


「あ、アンタでしょ!?

 どうすんのよ、私まで「月落ち」しちゃったじゃない!

 早く私をさっきの場所に戻しなさい!!!」


 せっかく彼女からの誘いを「快く」受けたというのに、なぜか彼女は未だに不満そうだ。

 

 まあ、戻れと言われたら戻るが……っと、うん、私の屋敷だ。


 おお、そうだ。

 先日手に入れたコーヒー豆があったな。

 あまり高いものではなかったが、店主のあの自信からして、相当な掘り出し物だろう。


 来客用のカップはどこにしまったかな……、あ、これだこれだ。

 この中なら黒色がアクセントになったものが彼女によく似合うだろう。

 私はいつもの銀色……いや、待てよ?


 相手の髪と同じ色のカップを使うには、まだお互いをほとんど知らない。

 よく使うお気に入りのカップだとはいえ、迂闊な真似はできない。


 ここは別のを使うとしよう。


 ええと、砂糖はどのくらい……あ、しまった!

 うっかり彼女を一緒に連れて来るのを忘れて、一人で戻ってきてしまった。


 戻って謝らないと……しかし、今日はもう遅いな。


 こんな時間に男の方から女性を訪ねることなど、紳士として許されるわけがない。

 ……明日にするか。

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